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11月30日のお話

「ねえ、マルラッテ。」

壁一面に魔法書が並べられた本棚のある地下室の中央には、オレンジ色のランプに照らされた机と半球の水晶、分厚い書物といくつかの実験道具。そして傍に立つのは魔法の国の大賢者ククです。彼女は歳を重ねても美しい銀髪をかきあげながら、眉間にシワを寄せ頭を抱えるようにしながら、侍女の名前を呼びました。

「マルラッテ、やっぱり私、失敗してしまっているみたい。」

もうずいぶん長い間大賢者として君臨している初老の女性のはずですが、その口調と仕草に奔放な乙女のような雰囲気が残るところが、彼女の魅力でもありました。深い知識と高い能力を持ち合わせた指導者ですが、時として失敗もし、それを隠さずに謝るところが実は人気のポイントでもありました。

失敗するのは仕方ないのよ、どれだけ知識や経験があっても、未経験のことに挑戦したらその結果がどうなるかなんてわからないもの。予測はできても完全ではないわ。

平気でそう言ってのけ、いつまでも好奇心の赴くままに新しいことに邁進する彼女が統べる魔法の国は、(彼女の失敗をフォローし続けることで鍛え上げられたため)優秀な守りの魔法使いが育ち、(彼女に憧れて)彼女と同じくらい挑戦的な魔法使いも育つ、バランスの取れた状態が続いていました。

しかし、マルラッテのような守りの魔法使いにとって、大賢者ククから発せられる「失敗っしちゃってる」という言葉は非常事態宣言ほどの威力を持って届きます。それもそのはずです。大賢者ほどの優秀な人物がする失敗は、その辺の魔法使いがする失敗とは違い、影響が計り知れないほど大きなものなのです。

えっ。と息を飲み、マルラッテは「状況を詳しく教えてください。」と駆け寄りながら、手元の魔法で守りの仲間たちに召集をかけるように鳥たちに指示を出します。

「ごめんなさい、マルラッテ。ちょっと、あっちの世界の時空の出口が絡まってしまったみたいなの。たぶん、私と一緒に、猫が時間を移動してしまったみたい。」

ククは、魔法の国でも少数しか使えない時間と空間を超える魔法を使い、もう一つの世界を行き来しながら人々の観察をするのが趣味でした。その行き来の時に、彼女以外のものが紛れ込んでしまうと、正確に時空の出口を閉じることが出来ず、"絡まってしまう"という状況になるのです。

ククは半球の水晶を覗きながら、そこに映し出されているもう一つの世界の様子を心配そうに眺めています。彼女の"失敗"が、この世界のことではないため、マルラッテの顔も一瞬ほっとします。守りの魔法使いにとって、この世界を守ることが最優先だからです。もう一つの世界は、言ってしまえば、ククが趣味で作り見守る世界です。万が一のことがあっても、まぁ仕方がありません。

とはいえ。

我が子同然にその世界の生き物に感情移入をしているククの狼狽えた様子を見ると、緊急事態には違いない、と気持ちを切り替えて再び真剣な面持ちで対処を続けます。

「あれだけご移動の際はお気をつけてと申し上げたのに。」と、小言くらい言わないと割りにあいませんが、シュンとしながら「ごめんなさい。」と頭を下げるククを見ると、少し意地悪だったかなと反省するマルラッテでした。

マルラッテは、絡まっている出口が、あちらの世界の2013年と2020年だということを確認すると、土属性の守りの魔法使いを集結させ、あちらの世界へ急がせます。次に、風属性の魔法使いと木属性の魔法使いも数人呼び出し、事情を説明します。

「クク様、処理するメンバーはこれで全てです。あなた様もあちらの世界へ向かわれてください。処理終了後すぐに、出口を閉じ直してください。それまでは、何もしなくて良いですから。」

最後にそう念を押して、マルラッテはククと集めた魔法使いたちを送り出しました。

守りの魔法使いは、いざという時に、一番冷静に対処できる優秀な人材が揃えられています。失敗した本人は、失敗に気付いた時、往々にして冷静ではいられないものです。いくら様々な魔法を使えるククといえ、それは例外ではありません。ククですらそうなのですから、他の魔法使いも"失敗"の時は普段のパフォーマンスが半減すると考えても良いでしょう。

