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8月27日のお話

無花果。イチジク。

聖書にも出てくるくらい古くから人間と一緒にいる果物なのに、その果物のことを、人々はあまり知りません。特に日本人は、その果実がどんなふうに食べられるのか、その花がどんなものなのかも知らずに「たまに果物売り場で見かけるわね」という程度でメジャー果物ではないようです。

日本に古来からあった「柿」ほど手軽に育てられるものではなかったところが、庶民に浸透しなかった理由なのかもしれません。イチジクが伝わった頃にはすでに日本には「他に甘いもの」がたくさん生み出されていたことも、理由の一つかもしれません。

その代わりになるものがあれば、それである必要はなく、そうなるとメジャーになるのは難しいのが世の常です。

ヨーロッパでは、甘いものがまだ少ない時代、栄養価の高いものが少ない時代から存在していたため「先行者利益」的に人間の生活の中に入り込めたのでしょう。肉と合わせると肉が柔らかくなる特性と、甘いのに香りが強くないという特異性を生かして、ラム肉や古くなった牛肉との煮込み料理に使われる素材となり、乾燥させて長持ちするというところでドライイチジクとなりワインのつまみの座を獲得しました。

結局、それ以外にないという時代に存在できたかどうかで、その土地の文化に入り込めるかどうかが決まります。

そういう果物を「日本でもどんどん作りたい」と計画するのは、商業農業としては非効率です。食べる習慣がこれまでなくて、これからも、それじゃないといけない理由のないものの市場が、今後、拡大するとは思えないからです。

しかしイチジク農家に対して面と向かってそんなことを言えるはずもなく。雪枝は「後継に困っている。販路さえあれば、息子が継いでくれると思うので、販路を探している。」と懇願してくる初老の夫婦の話を、商談室のパイプ椅子に座って小一時間ほど聞いていました。

往々にして、食べもの系のものづくりに徹している人は、そのものの作り方は知っていても本質を知らないことが多いものです。例えばこの初老の夫婦の話に、イチヂクの栄養素の話や歴史の話は一切出てきません。どうしたら大きな実がなるか、傷をつけずに育てられるか、そこに意識が集中しているのです。

これは、そのものの「商品価値」がそこにあったからなので、彼らを責められることではありません。つまり、買う側が見た目や分量ばかりを気にしていたから、そうなるわけです。買う側というのは仕入れる立場と消費する立場に別れますが、基本的に仕入れる立場の責任が重いでしょう。

「綺麗、大きい、甘い」など、わかりやすい指標でしかイチジクを販売してこなかったので、消費者もそれ以上のイチジクの楽しみ方を知らないままなのです。

つまり、雪枝の勤めている小売業の怠慢が招いた罪。それが、人間の形になって目の前に現れて自分の貴重な時間を奪っていく。雪枝は不毛な商談対応をするときは、いつもそういう風に「これは私たちへの罰なのだ」という気持ちで文句を言わずに真摯に相手に向き合うようにしていたのでした。

”たくさん話を聞いてもらえた”

それだけで満足して帰路に着く生産者を、それはそれでモヤッとしたものを感じながら見送ると、机の上に置きっぱなしにされている”サンプル”という名のイチジクを見下ろしてため息をつきました。

気にしなくても良いのですが、雪枝はどうしても気になってしまいます。食品を取り扱う部署に異動してから、もう数年が経ちますが、これにはどうしても慣れません。

彼らの希望を叶えられないとわかっているのに、彼らの貴重な商品の一部を分けてもらって、それは、だいたいがそんなに日持ちするものではないので、自分たちが食べることになるのです。それがまた、ちょっと美味しかったりすると尚更、その”ちょっと美味しい”だけでは何ともできないこの業界の厳しさに項垂れるのです。ファッション雑貨を扱っていたときとは全く違う、この感覚だけは今後も慣れそうにありませんでした。

持ち前の勉強熱心さで、食品についての知識は随分増えましたが、こればかりは。そう思いながら、段ボールひとケースもあるイチジクのパックを持ち上げて、執務室へ戻ると若手へ配るように依頼をしました。一人暮らしの雪枝には、1パックでもあれば十分なのです。


さて、この罪悪感の塊の食材をどう食べたものか。

結局「イチジクの食べ方がわからない」という理由で引き取り手のなかったイチジクを全部持ち帰ることになった雪枝は、まっすぐ家に帰るのをやめて、行きつけの店に立ち寄りました。

そこは、野菜やハーブを中心とした料理を出してくれる、カフェ&バーで「KUKU」という小枝でつくった看板が可愛らしい、雪枝のお気に入りの店でした。お気に入りが過ぎて、常連を通り越してまるで夕飯を食べに実家に寄るような感覚になっている場所です。

