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2023年のところてん

手品みたいに鳩が飛び出すことを期待してる人は読まない方が良い!

脳みそチリチリ

新田さんの小説とか本当は読みたい。本屋に行ってブックカバーを眺めたり、面白そうなタイトルの本を手に取ってみたり、もっと言えば購入したりする段階までは今だって楽しいと思える。しかし、読めない。もう10年くらい。脳みそがチリチリする感じがある。本を読むとチリチリするというか、本を読むことを想像するともうチリチリしてしまう。文章がダメということでも無い。Twitterなどを通して日々何かしら読んでいるのだから。あと映画やドラマが見られない。これもチリチリ。

以前

30歳くらいまでは馬鹿みたいに小説を読み漁ったし、映画もそうだった。単に物語に入り込みたいというのもあったし、新しい感覚を吸収したいという意識もあった。30歳くらいで大きな変化があったのでそれが原因だということは大体明らかだけど、ここでは言及しないことにする。一つ言えることは、その変化以来、明確な焦燥感が自分の中にある。何に焦っているのかは分からない。本や映画がダメになったのはそのせいだ。とりあえず必要不可欠では無いものにまとまった時間を割くことが我慢できなくなった。大喜利に参加する。ボケを考えて投稿する。投票結果を待つ。これだってもちろん必要不可欠なわけないけど、何が違うんだろ。

空中を睨んでいた

僕がネット大喜利を始めたのは39歳なので、大体9年間、本も映画も失って、人生に潤いみたいなものが皆無だった。本当につまらなかった。余暇の時間にやりたいことが何も無いというのはすごく苦しい。仕事から帰って寝るまでの間、ベッドでタバコをふかして空中を睨んでいたって感じ。大げさで無く。何か!誰か!俺がここにいるぞ!

ネット大喜利

何はともあれネット大喜利に行き着いた。そうしたら何とだ、それは本や映画を濃縮したみたいな機関だった。完全に代替されるものではもちろんないけど、かなり良いものに出会った。感動もあるし、新しい感覚を目にすることができた。あとは単純に勝ち負けが好き。お金とか職業能力と違って、自分の本体で挑むみたいな勝負。

ありがとう

今はありがとうと思っている。長くやっているとうんざりすることもあるけど、まだ続けられそう。でもこれってやっぱり色んなサイトや企画を仕掛けてくれる人がいるからで、だから自分もやれる範囲で企画とかしたいとは思う。とりあえず大喜利が無くなったら困るから。

一人で死ぬ

大喜利あと何年できるだろうか。いつかやめてしまったら、また空中を睨む時間が始まる。新しい趣味ができるかも知れないけど、絶対に大喜利よりクソつまらないだろう。あとそのうち自分1人になる。ほぼ確実に。そして一人で死ぬのだ。これって悲惨なことだろうか。今のところそんなに怖くはない。死んだ猫がこの世で1番美しいっていうシーモア・グラースの言葉を信じている。一人で死ぬおじさんもまあまあ美しいはずだ!

おまけ

僕らが死ぬ時代には死ぬって今とは違うものになっていたりして。何言ってんだ!と言わないで。そういうこともあり得るんだから。死自体は変わらないけど、死ぬ瞬間までの滑走路みたいな部分は変わっていきそう。適当に言ってるもちろん。

おしまい

あ、大喜利大使が閉鎖する、悲しいけど、ありがとうございました。


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