星明かりの読書

(2004/05/01記)

 ネパールのアンナプルナ山麓へ行ったことがある。ガンズルックという集落のロッジにトレッキングパーミッションが切れるまで逗留したのだが、ある日、夜更けに目が覚めて部屋の外へ出ると、かつて遭遇したことのない星明かりに打たれて全身が硬直し、動けなくなった。本当に星が降ろうとしていた。月はなく、山の陰は本当に漆黒だった。だが、星から光を受けている地上のほとんどは見通せるかに思われた。

 30分ほど表にいるあいだに母のことを思い出した。ここへたどり着くまで私は、一段80センチ近くある階段が刻まれた急斜面を、40リットルのザックを背負って4日歩き続けていた。途中、あまりのつらさに2度ポーターを雇い、街道に出たときはダム建設に向かうというダンプをヒッチハイクもした。長逗留の理由はロッジのチャイが気に入ったからだけでなく、腫れ上がった足が、それ以上奥へ進むことを拒んだからでもあった。

 母は体が弱く、アクティブな質でもない。彼女は生涯この光景を見ることはない。そう思うとわき上がる感情があった。母は個人であると同時に、この光景を目撃せず終わる大多数の人間の一人として意識されていた。かすかな憐憫と優越感は巡りめぐって、同じように世界の大半を目にすることなく一生を終えるであろう自分にも向かった。人間の機会と能力の不公平に対する如何ともしがたい諦念とささやかな不満。

 深夜、デスク・ライトひとつで北村薫さんの「円紫師匠と<私>」シリーズ(創元推理文庫)や、村上春樹さんの『神の子どもたちはみな踊る』(新潮社。文庫版もあるが、古書店で入手可能なソフトカバー版を推薦する)を読んでいると、そのときの気持ちに少し近づく気がする。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?