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ローマ教皇がやってくる!

(2020/01/20記)

 今回のフェアの開催期間中である一一月二三日から二六日まで、ローマ教皇フランシスコが来日します。

 カトリック教会の総本山バチカンのトップであるローマ教皇が日本を訪れるのは、一九八一年のヨハネ=パウロ二世以来なんと三八年ぶり。

 世界で一二億人とも言われる信者の頂点に立つフランシスコとはどのような人物なのでしょう。

 まずは貴重な写真とエピソード満載の『新生バチカン 教皇フランシスコの挑戦 増補改訂版』(日経ナショナルジオグラフィックス社・三〇八〇円)で、その人となりに触れてください。

 バチカン内外での教皇の姿を撮影したロバート・ドレイパーの写真だけでも見応えはありますが、教皇の理念や活動記録をはじめとする記述も充実していて、バチカンと現代社会の関わりを知る入口には最適です。

 また、ラテンアメリカの近現代史に詳しい乗浩子さんの『教皇フランシスコ』(平凡社新書・九九四円)は、南半球から選ばれた初めての教皇(アルゼンチン生まれ)という点に着目しており、要チェックです。

 パスカル・ボニファスがまとめた『現代地政学 国際関係地図』(ディスカバー21・二五三〇円)を一緒に手元に置くと、教皇の活動の世界大の広がりが実感できるでしょう。

 かつてカトリックは、長らく信者に政治的な活動を禁じていました。

 その方針を転換し、教皇から信者へ(正確にはカトリック教会の司教宛)のメッセージである「回勅」によって社会問題への態度を鮮明にするようになったのは何故だったのか、という疑問に答えつつ、近代から今日に至るバチカンの変化の全体像を描き出すのが松本佐保さんの『バチカンと国際政治』(千倉書房・四九五〇円)です。

 世界経済や国際政治においては主要なプレーヤーであるものの、キリスト教に限らず宗教と社会の関わりが希薄な日本では、そもそもバチカン、ローマ教皇が国際的にどのように位置づけられ、どのような役割を担っているのか意識されることはありません。

 しかし考えてみれば、キリスト教の影響力が強い欧米諸国はもちろんのこと、グローバリゼーションを下支えしてきた多くの国際機関や条約・協定は西洋近代の規範に則っており、そこにキリスト教の精神(モラール)が反映されていないはずがありません。

 この点についてはかつて橋爪大三郎さんと大澤真幸さんの対談集『不思議なキリスト教』(講談社現代新書・九二四円)が指摘していますが、国際政治にこうした観点から切り込んだ書籍は日本ではおそらく初めてで、『バチカンと国際政治』を読んでから小川浩之さんたちの『国際政治史』(有斐閣ストゥディア・二五三〇円)や山田哲也さんの『国際機構論入門』(東京大学出版会・二八六〇円)といった国際政治学の定番書を再読するだけでも、今まで気づかなかった歴史的補助線が引かれていることに驚かされるでしょう。

 現代の国際政治が直面する倫理的な危機をめぐり「人道的介入の非人道性」や「平和構築や民主化の直面する矛盾」といった道義的難問に迫った高橋良輔さんたちの『国際政治のモラル・アポリア』(ナカニシヤ出版・三七八〇円)と並べて読んでも興味深い視座を得られるはずです。

 「回勅」は主に道徳的問題にかんする教皇の立場を示すもので、それだけに歴代教皇の志向や考え方、それらの背景となった時代の空気を映し出すことにもなります。

 先に触れたバチカンの方針転換(信者による政治的活動の解禁)に大きく関わっているのがヨハネ二三世の『回勅パーチェム・イン・テリス』(ペトロ文庫・六一六円)で、現在フランシスコが進める環境問題への取り組みの根底にあるのが『回勅ラウダート・シ』(カトリック中央協議会・一五一三円)です。

 今回のフランシスコ訪日のテーマに掲げられた「すべてのいのちを守るため」は、「ラウダート・シ」に収録された「被造物とともにささげるキリスト者の祈り」から取られたものです。

 どちらの回勅にも、カトリックが時代の課題とどのように切り結んできたかを読み解く面白さがあります。

 とは言え「回勅」の意義を深く味わうには、キリスト教にまつわるいくらかの知識が必要になることも事実です。

 日本というのは大した国で、これだけ宗教にかんする意識が低いにもかかわらず、不思議なことにキリスト教を知るための優れたテキストには事欠きません。

 いま日本では十数種類の新約聖書が読めるのですが、教皇の来日を機にひとつ手に取ってみようという好事家には、異色(異端?)の聖書学者・田川建三さんによる『新約聖書 本文の訳』(作品社・四四〇〇円)をお勧めします。

 古典の翻訳には欠かせないテキスト批判が徹底されており、なおかつ訳文の日本語が素晴らしいのです。

 今まで幾度も聖書にチャレンジしたけれど読み通せなかったという人にこそお試しいただきたいと思います(本書には判型を小さくして価格を下げた携帯版があるのですが、縮刷のため読みにくいです。安く済ませたいかたも、ネットで携帯版を買う前に、念のため書店で現物をご確認ください)。

 そして新約聖書を手に取ったら、忘れずに阿刀田高さんの『新約聖書を知っていますか』(新潮文庫・六九三円)も並べて読んでください。

 この古典的名著は、福音書に記された「奇跡」をいくつかの類型に分けながら、初心者が必ずつまずく聖書の疑問点にミステリー作家らしい視点で迫ります。興味が湧いたら姉妹編の『旧約聖書を知っていますか』(同・七三七円)も是非!

