鬼滅の刃をみて、ジョジョっぽさを感じた話
遅ればせながら大ヒットした漫画「鬼滅の刃」をkindle版で20巻まで一気に読みました。先にアニメ版も見ていたので、面白さはわかっていたつもりですが、漫画もやはり面白いです。残りの完結までの話が気になります。
さて、今回は面白さの話は置いておき、読み終わった後にふと感じたジョジョっぽさについての考察です。
※※※ 以下、ネタバレを含む可能性があります。 ※※※
はい、それでは解説しましょう。
まず個人的なジョジョの把握状況について、共有しておきます。漫画は1~7部まで読んでおり、8部も途中まで読んでいます。ここ数年でアニメ化されましたが、それらも全て見ています。(ちなみに6部が好きです)熱狂的なジョジョファンではありませんが、それなりに嗜んでいるぐらいの読者です。
さて、鬼滅の刃を読み終わったときに、無意識のうちにジョジョっぽいなと感じました。「波紋の呼吸」と「全集中の呼吸」で似ているなどという話ではありません。自分なりにちょっと考えたところ、作品を通して描かれているもっと根源的なものが似ているのではないかとの仮説を持ちました。
「ジョジョの奇妙な冒険」で一貫したテーマとされている「人間賛歌」。これがどうやら「鬼滅の刃」にも感じられる。
「人間賛歌」については下記の記事で、荒木先生により以下のように定義されています。
「人間賛歌」とは、人間の意思や成長がすべての問題を解決するということ。
主人公がこの「人間賛歌」を体現していると感じたのです。主人公の竈門炭治郎は、家族を奪った元凶である鬼舞辻無惨を倒すために、修行し、鬼と戦います。戦いのなかで絶望的な状況でも、決して諦めることなく、自分を奮い立たせ手強い鬼に立ち向かっていきます。時に重症を負うほど傷つきながら戦っていきます。言ってることとやろうとしている事が一貫しているように感じました。
また、作品を通して描かれる信念や主人公達の戦い方が、ジョジョの奇妙な冒険で描かれている様が、いい意味で似ているなと感じたのです。単純な主人公サイドの描かれ方を見ても、腹に腕が貫通しているし、腕は切り落とされるし、いろいろと切られ突き刺されます(笑)。グロっぽい所の描き方もジョジョっぽさを感じているところかもしれません。。
とりあえず、今回はここまで。あとで、加筆するかもしれません。お読みいただき、ありがとうございました。
サポートいただけると嬉しいです! 今後も感じたことや見てきたことを記録に残していきたいと思います。