7月11日のお話
2025年7月11日金曜日。
香川県の山あいに、コーヒーを飲みながら本が読める図書館がありました。
図書館といっても、大きいものではありません。6畳ほどのガラス張りのコンテナハウスがカフェ兼図書館で、お客さんが8人も入れば満席です。この図書館は普通の図書館とは少し違います。
そもそもがこの図書館、公共施設ではなく、今は珍しくなった、私設図書館なのです。本が好きで、コーヒーを飲むのが好きなオーナーが、自分の夢を叶えるために作ったものでした。しかし、だからと言って、一般の人が利用できないようなものではありません。むしろ多くの地元の人々や観光客までもが入れ替わり立ち替わり訪れているのです。図書館が流行らなくなった今、なぜ人々がここに集まるのか。それはここが、普通の図書館と「少し違う」その「違い」に秘密がありました。
まず一つ目の違い。
ここの本棚は、皆さんのよく知る図書館の本棚のように日本十進分類法で並べられているわけではありません。
え?日本十進分類法を知らない?そうですか。最近の人たちは、図書館を本当に利用しなくなったのですね。簡単にいうと、ジャンルごとに分類された本の住所を示したものが、日本十進分類法で、本の背表紙に貼ってある「913」などの3桁の数字です。ちなみに913は日本の近代小説が置いてある場所で、一番皆さんが利用される住所じゃないかしら。
でも、この図書館はそのように並んでいるものではないのです。そのようには、並べようがないのが、この山あいの図書館の本棚だからです。
「こんにちは。あ、今日は狩野さんなんですね。」
そう話している時に、カフェの扉をあけて入ってきたのはこの街に住みながら、全国を飛び回っている売れっ子講師のトキコさんです。
「あ。取材か何かですか?お邪魔かしら。」
トキコさんは、数年前に地元に拠点を移しましたが、それまでは東京に住みながら仕事をしていました。私とも、東京にいた頃からの仲です。
「いえいえ。構いません、こういう様子も取材して欲しかったので。本の交換ですか?」
私はそういって、彼女を中に促します。
ちょうど、説明する手間が省けました。こういうトキコさんのような存在が、普通の図書館と違う点の一つで、普通の並べ方ができない理由です。
彼女は、持ってきた手提げ鞄から、本を数冊取り出すと、本棚の中の右から3番目、上から2番目のボックスにそれらを綺麗に並べました。返却したのではありません。「追加」したのです。
「あ、発声練習の本がないわ。誰が借りて行ってくれたのかしら。」
並べながら、ボックスの中を色々整えている時に、トキコさんはない本の存在に気づきました。ない本、つまり貸出中の本です。
私は、貸出記録を探しながら、「あ、海の方の集落の、中学生…なのかな?」と、どんな人に借りられたのかをトキコさんに伝えます。自分の本が、どんな人に借りられているのかは知る権利があるのがこの図書館の特徴です。
はい。そうです。ここのボックスに入っている本は、右から3番目、上から2番目のボックスの中は全てトキコさんの本です。ちなみに私のボックスは、本棚の右から4番目、上から3番目のあれです。そう。シーグラスで飾られているやつですね。
この図書館の蔵書は、ボックスごとにそれぞれ別の所有者がいるのが特徴です。ボックスの中をどのようにレイアウトしても良い、本と共に、何か別なものを置いても良い、とされています。
「中学生が借りてるんですね。演劇部とかかしら。そもそも、あの集落の学校に演劇部ってあるのかなぁ。」
トキコさんは、そうひとりごちながら、新しく持ってきた本の他に、喋り方ワークショップのチラシなんかもボックスの中においていきます。
「そういうワークショップも、申し込んでくれたら、会えますね!」
私はトキコさんの独り言に返事をしながら、そういう出会いがあったら素敵だなぁと想像していました。
本が好きな人の特徴として、他の人の読む本の傾向から、「仲良くなれそう」とか「この人面白そう」などとその人に興味を持ち始めることが少なくありません。そして逆に自分の本棚を見せるということは、自己開示して内面をさらけ出しながら自己紹介をしているようなものだと、私は思っています。この特性を生かして、本を媒介にして交流が広がるような世界が作れたら素敵だなと思ったのが、この図書館のコンセプトとなっています。
