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「そこに山があるから」 の起源についての検証

この記事のまとめ

・藤木九三が「because it is there」を日本に紹介したとは言えない
・藤木九三が「because it is there」の「it」を「山」と訳したとは言えない
・藤木九三が「そこに山があるから」という表現を初めて使った可能性はある。しかしながら、それは「山がそこにあるから」という表現が用いられた後であるため、藤木九三が「訳し」ているとは言えない
・「山がそこにあるから」という表現は、映画『エヴェレスト征服』の字幕が起源である可能性がある。しかしながら、字幕について裏取りは出来ていない

はじめに

 「登山家の藤木九三によって、「because it is there」が「そこに山があるから」と訳された」という記述が、様々な場所で散見されます。しかしながら、資料を検証していくうちに「藤木九三が「そこに山があるから」と訳した」とは言えないのでは?という結論に辿り着きました。
 また、1954年に公開された映画『エヴェレスト征服』の字幕が「山がそこにあるから」という表現の起源なのではないかという仮説が浮かんだので、その内容をここに報告します。

既存の資料の検証

 私は、藤木九三自身が「「そこに山があるから」と訳した」と主張している記述を見つけられていません。よって、「藤木九三が「そこに山にあるから」と訳した」とする説(以下藤木説とします)の根拠は、藤木が没した後に書かれた資料に基づいているものだと考えています。

 ここでは、藤木説の根拠になっている既存の2つの資料を検証していきます。

2004年3月6日付の朝日新聞の記事

 藤木説の大きな根拠になっているのが、2004年3月6日付の朝日新聞に掲載された「be on Saturday そこに山があるから」です。この記事は、朝日新聞記者の宇佐波雄策によって著されたもので、藤木説の根拠になっているのは、藤木九三の息子である藤木高嶺に行ったインタビューを元に書かれた箇所です。
 
 ここには、次のように書かれています。

マロリーの言葉を第2次世界大戦後間もなく日本に紹介したのは、日本の登山界の草分け藤木九三氏だった。その三男で、探検家の藤木高嶺氏(77)はこういう。
 「父は戦前、英国に留学し、欧米の登山界に通じており、敗戦間もない昭和25年に『ヒマラヤ登高史』という本を書き、その中でマロリーの言葉を『そこに山があるから』と訳した。『山』は厳密にはエベレストを指すのですが、まあ意訳ですね」
『朝日新聞』2004. 3. 6

 しかしながら、この箇所には誤りがあったため、3月20日付の同新聞で次のように訂正が行われました。

 6日付「ことばの旅人」1面本文で、藤木九三氏が「昭和25年に『ヒマラヤ登高史』という本を書き、その中でマロリーの言葉を『そこに山があるから』と訳した」とあるのは、「昭和29年に『エヴェレスト登頂記』という本を書き、その中でマロリーの言葉を『山があるからだ』と訳した」の誤りでした。
『朝日新聞』2004. 3. 20

 1950年の『ヒマラヤ登高史』という本は実在しますが、その中に「そこに山があるから」という表現はありません。1954年の『エヴェレスト登頂記』という本も実在しており、その中に次の記述があります。この訂正内容自体は正しいものです。

(前略)名登山家ジョージ・マロリーは、知人から「なぜ命がけでエヴェレストに登るのだ?」と尋ねられた時に、何気ない様子で「山があるからだ」と答えたと伝えられる。
藤木九三 1954 『エヴェレスト登頂記』 河出書房 p. 4

 記事の主張を、訂正された分もまとめて整理すると、
「藤木九三が1954年2月に出版された『エヴェレスト登頂記』において、「because it is there」を「山があるからだ」と訳し、マロリーの言葉を初めて日本に紹介した」というものになります。

藤木九三が初めて「because it is there」を日本に紹介した?

 記事中の「藤木九三が「because it is there」を初めて日本に紹介した」という記述は間違っていると思われます。なぜなら、1954年2月よりも早い時期の資料に、マロリーの「because it is there」に由来する記述が存在しているからです。私が見つけられた中で最も古い記述は、1953年8月号の『山と渓谷』に掲載された、島田巽の「エヴェレスト遠征小史」にあります。

 ーなぜエヴェレストに登りたいのだ?
 マロリー「その山があるからさ」
島田巽 1953 「エヴェレスト遠征小史」 『山と渓谷』 1953年8月号 山と渓谷社 p. 23       

 1953年8月の資料に、「because it is there」に由来する表現が登場している以上、1954年2月の本で「山があるからだ」という表現を使っていても、「藤木九三が初めて「because it is there」を日本に紹介した」とは決して言えません。一応、1953年8月以前の藤木九三の資料に、それっぽい表現がないか探しましたが、私には見つけることが出来ませんでした。

