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65日め 〜「エール』再放送終了

ついに65回分の再放送が終わった。「おはよう日本」(関東版)の高瀬耕造アナの放送再開を待ち望む声は明るく高め。落合支店長こと相島一之の副音声の「いよいよ放送再開だあ」の声も明るい。

世間では、イベントの規制もいよいよ緩和で、客席数半分じゃなくなりそうな気配。

ようやく世の中がすこしもとに戻りはじめるのかなと気持ちがすこし上向く。

ただ、9月8日に「エール」は10回短縮、次作「おちょやん」は11月28日からの放送になったことが発表された。「エール」10回短くなるとすると、私の願いーー東宝ミュージカル編は確実になさそうで、残念でしかない。そもそも予定されていたかもわからないけれど。

マガジンハウス「クロワッサン」9月25日号の「今会いたい男」コーナーで山崎育三郎さんの取材をした。取材時はまだいつから再開か明かされていなかったので、「エール」に関して突っ込んで聞けなかったのが残念。

ちょうど、ミュージカル俳優や歌手による「エール』主題歌映像が発表された頃で、久志のキャラになりきってトップバッターを飾っているお話をすこし聞いた。

雑誌の性質上、あまり作品に特化したことや、深堀りしていくのではなく、朝ドラを見て気になりはじめた程度のヒトに向けた内容を求められているということで、久志やドラマについて詳しく聞くことはできなかった。そういう取材をこれまで私はあまりしたことがなく、専門誌でいかに新情報や深堀りした内容を聞くかってことばかりやってきたのだが、広くたくさんのヒトに知ってもらうような記事を書くことにも慣れていかないといけない。もちろん、作品について深堀りしていく仕事も続けていく。

さて。『はね駒」は149回の終盤も終盤になって、松浪先生(沢田研二)が再登場。14年ぶりの再会。本放送のときはさぞや盛り上がったことであろう。久々の松浪先生はお変わりなさ過ぎて、なんだかおりん(斉藤由貴)のほうが老けて見えた(笑)。

146回では鶴次(矢崎滋)も戦地(旅順)から戻ってきて、ここでようやく、嘉助(柳沢慎吾)の戦死に決着がつく。144回、145回、146回と3話もかけて、戦死の知らせを自分のなかで咀嚼するみどり(美保純)を描く。嘉助の残した映画フィルムを綿入れにくるみ、それからやえ(樹木希林)の背中に綿入れをかけて、その背中に泣き崩れる。何段階も段階を踏んで丁寧に哀しみを描いていて素敵だなと思う。

そして、嘉助の撮ってきたフィルムを彼の志として活かそうと言う源造(渡辺謙)。

津村編集長(地井武男)は嘉助の残した記録を読んで、

「ここには兵隊ではない、普通の人間の目で見つめた戦争の実態が実に生き生きと生生しく記録してある。軍隊というものへの観察も将軍や将校よりも一兵卒の働きや哀しみを正直に見つめている」と高く評価する。

『はね駒』は地震と戦争と両方を生活者の目線でドラマに書いている。「おしん」もそうだけれど、一年という長い「おしん」と比べて「はね駒」は半年間なのに、濃密である。しかも福島時代の登場人物を最後まで生かしているし、最初から最後まで「家族」の物語なのだ。ほんとうによくまとまったドラマだなあと思う。

時代は違えど戦争中の『純情きらり』は、51回で、若い生徒たちのために「僕は軍歌を書きますよ」と決意する西園寺先生(長谷川初範)だったが、52回で作った曲を演奏できない。それを旧知の秋山(半海一晃)が演奏して窮地を救う。このへんを見ていて、「エール」では軍歌を書くことになったとき主人公たちはどうなるのかなあと楽しみ(楽しみっていうとなんだか不謹慎ですかね)

主人公の桜子(宮崎あおい)は、戦争のことよりも、達彦にプロポーズに近い告白をされて、音楽を捨てられるか自身のことで迷っている。

「純情きらり」の魅力は、音楽や戦争などの社会問題を描きつつ、軸は桜子の主に愛という熱情を描いているところ。宮崎あおいはあどけない顔立ちが、内包する燃える火柱をカムフラージュしていて、昼ドラや夜ドラのような行き過ぎた感じにならない。朝ドラの爽やかさを守りながら、愛と芸術と人生とをみごとに混せて演じてみせる、さすがの俳優だなと思う。ただ、そんな彼女もきっと本放送のとき、桜子非道いと言われてもいただろうけれど。本来、愛も芸術も我侭なものなんだもの仕方ないよね。

達彦と結婚して味噌屋の女将になる気にはなれないという桜子は、やけに冬吾(西島秀俊)と仲よさげ。恋愛に奔放な冬吾は達観していて、男と女は「くっつくものはくっつくし」「くっつかないものはくっつかない」と核心をずばりつく。達彦か、冬吾か、気になる展開。

『エール』再開の代わりに『純情きらり』は9月28日までお休みらしい。

今日もとりとめなく終わります。







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