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〜「ミソロゴス − 主として言行一致の要求における − 」〜

〜「ミソロゴス − 主として言行一致の要求における − 」〜
(約6万字)

 【雲】から見る海は…。

 今月のカレンダーのテーマは「水引」ですが、私の話はどんどん脇道にそれて、 “ ハゲ問答 ” まで登場してしまいました。
 しかしこれは国会の速記録にも残っている論議の場面であり、いたって真面目なお話であります。

 私の父も「ハゲ」と言ってよいと思います。ですので、下記の記事はちょっと気になってしまいます。
 ↓
薄毛の人はコロナが重症化しやすい?(忽那賢志) - 個人 - Yahoo!ニュース
8/10(月) 13:05
https://news.yahoo.co.jp/byline/kutsunasatoshi/20200810-00187012/
「というわけで、今回ご紹介した「薄毛の人は新型コロナに罹ると重症化しやすいのか?」という命題はそれを裏付ける報告が複数出ているものの、BCG仮説などと同様、まだ結論が出ていません。
 また現時点では有効な治療的介入や予防法もないことから、薄毛であっても特別な対応は必要なく、普段からできる手洗い、屋内でのマスク着用、3密を避けるといった基本的な感染対策が重要であることに変わりはありません。」
 
 それと、気にするだけではなく、自分にできることはこれかなぁと。
 ↓
リリースから2か月:日本型「接触確認アプリ」COCOAの今|コロナ専門家有志の会
2020/08/18 11:46
https://note.stopcovid19.jp/n/n13976ccd3558

 ところで、「ミソロゴス」の第二節には、「心にもないお世辞」とか「心にもない言葉」というのが出てきます。
 明らかに薄毛だと思われる人に対して、心にもないことを言うのは、「正」ではなく「邪」と言えるのでしょう。
 しかし、全ての場面においてそれは「悪」なのでしょうか。
 もしそうでない場合があるとしても、はたしてそれは「善」と言えるのでしょうか。
 
 しかし!
 今回は「ハゲ」について語りたいわけではなく、「ユーモア」の話が重要なのです。
 
 「ユーモアには、その受けいれ態勢が必要である。またそれは、功利的な方便としてではなく、人柄から滲みだすものでなければならない。」
(佐藤達夫「政治とユーモア」『ネパールの伊藤博文』昭和47年. 啓正社. pp. 98. )←※A

 佐藤氏は、国会でのハゲ問答、そして行政の面からはカナダの警官のユニークな対応を紹介し、「ユーモアと笑いこそは、民主社会にとって必須の条件だといってよかろう。」(※A 佐藤、 p. 100. )と結んでいます。

 …「民主社会」って、どう説明したらいいのでしょうか。ここでは超ざっくりと、「対話のある社会」ということにしておきます。
 (それはあかん!!というご指摘ございましたらご教示いただけますと助かりますm(_ _)m)

 では、「ユーモアと笑い」が必要とされない社会というのは、どんな社会なのでしょうか。

 たとえば私には、嘘はまだ理解できるのですが、冗談というのが理解できない期間がわりと長かったです。佐藤氏の言う「受けいれ態勢」が整っていなかったということなのでしょう。

 しかしそのような状態でも、こちらの意見を一方的に伝えるだけなら特に問題はありません。つまり私は、そういった「対話の必要のない社会」でのみ通用する人間だったということができます。

 相手に「受けいれ態勢」が整っていたとしても、こちらにその用意ができていないのならば、対話の成立は難しいと言えるでしょう。「ユーモアや笑い」というのは、そのバロメーターとしての役割も果たしているのかもしれません。

 現に私は昔から、「かみとくさんには遊びがない」とよく言われてきました。今はあるかというと自信がないですが、しかし、相手の言う冗談がこちらに通じないことでトラブルになることは減ったような気がします。

 また、日本の民法でいう「心裡留保」の内容も、かなり苦労はしましたが一応は理解できるようになりました。

 「ミソロゴス」は、「言論嫌い」と訳すことができるようです。
 田中美知太郎先生の論文「ミソロゴス」には、いろんな人のいろんな意見が飛び交う社会において、対話を有意義にするためのヒントになるようなものが含まれているのかもしれません。

