愛されること・心配してもらえること…… 受け止められない愛情の行き場は、どこへ仕舞いこんだらいいのだろうか?
物心ついた時には、父親と怒鳴る存在……
母親は私が言う事を聞かなければ癇癪を起し、手のひら…時には物を使って私をぶった。
最近になってこういった【躾】と称する体罰に関して厳しくはなったが……
私が経験してきたのは遥か彼方、遠い昔のことだ。
なんならもう行くのを辞めた精神科の先生も
「私たちの年代ではそういった体罰は日常的であり、当たり前である」
なんて話も聞いた。
ぼんやりそんなことを聞きながらも。
―――そうだとしても、自分の子供に手を挙げる親というのは一体全体何なのだろう……
この不信感だけはずっとぬぐえないでいる。
除籍をしてから出会った姉的存在……
歳を考えれば当たり前のように私の方が年下なので、すごく心配や面倒を見てくれる。
ただ……ネックなのは距離…。
ネット上で会えばすぐだが、実際の地図の距離にすれば400kmは離れている。
それでも心配事があれば仕事終わりに他愛のない話や、私が困っていることの話を親身に聞いてくれる。
そんな姉的存在も
私に
「もっともっと頼って、甘えてくれていいのだよ?」
と
言う。
実はいうと、
私はこの【頼っていい・甘えていい】の線引きが全く持ってわかっていない。
機能不全家族で育った私は親から『甘えは悪』
という教育のまま育った。
それはもうきっと2歳とかからだった。
親のいう事を聞かなかった冬のある日。
小学校にも入ってなかったまだ幼い私は父親によって吹雪の中の積雪がとんでもない外に、
パジャマに裸足という姿のまま放り出された。
家の扉を叩いてゴメンナサイとゆったらよかったのだろうか?
それでも幼いなかでも「あぁ、私が甘えてしまってそれで怒らせてしまったのだから…私が悪い」
と思ってなんとか吹雪は吹き込むものの、裸足のまま納屋まで歩き風から逃れた。
そのあとはたしか母親がそっと裏戸から家にいれてくれたことだけしか覚えていない。
だが
そうした歪んだ感情は実はもう2つ離れた妹が産まれたときからずっとあった。
甘え=悪
36年もの間こうした考えで育った…というか、その環境におかれていた。
だからこそ今、親というしがらみから解放されたにもかからわず、
大切な人との人間関係にすらその弊害が出てしまい……
高卒で専門に行くため故郷を離れた私だったが、
親は家賃・光熱費以外は支払わなかった。
なぜなら私がバイトが速攻きまったからだった。
それでも私は文科省の認可校でないが故に通学定期という、いわば学生が受けられる『公的割引』が受けられず
学校まで通勤定期だった。
額はゆうに一か月で1万円は超えていた。
そこに通学ルートとは違う、バイト先に行くための交通費・食費・通信料……
バイトだって8時間フルタイム、週5ではない。
頑張って働いても4万が限度。
その中で大体2万は交通費…そして私は美術系の専門だったので教材費……
4万では全く生活できなかった。
……このことに関しての詳しくはまた別件で書きたいと思う。
こうした親からの精神的虐待を受けていたので
やはり
誰かがたよってもいいよ
とか
甘えていいよ
とか
言われても
とんでもなく恐縮してしまう。
どこまでが甘えで
どこまでが悪なのかが全く持って検討が付かない。
そして
昨年末、どうして?
という事件に巻き込まれ
ひどいときには水すら口にできなかった。
私は被害者側だが
血縁関係にすら責められ……
被告人が100%悪いのは知っているが……
こうした血縁からの何度も何度も心無い言葉のせいで
結局自分を責めた。
周りに迷惑をかけたのは自分が弱いから
こんな事件に合ったのも自分が弱いから
寝ていてもずっとずっと寝た気がしない日が続いた。
目をつむってもずっとマイナスの考えしか浮かばなかった。
結局年明け、PTSDの診断が下った……
だとしてもこんなことを言ってもきっと親は変わらないし
今はそんな親に報告する事もない。
乾いた笑いだけが私の中に響いた。
どうしたら
素直になれるのだろうか……
一生かかってもきっと治らないのかな
と
少しだけ悔しい気持ちでいっぱいだし
やはり
こんな性格にした親が憎いです。
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