 「藤木九三が初めて「because it is there」を日本に紹介した」ことの裏取りが出来ない以上、この記事はきちんとした裏付けに基づいて書かれたものとは言えません。そもそも、該当する表現が存在しない『ヒマラヤ登高史』に「そこに山があるから」があると記述している時点で、疑われてしかるべきです。
 この記事は信頼の出来る資料とは言えないため、藤木説の根拠とすることが出来ません。

『名言の正体』

 藤木説のもう一つの根拠になっているのが、名言収集家の山口智司(現在は真山知幸名義で活動)によって著された『名言の正体』という本です。

 この本には、次の記述があります。

 ”Because it is there. (そこにそれがあるから)”
 この言葉が、日本では、登山家の藤木九三によって、「そこに山があるからだ」といささか哲学的に和訳されることとになる。
山口智司 2012 『名言の正体 大人のやり直し偉人伝 電子版』 学研教育出版 p. 83

 この本において、藤木九三に関する記述はこれだけです。山口は、藤木説の根拠となる資料等は示していません。参考文献に挙げている資料の中にも、藤木が訳したとしているものはありません。
 何を根拠に藤木説を主張しているのか分からない以上、この本の記述を検証することは出来ませんし、検証出来ない以上、この本は信頼の出来る資料とは言えません。よって『名言の正体』も藤木説の根拠たりえません。

「そこに山があるから」の起源の検証

 以上に書いた通り、朝日新聞の記事は内容が破綻している・『名言の正体』は一切の根拠を示していないため、既存の資料からは「そこの山があるから」の起源を辿ることは出来ません。

 そのため、その起源については新たに資料を検証する必要があります。ここからは、現時点での検証結果を紹介していきます。

「it」を「山」と訳したのは誰?

 1953年12月22日付の読売新聞の記事「白線 山があるから」に、「山がそこにあるから」という表現が登場します。これは、私が見つけられた中では、「it」を単なる「山」と受けた表現がある最古の資料です。

 人はなぜこんなに苦労して山に登ろうとするのか。一九二四年に頂上付近で行方不明になったマロリーが『山がそこにあるからだ』と答えたが、これこそ真のスポーツの精神だといえるものだろう。
『読売新聞』 1953. 12. 22

 この記事は無記名のため、誰が書いたものか分かりません。ただ、私はこの記事の著者が「it」を「山」と訳したとは考えていません。なぜなら、この記事は1954年1月に公開されることになる映画『エヴェレスト征服』の試写を見て書かれたものだからです。
 私は、映画『エヴェレスト征服』において、「山がそこにあるから」か、あるいはそれに近い訳の字幕がつけられ、それを見た人物がこの記事を書いたのだと考えています。

映画『エヴェレスト征服』

 映画『エヴェレスト征服』は、1953年にエベレスト登頂を果たしたイギリス遠征隊の記録映画です。日本では東和映画が配給を行い、1954年1月26日に封切りされました。この映画には、二回「because it is there」が登場しています。

字幕についての情報
 
石川輝夫の『清水俊二翻訳著作目録』の中に、 『エヴェレスト征服』の名前があるため、字幕を担当したのは清水俊二であると思われます。清水俊二は、多くの英米映画を担当した人物で、『映画字幕五十年』という本も著しています。
 しかしながら、字幕について判明したのはここまでです。色々と探しましたが、当時の字幕が分かる決定的な資料は見つかりませんでした。一応、当時のフィルム自体は国立映画アーカイブに保存されているようですが、個人での閲覧は不可能なのでこれ以上の追求は出来ませんでした。なので、ここからは当時映画『エヴェレスト征服』を見て書かれた資料を元に、当時どのような字幕がつけられたのか推測していきます。

映画『エヴェレスト征服』を見て書かれた資料

 そもそも、エヴェレストはこの一世紀のあいだ、ずいぶんたくさんの人を食った山である。そういうおそろしい山に、なぜ人々は登ろうとするのであろうか。(中略)
 この問題について、この映画の解説者は、一九二四年の昔、頂上からわずかに一、◯◯◯フィートの高さに迫りながら、この山に食われて死んだ有名な登山家マロリーのことばを借りて答えている。問「彼らはなぜ山にのぼろうとするのか」。答「それは山がそこにあるからさ」(Because it is there.)と。 
大内兵衛 1967 「エヴェレスト征服」 『現代・大学・学生』 法政大学出版局 pp. 207-pp. 208 (初出は『法政』1954年4月号)      
 私たちは二千米とか三千米とかの日本の山々を歩く。それはそれなりに苦しみもし、楽しみもする。なぜだろう?「山がそこにあるから」にはちがいないけれど、下界を離れて高いところへのぼる心の底には、自然に帰るよろこびとともに、常にヒマラヤへのあこがれが秘められている。
袋一平 1954 「エヴェレスト征服」 『映画評論』2月号 映画出版社
 相つぐ挫折にもかかわらず、なぜ人間はエヴェレストに登らなければならないのか?かつて一九二四年に頂上までわずか一、◯◯◯フィートに迫りながら永遠に消息を絶つたマロリーが「山がそこにあるからだ」と答えたが、これこそ真のスポーツの精神だといえるものだろう。
「映画小劇場 エヴェレスト征服」 1954 『旭の友』4月号 長野県警察本部警務部教養科 p. 45