「コーヒーをいただいて帰ろうなか。」
作業を終えたトキコさんが、庭の見えるソファー席に腰を下ろして言いました。手には、隣のボックスからとった「塩図鑑」という本を持っています。あれは、なみさんの本かな?塩だし。と、心の中で思いますが、私の今の立場、図書館一日司書としては聞かれるまで話しかけないという矜持があります。その作者はね、そしてその本棚の持ち主、なみさんはね、と知っている情報を伝えたい気持ちを我慢して、グッと見守ります。図書館ですから、自由に本を読む、そして美味しいコーヒーを飲む。というのが大原則なのです。
オーナーが丁寧に淹れてくれたコーヒーが、彼女の前に出されるのと同じタイミングで、再び扉が開き、「あ、コーヒーのいい匂い」などと言いながら、20代でしょうか、若い女子二人が賑やかに入ってきました。
「こんにちは。」
私は司書として挨拶をします。「いらっしゃいませ」と言えるのは、カフェのオーナーの井上さんだけです。なんとなく。
女子二人は、どう見ても観光客でしょう。夕方手前のこの時間にくるということは、人気が定着した、父母ヶ浜はこれから見に行くのかな?そんなことを思いながら、オーナーが二人に話しかける様子を眺めていました。
「いらっしゃい、カフェにしますか。図書にしますか。」
何度聞いても、その二択は面白いと思ってしまいます。この図書館に企画から関わっている私なので、「我ながら」と言ってもよいのですが、今回のような若い観光客の子達は、必ず一度、キョトン。とします。
「ここはあそこの本棚が図書館みたいに本を借りていただけるんですよ。よかったら先にご覧になりますか。」
そういうオーナーの説明に、女子たちはスマホを見ながら、「あ、カフェ&図書館って書いてある、そういうことなんだ!」などと合点がいった様子で、一度座った席を立ち、本棚の前に足を進めます。「あ、でも私たち、コーヒーも飲みます!」と注文したので、キッチンに立つことになったオーナーに変わり、私が二人に近づき、図書館の説明をすることになりました。
この本棚は、この街やここに縁のある人たちが、一つずつボックスを持っていて、自分のオススメの本を入れてくれているのです。どれも自由に手に取ってくださって構いませんし、ちゃんとお戻しいただけるなら、観光客の方でも貸出は可能です。郵送でお送り頂いても構いませんよ。
言い慣れた言葉でサラサラと説明をしていると、ふと、トキコさんの視線がこちらを捉えているのを感じました。そういえば、トキコさんは、演技や喋り方のプロです。そういう講師をしています。私はなにやら、今のトークをダメ出しされるのではないかと思ってしまい、非常に居心地の悪い感じになりました。肝心の観光客の二人は、そういう点はあまり気にしていないようで、「へぇー」とか「おもしろーい」とか言いながら、それぞれのボックスを眺めています。
ふと、背の高い方の女の子が、声をあげました。
「この、宗一郎のBOXって書いてあるボックスって、浜のコーヒー屋さんの人ですか?」
やはりそれか。だいたいおよそ多くの観光客は、本棚を見てまずはじめにこの「宗一郎」の存在に気づきます。仕方がないのです。その棚には、起業系や漫画系の本が並べられているのですが、それよりもインパクトのあるのが、彼の顔をイラストにしたステッカーが散りばめられていること。このステッカーが、海辺で出しているコーヒー屋のロゴにもなっているので、宣伝効果は抜群です。
「そうそう。そうです。宗一郎くんが好きな本を並べてもらっています。何か共通の話題になりそうな本はありましたか?」
私はこちらも定型文になっているセリフを続けます。
「夕陽を見に父母ヶ浜に行かれたらいると思いますので、本をネタに、話しかけてみてください。」
そういうと、「行こうと思っていたんですー!」と、ボックスの中を食い入るように眺めています。「あ、これお兄ちゃんが持ってた」とか「この漫画、知ってる」とか、そういう会話で盛り上がっています。
