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不死と死

少し前に書いていた「死に関するエッセイ」。まとめて一冊の本にしたのでnoteに書いたものは消しました。
まとめた本は、6月の間は初台のMOTOYAさんでのみ展示・販売しています。ぜひぜひ行ってみてください。


本のタイトルは『「不死」と「死」』。
死に関するエッセイと、短編小説「不死」をまとめた一冊です。

エッセイを本にしたのは初めてのこと。
自分のことを、物語をつけずに書くのって、なんかすごいことだね。なんか生だね。
書いてて思ったけど、現実というか今ここに、手元にある世界のこと、つまりは物語ではないこと、僕の頭の中で生まれたものじゃないこと、要は現実。のことって、書こうとするとほとんどが書けない。書けないものがほとんど。僕にとっては。

書けないってなに? 書けば書けるくない?
どう書けないの? 物理的に? 心理的に?

って言ってくる人は僕の心の中にいます。
なんだろね、わからん。なんか書けないのよ。

例えば、僕は今伸び過ぎた髪の毛をゴムで縛っていて、仕事の合間にこの文章を書いているのだけど、その伸び過ぎた髪の毛について書こうと思うと、途中で「書けないっ!」ってなってやめることになるんです。
髪の毛が伸び過ぎた理由は、髪なんて伸びる一方だからです。短く切ってしまわない理由はいくつかあるのだけど、短髪にするとライブとか色々な場面で芝居っぽいことやる時に選択肢が減る感じがして面倒だから。今みたいな暮らしになる前は本屋さんで接客業を長いことしてたしちょくちょく切ってたけど。今は下を向いて手作業することが多いし、少し伸ばして縛った方が髪の毛が邪魔じゃないのでは?と思ってとりあえず伸ばしっぱです。

今書けてる?書けてることになるのかな。
でもこっちは全然書けてる感じしないんです。
なんだろうこの感じ。会話だったら楽しいんですたぶん。でも「書く」っていう一人でやるものになった途端、楽しくないを通り越して「書けない」って感覚になるんです。なんだろう。今も全然書けてる感じしないこの説明。

なんか、みんなもこんなことあるよねっていう話のつもりだったけど、もしかして自分だけかもしれないです。この感覚を「書けない」って呼んでるの。なんか書くことに対して個人的になんかあるっぽいです多分。

すごいわかんない記事になってしまったね。ごめんなさい。
エッセイ集を出しました。MOTOYAでご覧ください。会期中はオンライン販売もMOTOYAにて。よろしくお願いします。

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