女としてみる、ということ
最近は色んな映画をネットフリックスで観ています。
インプット作業って楽しいですね!アウトプットへの意欲に繋がります。
映画やドラマ、漫画や小説を読んでいると、「女としてみてほしい!」「女としてみてくれないから〜」などの表現が現れます。(ツイッターなどのリアル寄りの場面でも見かけますが……)
きっと頻度としては時々なんでしょうが、個人的に引っ掛かる文言なせいで、しょっちゅう出てくるなコイツ……といった感覚です。
この表現は大抵、男側が行為を拒むタイプのセックスレスや、女が浮気をするような展開で使われているように思います。
アセクシャルの私としては、え??????そんなにセックスしたいの???????相手はする気ないのにそこまで?????怖…………。となってドン引きしてしまうのが一連の流れです。
何で作品の中の彼女らは「女としてみてほしい」のでしょうか?
私は「女としてみてほしい」とは全く思わないです。「人間としてみてほしい」と切実に思っています。
「女としてみてほしい」と叫ぶ彼女達を見ると、じゃあ人間としてみてほしくはないの???と思ってしまう。何故なんだろう。
私の中で「女としてみる」=「男性によってモノとして性的に消費する」ことだと思っているからだと気が付きました。
だって女としてみてほしい、といった言葉は、直訳してしまえばセックスしたい・抱いてほしいということだろう。
私にとって「女としてみる」は「一方的に性的消費されたい」ことになり、「対等な人間として扱わない」ことになってしまう。
だから、こんなにもこの言葉に嫌悪感が募るのか!
こうやって文章を書いているうちに気がついてしまった。
そもそも子どもを作る以外のセックスは無駄でしかないと考えているので、私がこの文脈での"女"に該当する訳がないのか…………。マジョリティに訴えかけるための作品だもの、作者が想定している読者に、アセクシャルである私はいないんだろう。
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