他にも、右から2番目、上から1番目にあるボックスは、近所で農家兼アクセサリー職人をやっている人の本。飾りはご本人が作られたアクセサリーですよ、販売もしています。オススメは、右から4番目、上から3番目にあるボックス。このボックスは、コーヒーを淹れてくれたオーナーの本が並んでいます。
そうして紹介していくうちに、「私もこの本好きですー」というように、共通項が見つかると、もうすっかり仲良くなった気分になれるので、本が好きな人種というのは単純なものです。
「あれ。このボックス。これ、お姉さんのボックスってことですか?」
背の低い方の女子が指差しているのは、まさにそう、私が管理しているボックスです。顔出しOKなどとふざけて、フェイスブックのプロフィール写真を掲載しているので、見つかるのは時間の問題でした。私のボックスには、私が東京からたまに通ってきてここの司書をしていること、この街にもう10年以上通っていること、など、簡単なプロフィールも載せています。
「お姉さん、東京から来てるんだ。私たちもです!」
ほら来た。観光客とは、だいたいこうすると盛り上がります。私は、今日は金曜日なので有給休暇を取って一日司書をやるために「今朝、高松空港入りしてここに直行したの」と、話します。今回は日曜日の夜までいて、変える予定です。
今回のように、私は二ヶ月に一度ほど、ここで司書をやるという理由をつけて、この街に通っています。滞在する理由ができたのと、ここにいると、トキコさんのように自分のたなの入れ替えがてら訪れる地元の人たちとも自然と交流ができるのがとても楽しいのです。
私と同じような理由で、東京にいながらこのボックスを所有している人も何人かいます。
ふと窓の外を見ると、傾きかけた陽が森に影を落とし、庭がオレンジ色に染まりつつあります。ここでこのくらい傾いているということは…
「あと20分くらいで、出た方が良いよ。浜も車が混むかもしれないから。」
この後、宗一郎コーヒーにもいくと言っていた彼女たちに、お節介ながらアドバイスも欠かせません。コーヒーを飲みながら、本を読むもよし、本棚を手がかりに、この街の観光情報を聴くもよし。本棚の持ち主に、共感レターやメールを送るもよし。この図書館は、普通の図書館と違い、コーヒーが飲めること、そして本を読む以上の出会いと情報が行き来しています。
「じゃあ、私はそろそろ。」
観光客の二人に、「浜に行ったら塩も売っているから」と塩図鑑を棚に戻しながら、トキコさんもちゃっかり街のみんなのPRを欠かしません。
「トキコさん、また東京ででも!」と見送りながら手を振って、陽が暮れたら閉店するこの図書館の一日が、終わろうとしています。さて、いかがでしたか。良い記事は書けそうですか?
私は、取材だということで訪れていたローカル雑誌の若い男性記者に言いました。見出しは女子受け、読書好き受けするようなものにしてくださいね、などというと、少し困ったように頭をかきました。
「思ったより、普通の図書館じゃない感じでした」
そういう言葉に、「でも、居心地は良いでしょ?」と言いながら、ずいぶん素敵な褒め言葉をいただけるようになったものだと、5年前の企画時からの道のりを思い出していました。
香川県の山あいに、普通じゃない図書館があります。
本棚は全部で20個のボックスの集合体でできていて、それぞれに、本の持ち主が違います。持ち主は、この図書館に本を預け、自分のボックスから本を借りてもらいます。そのほか、「私はこういう本が好きな人物です」というように、自己紹介に使っている人も多く、本棚をきっかけに、観光客が脚を伸ばすようになったという効果も出ていました。
希望者には、一日司書を担当することも可能で、東京から司書をするために通っているという女性もおり、様々な人が、様々な使い方で、ここを訪れているようです。
美味しいコーヒーと、山あいの広大な庭の風景、空の色の変化を見ながら、人々が交流する図書館で読書をするひととき。皆様も、ぜひ一度訪れてみてはいかがでしょうか。
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