そういう人に、失敗のリカバリーを任せると、かえって物事を悪化させる恐れがあります。失敗を隠す者も出るでしょう。それが、人の常というものです。

自分の失敗の後始末は自分で。世の中、そういう考え方もありますが、ククの統治する魔法の国では失敗の後始末はプロに。責任は自分で。という考え方に統一されています。マルラッテはじめ、後始末のプロが誇りを持ってその任にあたるから、誰もが安心して失敗し、失敗をすぐに公言できるようになったのです。


さて、もう一つの世界に入っていったククと守りの魔法使いたちは、時間と空間が絡まってしまった出口のある場所に到着していました。

そこは、その世界の呼び名で"新宿駅東口アルタ前"というエリアです。人の通行が多い場所だけに、早く対処をしなければいけません。

時間と空間が絡まると、絡まった時間同士が影響し合います。

「あれ。」

そのエリアを通行中の男性が、不意に立ち止まり、すれ違った人を追いかけようとして、とどまりました。

「どうしたの?」

横に連れ立って歩いていた女性が不思議そうに彼に声をかけます。彼は一瞬で喉が渇くほど驚いたのでしょう。即座に声が出ない様子で、ううっと唸った後にこう言いました。

「いや、知り合いにすごく似ていたんだ。今の人。」

「似てた?知り合いとは違ったの?」

「うん、そいつ、もう亡くなってるから。でも、本人かと思うくらい似てた。」

そのやりとりを聞いて、その場で彼らから見えないように対処を続ける魔法使いたちは、顔を見合わせます。この世界の人に時間が絡まったことがバレてはいけません。

先ほどの男性が、再度すれ違った男が消えていった人混みを怪訝そうに睨んでいる一方、隣で「ふぅん。」と頷いていた女性の視線は、反対方向のショッピングモールの広告で止まりました。目が一瞬見開いて、嫌なものを思い出すような表情になり口元を手で押さえます。

「あの子も、何か、2013年の何かを見たわね、きっと。」

守りの魔法使いたちはそう察しました。

「あの表情、きっと、その年にここで嫌なことでもあったのね。」

「あの店ってことは、クリスマスがらみの思い出かな。」

「失恋とか。」

口々に想像を口にする守りの魔法使いたちに、ククは「ごめんなさい、早く処理をしてしまいましょう。あんな顔をする子たちを増やしたくないわ。」と促します。「元はと言えば、私のミスだから、こういうことは言いづらいのだけれど。」そう顔を曇らせるククに、噂好きの魔法使いたちも目配せをしながら処置を進めます。

「2013年からこちらに紛れ込んだ猫は捕まえました。」

先に街の捜索をしていた守りの魔法使いたちが戻ってきました。これで、ククが魔法で出口を綴じ直せば元に戻ります。次は、変なものが紛れ込まないように、他の魔法使いたちが結界を張ったり、風向きや地形を微妙に操作してサポートします。木属性の魔法使いは、風属性の魔法使いの風向きに合わせて”物忘れを促す調合薬”を振りまきます。

「過去を見せつけられるのは良いものではないのよね。誰にとっても。それが幸せな過去であっても、辛い過去であって。」

自戒のようにそう呟きながら、ククは今度こそしっかりと、2013年から2020年への出口を魔法で綴じました。

今回の失敗で、ククは改めて魔法界の法律の意味を確認しました。時空魔法の使用は、今回やったような”もう一つの世界”でしか許されないのです。自分の世界でこの魔法を使い、自分の過去を見に行ったり、見てしまったりしたら。

「私でも、きっと、正気ではいられないわね。」

後になって、この時に同行していた守りの魔法使いたちの間で、ククのその独り言は話題になりました。「あまりに重みがあった」と振り返る彼らからは、「大賢者であっても、全ての過去に折り合いをつけているわけではない」のだとも語られています。語りながら、「完全ではない大賢者様だから、我々ももっと精進しなければ」と意欲を燃やす。それが、この時代の魔法界の日常なのでした。

FIN.

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