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なかなか新聞記者にならないはね駒

朝ドラ「エール」がおやすみ中で(再放送中)、総合テレビの夕方再放送の「純情きらり」も大相撲で中断になり、今、純粋に毎日連続して見られる朝ドラがBS「はね駒」の再放送しかない(「エール」は完結しないまま初回に戻ってしまっているため副音声つきで見ているとはいえ連続ものとしては止まっているとみなします)。

「はね駒」は1986年前期の作品。NHK公式の紹介文によると”明治から大正にかけて活躍した女性記者の草分け、磯村春子がモデル。福島県相馬に育った「はね駒」(はねこんま=おてんば娘)のりん(斉藤由貴)が、仙台の女学校で英語を学び、上京。結婚、出産の後、家庭との両立に悩みつつも理解ある夫(渡辺謙)に見守られながら、新聞記者への道をひらく。”とある。

ちゃんと読めば、出産してから新聞記者になる話だとわかるのだが、”女性新聞記者の草分け”として活躍するという部分に目がいって、初回からずっと見ていると、なかなか新聞記者の話にならないなーと思ってしまうのは、私だけだろうか。

外国人の妻と二人三脚でウイスキーをつくる男の話であることが売りだった「マッサン」(2014年後期)ではマッサンがなかなかウイスキー作らないとじれる視聴者がいて、そのせいかは定かではないが、一時期じょじょに視聴率が下がりはじめたことがあった。

「はね駒」の当時の視聴率推移はわからないが、時代にSNSがあったら、りん、ちっとも新聞記者にならないというつぶやきが散見されたんじゃないかなと思う。現在、106回(全156回)。96回でようやくりんは結婚し、106回で、せっかく学んだ英語をいつか生かしたいと思っていることを夫・源造に明かす。

源造は結婚前はりんに優しくて理解ある人物だったが、結婚すると、けっこう男のプライドや気難しい部分を見せるので、おてんばのりんも控えめにしている。この夫婦の関係性は「おしん」(83年)も近い。脚本家は違うが、プロデューサーが同じだからであろうか。いや、これが80年代くらいまでの視聴者の多くが共感しやすい夫婦観だったのかもしれない。いまでもこういう人はいるけれど、50代以上かなあと思う。

全話の3分の2まで主人公は結婚もしないし、働いて自立することもなく、祖父母、父母とともに生活している。結婚後も、祖父母(山内明、丹阿弥谷津子)、父母(小林稔侍、樹木希林)と一緒で、主人公が家を出て社会とどう向き合うかという話ではなく、いろいろな問題を大家族とともに向き合っていく話になっている。

でもこれがけっこう面白い。祖父母、父母、りんと源造に、たまに出てくる長男・嘉助(柳沢慎吾)や、叔父・彌七(ガッツ石松)などみんなキャラが立っていて、彼らが集まってわいわいして、これぞホームドラマという感じである。嫁の家族と暮らす夫や叔父などがでてくる感じがちょっとサザエさん的ともいえる。

80年代頃は多くの家庭がサザエさん的だったのかなと思う。そういえば、私は幼稚園児の頃から祖父母の家にいて、80年代、その家にはよく祖父母のきょうだいや甥っこなどが遊びに来ていた。仏壇のある八畳の和室か食卓かに通していたと思う。ソファのあるリビングだったところは私の勉強部屋のように半分占領してしまい、テレビだけ食卓から見られるようになっていた。そのテレビで祖母と叔母は朝ドラを見ていた。祖父が朝ドラを見ていた記憶はない。祖父はニュースや相撲や大河ドラマを見ていた気がする。祖父が亡くなってからはだんだん遊びに来る人は減った。

話しを戻して。大家族がわいわいというと、最近、たまに見ている「ムー一族」の再放送。70年代後半のホームドラマコメディ。60〜70年代の「時間ですよ」「寺内貫太郎一家」などのホームドラマの流れにある「ムー」の続編でバラエティー色が一層濃くなったもの(いずれもTBS)。大家族と店の職人やお手伝いさんご近所さんなどが大勢でわいわい大騒ぎしていて、別になんの教訓もなく、登場人物の目的意識とか成長とかもなく、リアリティーもあるのかないのかよくわからない。ただただ出演者がドタバタ動き回っている様子がおかしい。たまに生放送になるとハラハラして楽しい。

「はね駒」はTBSのホームドラマほど弾けてないが、そういう楽しいノリもちょっと盛り込もうと思ったのかなという気がする。なにしろ、「寺内貫太郎一家」や「ムー」で活躍した樹木希林がいるし、おもしろい俳優として人気だった柳沢慎吾もいる。とにかく、樹木希林演じるやえ存在が、どんなに、これまでの母、娘、妻……という女性の喜びや哀しみを描いても、どこかにユーモアがあった。

とりわけ、源造の母が名古屋から出てきて結婚問題が勃発し、なんとか結婚できて、夫婦生活がはじまったところくらいまでの、いわゆる嫁姑争いみたいなものを見守ったり、ついに嫁入りし妻になった娘を見守ったりするやえの、ちょっとだけ辛い愛情を、直球でないほんの数ミリずらした道筋にするだけで、こんなにも見てるほうは楽になるのかという発見。直球は感動するけどぐいぐい来て疲れるときもあって、その点、樹木希林は少しだけ力を抜いて見せる技に優れている。

樹木希林がいることで、ともすると濃厚になっていく斉藤由貴の芝居も深刻になりすぎない。当時まだ若い斉藤由貴と渡辺謙の芝居は濃密な分、樹木希林が風を入れている。換気が大事ですね。

りんが自立して新聞記者にならずとも、このままずっと家族の話でもいいなあという気持ちで見ている。









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