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11月11日のお話

息をするように人と人を繋ぎ
眠るように友人の成功を祝福する
食事をするように仕事を楽しみ
お茶をするように新しいことを取り入れる

そういう人に、わたしはなりたい。

「宮沢賢治?」

「ううん。狩野ヨーコ」

「なんなんそれー」

詩的な文章を「雨ニモマケズ的に」読み上げた狩野は、あっさりとそれが自作であることを白状しました。聞いた方の片桐は、関西弁で抗議します。「なんでやねん」と言わないところが、大阪人ではなく神戸人の誇りで、また、上品な女性である片桐の性格でもありました。関西人がみんなガサツかというとそうではないのです。

「そういう人になりたいなーって、シンプルにおもうの。最近。」

美術館勤務で絵画教室の事務局をやっている片桐と、大人になってから油絵を習いたいと教室に通う狩野は、お互いに美術が好きな同世代の女性です。出会った頃から友達のようでもありましたが、今ではすっかり親友のような距離感で、時間が空けばいつもお茶に誘ったり誘われたりしています。

「シンプルねぇ」

「そう。この仕事をやっていると、どうしても情報量が多くて。」

狩野は普段は霞ヶ関の某省庁で、偉い人の秘書をしています。別にそういう野心があったわけではないのですが、いつの間にかこのポジションで、重宝されるようになっていたのです。

今の仕事に不満はありませんが、最近はどうも、自分のキャパシティに対して多すぎる情報に溺れかけているような気さえします。

「過学習って知ってる?」

「カガクしゅう?」

「か・がくしゅう」

さぁ。と首を傾げる片桐に、狩野は「私も最近知った単語」と言って説明を始めます。

「機械学習、AIの分野の事象なの。」

「さすが霞ヶ関やねぇ、トレンドを押さえとる。」

狩野は例え話を使いながら、こう説明します。

「機械学習というのはすごくわかりやすく言うと、過去データを正解データとして学習し、そこから未来を予測するものなの。
 でも、面白いことに、過去のデータを学習しすぎると、そのデータに固執してしまって、データになかった天変地異とかが起きた時、それにうまく対応できなくなるらしいの。」

過去のデータに固執。この部分を強調する狩野の話し方に、片桐は、彼女からよく聞く「過去の成功体験が捨てきれず、凝り固まったオジサン達」のエピソードを連想し、クスリと笑ってしまいました。

「今想像したことは、私も聞いた時すぐに想像したわ。まさにそれ。」

狩野は戯けながらそう言うと、再び真面目な顔で、記憶を振り返るような口調で続けました。

「AIは基本的に、過去から学習をするものだから、その学習はとても大事なことなんだけど、これまで起こった過去ばかり学習していると未来の”未知の変化”に対応できなくなるって言うのよね。」

言葉に少しずつ熱が籠る狩野を見ながら、片桐は楽しそうに、へぇーと相槌を打ちながら聞いています。片桐は彼女のこう言うところが好きでした。自分にはあまりない感情の起伏。これを観察するのは妙に楽しいのです。

「結局ね、”手元にあるデータで”100%未来を予測できる”とお墨付きになったAIモデルは、現実世界では使えないってことらしいの。現実世界で、”手元になかったようなデータ”が紛れ込んだとたん、一気にその100%と言われていた予測精度が落ちていくのよ。お墨付き、台無し。」

「面白いね。AIにも、曖昧な部分、未完成な部分が必要やってこと?」

「そうなの。面白いの。AIにもって言うところも面白いけど、こう言うともっと面白いわよ。”AIでも、人間でも、曖昧な部分は必要。過去データで頭でっかちになっては未来を見誤る”」

「面白い!」

「でしょー!」

女子特有の共感からテンションの盛り上がる会話が繰り広げられます。ただし、普通の女子トークなら、何か可愛いアクセサリーなどを見て、「可愛いー」「でしょー」なのでしょうが、この二人は違います。だから二人とも気が合うのです。

「なるほど。それで、その過学習が、どうしたん?」

ひとしきり、きゃっきゃとはしゃいだところで、片桐が話を冒頭に戻します。

「そう。過学習ね。
 自分が、どう言う人間になりたいか、どう言う人間でありたいかと言うことを考えていたの。過去の失敗とか、過去出会った人とか、過去の出来事を鑑みてね、そう言うのを繰り返さない素敵な女子になろうとして。未来の自分がそうなれているためにはどうしたらいいのかってね。」

なるほど、と片桐が続きを促します。

「でももう30代も後半になるとね、色々ありすぎるの、気をつけたり気にかけたりしないといけないことが。」

仕事でもそうだし、プライベートでも、女性としての振る舞いでも、あらゆるところで色々あるのよ。とそこまで一息で言うと、狩野はふぅーっとため息をつきました。

「それで思ったの。過去から学習しすぎると、多分うまくいかないぞって。」

「なるほど、それで、過学習。」

「そう、過学習。最近覚えた単語だったからw
 AIでも、人間でも、過去のデータに囚われすぎてはいけない。それなら、私も、過去の色々は、まぁ、色々、くらいにしておいて、ざっくりとした物だけ持っておこうかなと思ったの。どんな自分になりたいかは。
 そうしたら、なんか、宮沢賢治みたいになったw」

「そう言うことなんやね。ようやく繋がった。」

そう言って、片桐も少しだけ考えて、こういいました。

「私は、その過学習のネタ、美術館の頭の堅ぁい重役達に言ってやりたいわぁ。また新しい企画、理解してくれへんかってん。」

「えー、また?また前年踏襲?」

「そう。」

「それはダメだ。未来に生き残る美術館ではなくなる!」

「せやろー。過学習人間の弊害やよ。」

二人は笑い合うと、コーヒーのおかわりをウエイターに告げました。もう少し、話をしたい気分になったのです。ウエイターが去って、ふと、会話が途切れた瞬間、片桐が少し目を細めていいました。

「でもあれやね。名言やね。これ。
”AIでも、人間でも、曖昧な部分は必要”。」

FIN.





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