 長いキリスト教史そのものを辿るには小田垣雅也さんの『キリスト教の歴史』(講談社学術文庫・一〇六七円)、特に近現代のカトリック史に絞って読むなら松本佐保さんの『バチカン近現代史』(中公新書・九四六円)がコンパクトながら充実しています。

 両書ともキリスト教世界の出来事と世俗の出来事がどのように連関して事態が進んだかを丁寧に説明しているので読みやすいと思います。

 もう少し思想史的な流れをつかみたいかたには、田上雅徳さんの『入門講義 キリスト教と政治』(慶應義塾大学出版会・二五九二円)を挙げておきます。

 近代国家という世俗の権力と宗教の関係を語るには、どうしても思想の問題を避けて通れないので、松本さんの『バチカンと国際政治』を読んで、イタリア(国家)とバチカン(宗教)が対立する「ローマ問題」のあたりがピンとこなかったという読者にも格好のサブテキストになるでしょう。

 このあたりをピンポイントで深掘りしたいという意欲的な読者には、原始キリスト教からナチズムに至るヨーロッパ精神史の潮流を整理した古典中の古典、南原繁の『国家と宗教』(岩波文庫・一一六六円)をお勧めします。

 おおよその歴史をつかんだら、次にキリスト教の考え方や道理を押さえたいところです。手がかりになる本は多いのですが、まずは有馬平吉さんの『キリガイ』(新教出版社・一五一二円)をどうぞ。

 このちょっと不思議なタイトルがついた本の著者は、国際基督教大学高等学校で行われている「キリスト教概論」、略して「キリガイ」を担当する先生。

 といっても本書は授業で使われる「教科書」ではなく、授業を踏まえて出題される記述式の期末試験に、必ずしもキリスト教に詳しいわけではない生徒たちが寄せた答案から選りすぐった「名(迷)言集」なのです。

 挙げられた問いは「自分がモノ扱いされたらどう?」「なんのために働くの?」「キリスト教かキリストか?」「自分のなかにも罪がある?」「愛は体験しないとわからない?」等々、急に突きつけられたら答えに詰まる難問ばかり。

 高校生たちの懸命な試行錯誤のなかに、図らずもキリスト教的思考の萌芽や大人には考えもつかない切り口が立ち現れるという仕掛けで、なかなか奥が深いです。

 個人的には本書と並べてニーチェの『善悪の彼岸』(岩波文庫・一一一一円)を読んでほしいのですが些かマニアックすぎますかね。

 『キリガイ』でウォーミングアップを済ませたら、もう少し本格派に進みましょう。

 ともにクリスチャンである評論家の若松英輔さんと哲学者・山本芳久さんの対談集『キリスト教講義』(文藝春秋・二〇三五円)は全六章からなり、それぞれ「愛」「神秘」「言葉」「歴史」「悪」「聖性」について、聖書を引きつつカトリックがどのような思索を巡らしてきたかを語り合います。

 ただし、要所で聖書のみならずトマス・アクィナスの『神学大全』(創文社)をはじめとする様々な文献が引かれるなど、かなり歯ごたえのある議論が展開されますので、腹をくくって取り組んでください。

 外務省出身の作家・佐藤優さんと言えばテレビなどで強面な印象が一人歩きしているかも知れませんが、じつは同志社大学神学部出身のクリスチャンで、キリスト教にかんする著作も片手には収まりません。

 代表的な作品である『神学の思考』(平凡社・二五三〇円)と、その続編『神学の技法』(平凡社・二六四〇円)の風合いが、若松さん、山本さんの本とやや異なるのは、佐藤さんがプロテスタントであることにも由来すると思われます。

 共産主義の国ロシアとタフなネゴシエーションを繰り広げてきた人だから、という訳ではないでしょうが、無神論や三位一体論についての分析はユニークです。

 ロシアやウクライナ、ギリシャといった東方正教会にきちんと言及していることも特筆すべき点で、現在フランシスコのバチカンが積極的に推進し、松本さんの『バチカンと国際政治』でも繰り返し語られる、宗派や教派の垣根を越えた和解への動き「エキュメニカル」への理解を助けてくれるでしょう。

 最後に、宗教と現実社会の齟齬を考察する手がかりとして、広く経済にかんして池上彰さんたちの『宗教と資本主義・国家』(角川書店・一七二八円)、戦争について石川明人さんの『キリスト教と戦争』(中公新書・九〇二円)、道徳をめぐってハイトの『社会はなぜ左と右にわかれるのか』(紀伊國屋書店・三〇八〇円)という三冊をお勧めして筆を擱きます。

 三八年ぶりの教皇来日をきっかけに始める読書という、なかなか得がたい経験を是非ご一緒しませんか?

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