* *

 「すなわち、議論の当事者たちは、何について討論を試みるばあいでも、論題となっているそのことがらがいかなるものかを、自分たちの意見の交換によっておたがいに納得のいくまではっきり定義してから別れるということが、なかなかできないものです。彼らは、たがいに意見が一致しない点でもあると、そして、一方が他方の言うことを間違っているとか、はっきりしないなどと主張すると、すっかり怒ってしまって、そのような主張は自分に対する悪意から出たものにちがいない、相手は要するに議論に勝たんがために議論しているのであって、論題そのものを探求する気持などはないのだと、こんなふうに思いこんでしまいます。」(プラトン『ゴルギアス』457CD 藤沢令夫 訳)

* *
 
 でも、哲学のおはなしって、そんなにすぐに役に立つものなのでしょうか。
 なんか長ったらしいわりにはよくわからないと、昔の人も思っていたようです。

 天上の星を眺めていて、足下を見ることができずに、溝に落ちたタレス( Thales, 前 585 頃)の話は、プラトンの『テアイテトス』(一七四 A )にも言われているように、哲学者の生活的無能を嘲笑し、哲学そのものが生活に無用であることを示すために、ギリシアの昔からたびたび引き合いに出されている。哲学者というものは、「天上を眺めて、無駄話をするだけで、実際の役には立たない(*)」というのが、昔のギリシア人の一般的な考えであった。
(*)Plato, Respublica VI. 488E. 
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(田中美知太郎「哲学は生活の上に何の意味をもっているか − 生活と哲学との結びつき − 」『哲学初歩』1950年1刷, 1981年改版5刷. 岩波書店. p. 62. )

 わからないのに無理して読むこともないと思いますが、でも、「なんか気になる」という時は、やっぱりなんかがあるのです。
 私も、「なんか気になる」ので読んでいるわけですが、その原理はまだよくわかっていません。(恋する理由を考えるのは難問ともいえます)
 でもそういう気持ちを大切にしていたら、「言論嫌い」になる危険からは遠ざかるんじゃないかなって、思っているのです(^^)

 哲学の歴史をとつてみるならば、哲学者たちは、最も一致が必要とされる最も大切な問題について、最も多く意見を相違させてゐるのである。哲学者のうちには、いかなる意見の一致も存在しないかのやうである。哲学は、自己満足の正反対である。哲学のうちにはかへつてあらゆる不安がある。哲学はその不一致によつて、絶えず人類の文化を動かして来たといへるかもしれない。人間の進歩は不一致から生れて来るのである。
----
(田中美知太郎「教育と哲学」『片隅からの発言』昭和31年. 筑摩書房. p. 196. )


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0、 “ ハゲ問答 ” をもう少し詳しく

 前述しました “ ハゲ問答 ” 、私がFacebookでも引用させていただいた佐藤達夫氏の著書に記されている速記録の内容は、現在の国会の会議録で確認することができます。「フリゲート ハゲ」で検索すると、第19回国会でのやり取りであることがわかりました。
 ↓
 第19回国会 衆議院 外務委員会 第51号 昭和29年5月17日 | テキスト表示 | 国会会議録検索システム
https://kokkai.ndl.go.jp/#/detail?minId=101903968X05119540517&spkNum=34&current=18

 該当箇所は、125 河野密から128 岡崎勝男までです。
 ↓

 125 河野密
○河野(密)委員 私はここで岡崎さんに、個人岡崎さんとして実は申し上げたいのですが、岡崎さんと私と高等学校で同級生であつたときに、岡崎さんの頭にまだ毛がふさふさとしておられたころに、論理の問題についてこういう問題が出たことを岡崎さんもまだ記憶しておられると思います。その論理の問題は頭の毛を一本抜いてもはげと言わず、二本抜いてもはげと言わず、三本抜いてもはげと言わず、従つてかかるごとくして四本、五本、六本、十本、百本に至るもはげと言わないから、遂に世の中にはげと言われる者なし、この論理をお前たちはどう考えるかというのが、私たちの高等学校の三年の時の論理学の試験問題であつたことを御存じだと思います。これと同じ問題でありまして、これがいかなる程度に至ればという、この限界の問題になるわけです。ちようど政府のあれは、岡崎さんの今日の頭をさしてこれをはげと言わずというのと同じような論理であります。
  〔笑声、私語する者あり〕

 126 上塚司
○上塚委員長 並木君、行儀よく願います。

 127 河野密
(引用者註:略)

