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8月31日のお話

「今日が、最終日ですね。クク様」

そう呼び止められ一瞬キョトンとした銀髪の女性は、次の瞬間、自分が呼び止められたのだと認識してハッとし慌てて笑顔を作りました。

「ええ、そうね。なんだか、久しぶりにククって呼ばれた気がするわ。」

ククと呼ばれた女性は、魔法の国の大賢者という役職につく、初老の女性でした。侍女が、秘書のように横に付き従うと、「今日は夜間にハヴィ様の来訪があります。お時間までには必ずお戻りください」とスケジュールを口早に説明し、「いってらっしゃいませ」と頭を下げました。

「わかっているわ。ちゃんと戻るから。」と、侍女に見送られながら、ククは、大きな絵画の前に立ってスッと魔法の杖をかざします。

すると、絵の中の二人の男が、ゆっくりと動き出します。元々、門に人を入れないようにと立ちはだかっていた男たちは、魔法に呼応するように首を垂れると道を開けるように左右に分かれました。

この絵に描かれている門は、創作の世界に繋がる門です。

一握りの魔法使いだけが使える、空間と、時間を操れる魔法を使うと、絵の向こうの世界に行って、その世界に働き掛けて、その世界を変えることもできるようになります。

開かれた門に向かって一歩踏み出すと、次の瞬間、ククは絵の中に入っていました。そうして絵の中の銀色の髪の女性は、ゆっくりと門の中を歩いて、絵の奥へと消えていきました。


4205年8月31日

今は一部の人が魔法を使い、多くの人が科学技術を使う時代。人間の居住区にだけ都会の街並みと自然が共存し、その他の大地は荒れ果てている。そんな世界の片隅にも、緑の魔女の店「KUKU」という看板がかかったカフェがありました。そのカウンターの中に、ふっと降り立つように現れたククは、この時代でも、カフェの女主人として多くの常連客をもてなします。見た目を少し、若くしているのは彼女なりのちょっとしたプライドかもしれません。

間も無くお昼時。店を開ける時間です。外には開店時間ちょうどに入ろうと待ち構えている人が数人、扉の前でのんびりと待っていました。

ククは開店準備をしながら、昨日、2200年前の人間たちに植え付けた魔法の種が、この時代にどう影響を及ぼしているかと思考を巡らせていました。

魔法だけが先に発達すると、ロジカルな思考の発展の妨げになる。そういう仮説があったので、科学が成熟する2000年代の前半を中心にアプローチをする手法を試しました。特に世の中が不安定になる出来事が起こったあとなどは、そのアプローチの効き方が強くなります。だから、2020年に重点的に関与していました。

すると、アプローチした一部の人間に変化が現れました。

動物の言葉を理解するようになったり、世界の不思議を受け入れるようになったり。魔法使いに憧れる子供を作ってみたら、大人になった時に新しい魔法を作り出していたり。

そういう些細な変化を観察し、微調整をしながら3ヶ月の時間をかけて、ククは丁寧に世界の変化を記録しました。

そのようにして始まった、”魔法と科学は、共存するのかどうか。”を確かめるためのククの壮大な実験は、おそらくある意味で成功し、ある意味では思った結果は出せませんでした。

彼女の仮説では、科学という”技術”と、魔法という”技術”がかけ合わさり、文明のさらなる発展を見込んでいたのですが、4200年代になっても、その技術同士の掛け合わせが爆発的な進化を遂げるにはいたりませんでした。

むしろ、技術は科学に基づいて支えられ、魔法は技術が発達したことによって調整が必要になった精神的で曖昧な信仰の代わりのように拡大していきました。それがこの時代に一番必要とされている魔法、コトダマ派の魔法使いの台頭に現れています。

ククの生まれた魔法の国では、コトダマ派のような魔法はどちらかというとマイナー分野でした。マイナーというだけではなく、使い道のないもの、使うと禍をもたらすものとして禁忌扱いだった分野です。水や木や火、土などの素材を使った技術魔法があれば、大抵の生活は豊かにできましたし、それ以上の豊かさを求める動きにならなかったからでしょう。その後、科学技術が魔法の国にも入ってきましたが、成熟した魔法文化に科学技術はあまり重宝されません。そうすると融合どころか排除が始まります。

では融合するためには、それぞれの技術が違う出会い方をすべきではないかと考え、検証したのがこの3ヶ月でした。

そういう点では、思ったような技術の融合は見られませんでしたが、一方、人間社会の文化レベルとして見て判断をすると、この世界の人々は、争いを避けることを学び、自己を律すること、理を日常から理解することに長けており、芸術を育む心を開花させました。

「お待たせしました。開店よ。」

準備が整い、扉を開けると、そこに待っていたのは”カリノ”という名の女性と相方の男性がいました。この二人は、この店のこの時代の常連です。そしてカリノは、2000年前のあの時代、ククが彼女の幼い記憶に魔法を植え付けた時から何度目かの転生ののちにこの時代で再会した懐かしい女性です。(もちろん彼女は過去の記憶は持っていませんが)

「私は、いつものフレンチトーストの蜂蜜がけとコーヒー。」

彼女のオーダーを受けながら、ククはふと”そういえば、この世界でも、料理を作るための魔法は育たなかったわ”と新しい課題を思いつきました。


ただでさえ、公務で多忙な大賢者という身分です。ククは四六時中このような実験をするわけにはいきません。しかし。彼女の興味は尽きることがなく、次の実験はいつにしようか、いつ、その仕事の隙間を作るかで頭がいっぱいになりました。

そんな彼女の観察日記が再会するまで、この物語も一旦おしまいです。今日までの3ヶ月、お付き合いいただき、ありがとうございました。





ピータードイグ《ガストホーフ・ツァ・ムルデンタールシュペレ》2000-02年 シカゴ美術館蔵
©Peter Doig. The Art Institute of Chicago, Gift of Nancy Lauter McDougal and Alfred L. McDougal, 2003. 433.
All rights reserved, DACS & JASPAR 2019 C3006

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