 上記の資料は、「山がそこにあるから」という表現が用いられている例です。しかしながら、「it」を「それ」とした表現が用いられている資料もあります。以下はその例です。

 物語(ものがたり)は、なぜとおといぎせい者を出しながら、いくたびしりぞけられてもなお、世界の最高峰(さいこうほう)エヴェレストをめざさなければならないのか、ということばにはじまっています。(中略)マロリーは、「なぜなら、それがそこにあるから」とこたえたのです。
『朝日新聞』1953. 12. 12    
 映画は有名なマロリィの言葉で終わつている。’Because it is there’「なぜなら、それはそこにあるからだ!」
甲賀一郎 1954「試写室 エヴェレスト征服」 『岳人』1954年1月号 中部日本新聞社 p. 23   

 この違いから、私は冒頭の「because it is there」に「そこにそれがあるから」という字幕が当てられ、映画の終わりの「because it is there」に「山がそこにあるから」という字幕が当てられたのでは?と予想しています。前にも書いた通り、この映画には2回「because it is there」が登場します。

(前略) and why did they climb it? They climbed it, because it is there.

 これは、二回目の「because it is there」です。映画のラストシーンであり、「ヒラリーとテンジン」がエベレストに登った理由について、ナレーターがマロリーの言葉を借りて答えたものです。この英文を見ると、大内兵衛の記述に近いことが分かります。それ故に、私は映画の終わりの「because it is there」に「山がそこにあるから」という訳が当てられたと考えています。

 ただ、あくまでこれは推測であり、裏取りが出来ていません。しかも、岳人における甲賀一郎の記述とは矛盾しているので、私一個人の考えだと思っていただきたいです。結局、当時の字幕が分かる資料がなければ、確たることは言えないです。

 1955年の『山岳』49号に掲載された松方三朗の「ハントの「エヴェレスト登頂」をめぐつて」によれば、公開から5ヶ月でおよそ150万人の人間がこの映画を見たとあります。この150万人という数字自体は信用出来るかどうかは分かりませんが、「エヴェレスト征服」が日本で多くの人間に視聴されたのは間違いないと思います。

 当時、映像を見ることが出来るほぼ唯一の娯楽という意味(一応テレビ放送自体は始まってはいますが普及していない)で、映画は現在より強い影響力を持っていた筈です。どのような訳が当てられたのかはともかく、多くの人がこの映画で「because it is there」に由来する表現に触れたのではないかと考えています。

「そこに山があるから」を初めて使ったのは誰か?

 ここまでは、あくまで「山がそこにあるから」という表現について触れてきました。では、「そこに山があるから」という表現を初めて用いたのは誰なのでしょうか?

(前略)エヴェレストで帰らぬ登行者になったジョージ・マロリーがいった有名な「そこに山があるからだ」という人間的な理念に根ざしたものである。
藤木九三 「エヴェレスト以後 上」『朝日新聞』1954. 2. 14

  上の資料は、私が見つけられた限り最も古い、「そこに山があるから」という表現が用いられた資料です。「藤木九三が「そこに山があるから」という表現を初めて用いた」、という記述自体は、今のところ私の調査結果と矛盾していません。しかしながら、この記事が「そこに山があるから」の初出かどうかは正直裏取りが難しいと思います。

 また、藤木は「山がそこにあるから」という表現がなされた後に「そこに山があるから」という表現を用いただけに過ぎません。仮に藤木が初めて「そこに山があるから」という表現を用いていたとしても、「山が」と「そこに」の順番を入れ替えただけとしか言えません。その上、藤木は、訳さなくても「そこに山があるから」という表現を生み出すことが可能です。

 藤木九三が初めて「そこに山があるから」という表現を使った可能性はありますが、それは「山がそこにあるから」という表現が用いられた後のことです。藤木が確実に「訳した」ということについて裏取りが出来ない以上、藤木九三が「そこに山があるから」と訳した」という記述には問題があるように思います。

終わりに

 この記事の大半は私の推測によって成り立っています。もし「いやそれはおかしい」というご意見や、「この資料にこういう記述を見つけた(特に藤木関連)」というご発見などがございましたら、ご教授いただけると幸いです。長くなりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。







 


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