見出し画像

6月6日のお話

これは私たちが暮らす世界とは少し違う世界のお話です。風景や生き物、人間と呼ばれる種族がいることなど、その世界は私たちの世界ととてもよく似ていますが、彼らは何度かの突然変異と文明の入れ替えを経た長い歴史を持っています。

今は一部の人が魔法を使い、多くの人が科学技術を使う時代。人間の居住区にだけ都会の街並みと自然が共存し、その他の大地は荒れ果てている。そんな世界のお話です。

4203年6月6日

あれから一年、世界のトレンドは一変いたしましたわね。」

世界の中でも辺境に位置する地、タルトスという農業地帯を統治する領主の館で、カリノは領主タルトナウス氏とバルコニーで紅茶を囲んでいました。

眼下に広がる庭園は大変見事で、タルトス領が農業で栄えている様がありありと反映されています。世界中の富豪たちを相手にした御用聞きを生業としているカリノにとって、上客も上客です。お茶を共にする時間も今回の取引を最大化させるための話題をちりばめるために頭を巡らせていました。

「初夏生まれのお嬢様には、この夏のトレンドを先取りすることと共に、ご年齢とお気持ちに合わせた素敵な服をご用意できると思いますわ。」

今日のカリノの役目は、領主の娘の誕生日パーティーのドレスを誂えるために、仕立て屋を呼ぶ。というものです。

主役が女性ということで、カリノ自身の仕事着は色彩のないモノトーンで揃えていました。自慢の白銀の髪も後ろでシンプルに束ねて目立たないように配慮し、下準備は完璧です。

しかし、肝心の仕立て屋が時間になっても姿を現しません。少し前に「道中でトラブルがあり、遅れる」という連絡は受けていましたが、どんなトラブルなのか、どのくらい遅れるのか、そういった情報が全くありませんでしたので、カリノはただただバルコニーから遠くに見える館の門が開くのを、会話をつなぎながら今か今かと待つしかなかったのです。

カリノは、全く開く気配のしない門を眺めながら、そっとため息をつき、このようなトラブルにたびたび見廻られる仕立て屋のことを今度こそクビにしてしまおうかということを考えていました。そうです、こういうことが一度や二度ではないのです。

ただ仕立て屋が言うトラブルというのは、それがどれも、単なる自己都合の遅刻などではありませんでした。大抵がトラブルに見舞われて困っている他人を見かけて助けているうちに時間に間に合わないという顛末になっているのです。そういうこともあり、カリノはこの仕立て屋をクビにするのもどうかといつも悩んでしまうのでした。

仕立て屋は、遅刻クセはありますが、カリノが富豪の仕立てを承るたびに呼んでいるほど、彼の仕事の腕には絶大な信頼を置いていました。彼以上に顧客の欲しい服を仕立てられる人物は他に知りません。替えが効かない人物だからなおさら、ため息をつきつつも、なんとかこの場を良い雰囲気にしたまま彼の到着を待ちたいと頑張ってしまうのです。

早く来なさいよ。

と、カリノが心の中で100回くらい呟いた頃、ようやく門の方が騒がしくなり、二人のもとに仕立て屋到着の知らせが届けられました。


カリノが信じていた通り、到着してからの仕立て屋の仕事は完璧です。領主もその娘も、待っていたことすら忘れてしまうくらい、仕立て屋の提案した服のデザインを気に入ってくれました。

カリノの信頼は、仕立て屋のそのセンスはもちろんですが、彼独自の採寸の技に拠るところが大きくあります。仕立て屋は、仕立て屋としての技術の他に、コトダマ派の魔法技術を持っていました。その魔法の力は、服を着る人物が心の奥底ではどういう人物になりたがっているのかということを炙り出します。コトダマ派の魔法技術にかかると、普通に周囲の人が質問するだけでは到底出てこない、本人すらも自覚していないような望みを汲み取る事ができるのです。

そうやって出てきた希望をデザインに起こしたものが、本人たちに気に入られないわけがありません。

ある意味反則ではあるけれど…

と、領主から大仰に述べられる感謝の言葉を笑顔で受け止めながら、カリノは心の中で舌をペロリと出していました。こうなることがわかっているから、カリノは仕立て屋がどれだけ遅刻を繰り返しても、責めることができなくなるのです。

ここで少し補足をしますと、一年前の出来事以来、コトダマ派の魔法使いというのは流行病を治癒できる者として非常に重宝されていました。そのため、多くのコトダマ派の魔法使いが、各地を旅して癒師として活躍していました。

そのような中で、仕立て屋の採寸に魔法技術を使い、仕立て屋を生業としているというのは大変珍しいことでした。それは、この一年、仕立て屋よりも癒師の方がはるかに儲けにもなる仕事へと変化したためです。

とはいえ、こうして一度仕立てで満足な仕事をしますと、次は必ずコトダマ派の魔法使いとしても指名が入ります。そうやってこの仕立て屋は富豪を相手に癒師としても仕事をしていたのです。

仕立て屋は自分の採寸技術のことを「たましいの採寸」と呼んでいました。「たましいの採寸までしないと、本当に身の丈と心の丈にあった服は纏えないだろ」という具合です。 

仕立て屋は、そのたましいの採寸をしているうちに、いつのまにか癒師としての治療も行なっているので、最終的に癒師として感謝されるのです。

想定通り、領主タルトナウスから次回の癒師としてのオーダーももらい、カリノは今回の仕事の報酬と次の着手金として、ずしりと重たい金貨の袋を受け取りました。

カリノはここから自分の取り分の「手数料」を一割だけもらい、残りの全てを仕立て屋へ渡します。カリノのような御用聞きの場合、他の相手との仕事ではだいたい手数料は三割ほどが相場です。しかし仕立て屋と組む仕事は特別でした。能力が特別だからというわけではありません。

領主の館を後にして、カリノと仕立て屋は途中の村で馬車を降りると、小型の馬に乗り換えると領地の中で一番貧しい集落へ向かいました。その集落の存在は、仕立て屋があらかじめ巻き込まれておいたトラブルを解決した時に仕入れておいた情報です。

集落の手前まで来ると、カリノと仕立て屋は先ほどの領主の館での上品な身のこなしが嘘のような軽々しさで馬を降り、集落の人々に溶け込むように気取らない笑顔で歩き出します。目指すは集落の中で不登光症候群に罹ってしまった家族を抱える家々です。

仕立て屋はここでは純粋な癒師として、コトダマ派の魔法使いとして治療を行うのです。そして、その治療費は受け取りません。仕立て屋としてカリノから多めにもらっている手数料の残りの二割が事実上の治療費になっているのです。

不登光症候群が流行り出して一年。

症候群の患者の数に比べて、コトダマ派の魔法使いが希少だったことで、治療費は高騰しました。そのため、この集落のように貧しいところでは治療が受けられないという、治療格差が広がってしまったのです。

カリノと仕立て屋が、手数料についての契約を改めたのはそんな時でした。手数料を削られることについて、カリノは随分悩みましたが、結局仕立て屋の熱意に折れる形で、承諾したのです。ただし、カリノは必ず治療に訪れた場所で、その土地の名産品を分けてもらうことを治療の条件にしました。集落まで、カリノが同行しているのはその取り立てという理由もあります。

カリノは治療を終えた仕立て屋と共に、とれたての農産物をもらいながら、いつも思います。ものをもらう時は、「ありがとう」と言われながらもらうに限るわね、と。








この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?