 128 岡崎勝男
○岡崎国務大臣 どうも頭の問題はちよつと困りますが、(笑声)しかし河野君のおつしやることをそのまま私はお返ししたいと思うのです。というのは、河野君のおつしやるのをせんじ詰めてみますれば頭の毛が何本抜けたらばはげと称するかというその限界を示せというのと同じで、それは無理なことであります。たとえば私の毛が何本残つているからこれで一体はげと言うか、言わないか、それは何本が限界なんだということを示せと河野君はおつしやつているが、それはできないのであります。だから常識的に判断して、潜水艦があつたら戦力であるとか、潜水艦がなければ戦力でないとかいうことは言えないのであつて、総合的に見て、これは戦力であるか、戦力でないか、頭がはげておるかおらないかということは、やはり一つ一つの限界を示すのじやなくて、国民の常識できまるものだと思います。そこでいろいろ議論がありますが、それを無理に何とか限界をつけたいというのは、たとえばアメリカの駐留軍にかわるようなものになれば戦力であるかないか、あるいは侵略的脅威、攻撃的脅威を他国に及ぼすような場合は戦力であるかないか、それについてさらに申しますれば、たとえば相手国が非常に防衛力が弱い場合は、少い武力でも侵略的の脅威になるのじやないかという議論もありますが、今の国際通念から申しますれば、朝鮮の場合のごとく、何らかの侵略的行為が行われますれば、大体において国際連合なりその他の諸勢力が一緒になつてこれを防ぐという傾向になつておりますから、世界的な一般的な武力というものを対象にして、侵略的な脅威になるかどうかということは判断されざるを得ない、こういうふうに考えます。それを何本目からはげ頭かという限界を示せと言うことは、河野君もできないだろうと思います。


 …以上は、001から347まである発言録からの抜粋です。自衛隊法や防衛庁設置法(現:防衛省設置法)が公布される直前の時期、アメリカから軍艦を借りるにあたり、国際法上の立場がはっきりしていない状態で、戦力というものをどう考えるか、というやりとりの流れの中のお話です。隔世の感があるとも言えます。

 この会議録の前半、つまりこの問答の前後のやりとりを眺めておりますと、当時の国民は「軍隊」とか「戦力」に対して嫌悪感を抱いていたように見受けられました。(後半は少し違うトーンのようです)
 しかし実際のところ、どうだったのでしょうか。

 結論からいうと、以下の文章がわかりやすいかと思います。
 ↓

 ただしそうは言っても、自衛隊が発足した後でも、改憲のうえで「正式の軍隊」を持つべきだと答えている有権者が、いずれの調査でも三割以上存在していた点も忘れるべきではない。この時期、国民の圧倒的多数が軍隊アレルギーを持っていたなどという見方は、後世の先入観にもとづいた、やはりひとつの神話だといってよい。軍国主義の記憶が強く残っていたこの時期、軍隊は、ある意味では今日よりはるかに日本人にとって身近な存在だったのである。
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(境家史郎「第2章 改憲論優位の時代」『憲法と世論 戦後日本人は憲法とどう向き合ってきたのか』2017年. 筑摩書房. pp. 091-092. )←※B

 …なるほど〜…。
 せっかくですので、当時のことをもう少し詳しく見てみましょう。

 昭和29年(1954年)の2年前、1952年2月に朝日新聞が行った世論調査があります。(※B 境家 )

 質問:「日本が憲法で、戦争はしない、軍隊は持たないときめていますが、このようにきめたことは、よかったと思いますか、まずかったと思いますか」
 回答:「よかった」が27%、「仕方がなかった」が27%、「まずかった」が16%。
 ↓

 ・・・というもので、九条への消極的な評価が目立っている。九条の内容に国民全体が「心服」していたなどとは到底言えない状況だったことは明らかである。この質問に「よかった」と答えた人においてさえ、「今後は再軍備が必要だという意見を持つものと、その必要はないという考えのものとがほゞ同じ割合(※30)」いたというから、完全非武装主義を理想として九条を積極的に支持した人の割合は、全有権者のせいぜい一割強というところだったろう。
 (※30 朝日新聞一九五二年三月三日付。)
----
(同、 p. 088. )

 ↑
 …とはいうものの、自衛隊発足(1954年7月)以降の調査では、世論に変化がみられるようです。
 しかしその変化は、完全非武装主義につながるものではなさそうです。
 ↓