ちょうど先月も、失恋のショックを癒すために訪れて、ママの慰めに大泣きしたところでした。店内は、8名ほどのカウンター席と2名がけのテーブル席が3つというこじんまりした空間で、客席のスペースよりも、間に飾られた植物のせいで温室にでも迷い込んだような場所なので、ちょっとしたプライベート空間とも思える気やすさです。

女性客ばかりで、異性に気を使わなくても良いという点もあるかもしれません。

雪枝は店に入るなり、いつものカウンターに腰掛けて、ママにイチジクのパックをどさりと渡しました。

「これ、なんとかしたくて。」

こういうことは初めてではありません。雪枝の仕事のことを知っているママは、「あら、今度はイチジクね」などと手を叩き、早速どうしようかなぁと鼻歌まじりで果実を物色しています。

そういう気軽さが、独り身の雪枝には本当にありがたい。そんな店でした。

しばらく、いつもの前菜とワインで空腹をごまかしていると、出てきたのは分厚いトーストの上に大量に載せられたイチジクとリコッタ&ブルーチーズ、ひたひたになるほどの蜂蜜がけ、という一皿でした。

「わっすごい!」

思わず声をあげた雪枝は、次の瞬間、「予想に反して、すごく背徳的」と呟きながら、最近ちょっと分厚くなってきたお腹周りの贅肉を思わずさすりました。

「でも、雪枝ちゃん好きでしょ。パンも、チーズも、蜂蜜も。」

「はい…」

確かにパンもチーズも蜂蜜も雪枝の大好物で、10年前くらいに巷に流行ったハニートーストというメニューは”できれば独り占めしたい”くらいに好きでした。アラフォーになった今、そんなもの、食べてはいけないと我慢していたのですが。

そんな雪枝の複雑な心境を読み取ったママは、クスクスっと笑い、こう言いました。

「これは、アラフォー向けのハニートーストだから安心して。」

ワインにあうわよ。とママがワインのおかわりをついでくれると、周囲でこっそりとこちらを見ていた他の常連客(だいたいみんなアラサーからアラフォーの女子です)が、私もそれ頼めますか?と食いついてきました。

「この子がたっぷり持ってきてくれたから大丈夫よ」

そう言って、ママは「あと何個いる?」と店内の女子たちを見回して集計を取り出しました。みんな、お互いに名前は知りませんが、顔見知り。そういう常連の店がここの素敵なところなのです。


結局、店内にいた4人の女性全員が追加注文をするという状況に、「すでにご飯食べた後の子もいるのに」っと、ちょっと驚きながら、雪枝は一足先にいただきます、とトーストにナイフを入れました。

甘い蜂蜜とチーズの濃厚なミルク感と塩味が口いっぱいに広がります。パンにはバターが染み込ませてあり、人類が本能的に好むという「脂質+糖質」の組み合わせが脳を刺激して幸せ物質が大量に分泌される感覚が身体中に染み渡りました。

「美味しい…!」

よくあるハニートーストは、これに、アイスクリームの冷たさで食欲を刺激させるのですが、目の前のそれは、イチジクの上品な甘さが全体を包み込みながら、水分がさっぱりと脂質のねっとり感を洗い流し、次々と口に運べてしまうエンドレス効果を生み出していました。

「イチジクはりんごよりもグラムあたりのカロリーは低め。ペクチンは腸内をきれいにするだけじゃなくて、糖類の吸収も抑えてくれるのよ。」

追加のトーストを出しながら、ママが解説します。

「アラフォーになったら、罪悪感を相殺する素材を選ぶのが秘訣よ。ここに載せるのがアイスクリームで良いのは、20代までね。」

20代まで、と言われたショックを店内の女性全員が噛み締めながら、それでも「だからこそ美味しいと感じるものもある」と誰かが呟いて、みんながみんな、心の中でうなづきました。

あの初老の夫婦も、こういう場に居合わせたら、もう少し考え方も変わるのかもしれない。むしろ、この店の看板メニューにしてもらって、こういうムーブメントを…

雪枝がそんなことを思いついたところで、ママがピシャリと言いました。

「メニューにはしないわよ。罪悪感は相殺できても、所詮はパンとチーズと蜂蜜。毎日食べたらあなたたち、見る影もなくなるわ。」

まぁそんなにうまくいくわけないのです。でもなんだか少しだけ、考える方向性は見えた気がしたので、今日はこれで良しとしよう。

2020年8月27日。雪枝の今日は、いろいろ嫌な時間もありましたが、美味しいものを食べて幸せを感じた時間が1回と、ちょっと何かを思いつきそうな幸せのかけらの時間が1回あって、十分幸せな一日でした。

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