本屋風情

(2010/07/30記)

 戦前、民族学や人類学などを得意とする岡書院、山岳関連書籍専門出版社である梓書房を興し、自ら編集者として南方熊楠、折口信夫、金田一京助、新村出、柳田国男ら、名だたる人文学者と交わった岡茂雄。

 氏は戦後になって三冊のエッセイ集を世に送っている。そのうちの一冊が『本屋風情』(現在は中公文庫)で、出版社の経営と本作りの苦心や、著者づきあいの難しさを豊かなエピソードで綴った名作である。

 同書のタイトルは、岡茂雄が原稿を依頼するため初めて柳田国男を訪れた際、いきなり浴びせられた、「街の本屋風情が何をしに来たか」という嘲笑とも罵声ともつかない言葉を枕にしている。

 岡が偉かったのは、そこで怒るでも卑屈になるでもなく柳田の信頼を得て、きちんと仕事を取ったことである。評伝などを読んでも、柳田国男は相当、性格的な問題がある人だったようだ。

 私など頭に血が上りやすいタチなので、難しい著者と出会うたびに『本屋風情』を服用し、気持ちを落ち着けるよう心がけてきた。

 一九九九年六月にNTT出版に移籍した私は、その年の秋、かねてあこがれの北岡伸一さんに執筆依頼の手紙を送り、その文末を「拝眉の上、あらためてお願いをする機会を得たい」と結んだ。

 三日後、研究室に電話すると穏やかな調子で、ご当人が出た。とてもご機嫌うるわしく、いつでもお出かけ下さいと言われたので日取りを決め、後日、東京大学法学部をお訪ねすることになった。

 それだけに、本郷のオフィスで対面した北岡さんがいきなり「街の本屋さんが私に何の御用ですか」という第一声を放ったときには目が点になった。

 なにしろ昔の話で、すでに記憶が曖昧になっている。このとき北岡さんの表情が真顔だったか、笑いを含んでいたかはじつは覚えがない。

 ただ、後者だったような気がするのは、私が北岡さんの言葉に笑いながら「岡茂雄ですか」と応じ、その後は非常にスムーズに話が進んだのみならず、さらにルオーへ移動してカレーをおごってもらったという経緯があるからである。

 北岡さんは忙しい。ご挨拶から一〇年以上経ち、今もたまにお目にかかると「神谷さんともそろそろ長くなりましたね。何か書かないといけないなぁ」とおっしゃってくださるが、具体的な動きはない(苦笑)。

 それでも私は北岡さんが大好きで、そう言ってくれることが嬉しくて仕方ない。いずれはお仕事をお手伝いできればと念じつつ待っている。

 こんな出会いがあるかと思えば、不幸な邂逅もある。先日、某執筆者から受け取ったメールはその最たるもので、体調が思わしくないことも重なり、読んだ瞬間、血圧が上がって目の前に真っ青な斜線が降りてきた。

 二十年足らずの編集者人生だが、編集上の提案をすべて拒絶された上に「長年物書きを続けている者の感性に泥足で踏みこむようなことはすべきでない」などと返されたのは初めてだった。

 お願いしたのは寄稿してもらった編著(そのかたの単著ではないのだ)における他章との語句の統一や、一般読者を念頭に置いた解りやすい言い換えなど、正直なところ、いちいち執筆者に断るまでもないレベルの話である。

 それも、年長者に気を遣って書いた「変更のお許しを得たい」という丁重な文面に対する返答だった。全身全霊を込めた仕事を「泥足」呼ばわりされては…。

 憤懣やるかたない気持ちではあったが、すこし時間をおくうちに『本屋風情』が心に浮かぶくらいには落ち着いてきた。

 すると、面白いアイデアが浮かんだ。

 岡茂雄は、柳田から「本屋風情」呼ばわりされたとき、やはり当初は憤激したという。しかし、次第に「本屋風情」も悪くないと思うようになり、仕舞いには自分で「本屋風情」を名乗るようになった。

 なるほど、怒りごと飲み込んで、「泥足」を自分のものにしてしまえばよいのだ。

 いつもより早めに帰宅した私は書斎に入ると構想を練った。服部畊石さんの『篆刻字林』(木耳社)を取りだし、ページをめくると、なかなか景色のよい書体がいくつか見つかった。

 書棚を見渡すと、台湾に行くたびに買ってきては、いつ使うともない瀋陽黄石や青田石がいくらもころがっている。

 手紙に捺すのに手頃そうな八部角の瀋陽黄石があった。これに「泥足」と彫ってやろうというのである。雅号などというものは、格好をつけようとすると捻りすぎてしまうものだ。「泥足」。うん、高橋泥舟を思わせなくもない。なんかいい感じになってきたぞ(笑)。

 雅印もいいが堂号印も面白いかも。書斎に名前をつけるとき「○○堂」とすることが多いので、それを指していうのだが、別に「○○館」でも「○○閣」でもよい。

 泥足館、泥足閣、泥足堂、泥足庵、泥足軒、泥足亭、泥足房、泥足居、泥足屋、泥足舎…。房と舎は多少マシだが、全般的にはどうもイマイチだ。やっぱりシンプルに「泥足」でいこう。

 手紙の終わりに捺す「竜介白事」、堂号印というより雅印として使うことの多い「俯旗軒」以来、篆刻もご無沙汰だったが、こんなことで久々に彫ってみようという気になるとは思わなかった。

 日本語で音読みすると「デイソク」だが、呉音だと「ナイソク」、漢音だと「デイショク」、ピンインだと「nizu」となる。

 等松春夫さんの「小原台閑人」「浦賀粋堂」や、君塚直隆さんの「池袋老公」に比べると雅でも粋でもないが、それもまた私らしい(苦笑)。

 何よりこんなことを考えているウチに、すっかり楽しくなって、著者との行き違いもメールへの苛立ちもどこかへ飛んでいってしまった自分に気づく。

 いやはや文房清玩とはよくぞ言ったもの。こうしてまたもや、私は『本屋風情』に救われたのだった。

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