 つまりは一九五〇年代までの時期、「国家たるもの、ある程度の軍事力を備えることは当然」との認識が一般的であった。このことをふまえれば、当時の多くの国民にとって九条問題とは、九条を改正して「正々堂々と軍隊を保有する」べきか、同条をそのまま維持して「現有以上の軍備拡大に対する歯止めを設けておく」べきかという争点であったと考えるべきである。この選択において、国民の多くが後者を選択するようになっていった、というのが五〇年代を通して起きていた世論の変化だといえる。
----
(同、p. 090. )


 続いて、1954年7月、読売新聞が行った調査も見てみましょう。(※B 境家)

 質問:「自衛隊が発足したのにともなって憲法を改正した方がよいと思いますか、その必要はないと思いますか」
 回答:「改正した方がよい」38%、「その必要はない」30%。
 ↓

 ・・・この質問では「正式の軍隊を持つための改憲」とは書いていない点がポイントで、先にみたように、そうした趣旨の質問をした場合には、この時期すでに賛否が拮抗し、あるいは改憲派が少数になっていた。
----
(同、p. 091. )

 ↑
 要するに、この時期、九条はある程度許容されており、その解釈としては、「軍事力は必要だが、一定の範囲を超えてはならない」ということになりそうです。 

* *

 …さてさて、ユーモアの話から、ずいぶんと遠いところにきてしまったような気がします。

 もとはといえば、私が国会でのやり取りの中に少し違和感を感じたことから始まります。

 「言論嫌い」の原因のひとつとして、「あまり容易く言葉を信ずること」(「ミソロゴス」第一節)というのがあるようです。
 最初に聞いた言葉を疑うことなく「本当だ!」と信じていたのに、別の話を聞くと「あれ?なんか違うかも…」と思うことって、ありますよね。
 そういうことが続くと、「結局なにを信じたらいいんだ…」ということになり、ロゴスが嫌いになってしまうのだとか。

 「人間嫌いというのは、不用意にすべての人間を信ずることから生まれて来る」(同)というのと似ていますよね。
 
 プラトンは、「言論嫌いと人間嫌いとは同じような仕方でおこるのだ。」(プラトン『パイドン』89D 池田美恵 訳)…という言葉を、ソクラテスが刑死するまさにその日にソクラテスが語ったものとして、書き残しています。

 哲学者のプラトンはこう考えていたわけですが、軍人でありプラトンと同じくソクラテスの弟子であったクセノポンも、ソクラテスに関する書物を著すにあたり友人論や人間同士のことを結構多く書き残しているようですので、ソクラテスはだいたいこういうことを考えていたと私たちも考えて良さそうです。

 プラトンはソクラテスの言葉として、こう続けています。
 「さて、人間嫌いはどうしておこるかと言えば、まず、無造作にだれかを頭から信頼し、その人をまったく真実で、健全で、信頼できる人間だと思いこみ、その後まもなく、その人が悪い、信用できない人であることを発見する。同様の経験を、ほかの人のばあいにもする。そして、こういう経験をたびたびくりかえし、とくに自分に最も近しい、最も親友であると信じていた人たちからこういう目にあわされると、しまいには、たびたびの苦い経験のため、すべての人を嫌い、だれ一人として真実な人間はいないと思うようになる。君はそういうことに気づいたことはないかね?」(同、DE )

 …これは極端な例かもしれませんが、しかし、こんなことはまったくあるはずがないと言える人はそんなに多くないと思われます。
 そして言論に関しても、似たような経験をしたことのある人は、少なくないのではないでしょうか。
 
 では、なんでもかんでも初めから疑ってかかるのが良いのでしょうか。
 世の中の人はみんな嘘をついているかのような心持ちでいるのが正しいのでしょうか。

 哲学の仕事の一つは批判であり、むかしからたくさんの哲学者がそれを実践してきました。
 しかし、批判できるまでに至っていない私は、「ロゴスを取扱うのにも、人間を相手にするのにも、これに処する心得」(「ミソロゴス」第一節)という言葉に寄り添うことから始めたいと思います。

 しかしながら、人間的努力がまったく無であるとも言われないでしょう。すべてか無か、ということではなくて、すべてと無との中間に、わたしたち人間は " ある " と言うべきでしょう。わたしの哲学的立場は、謙遜な気持ちをもって、たえず努力しているもっとも多くの善良な人たちの立場を支持したいということにあります。

 しかしそれなら、現代のこの不幸な時代に、哲学そのものは何をなすことができるのかと、諸君は問われるでしょう。わたしはそれの仕事はまず批判だと考えています。あらゆる暴慢な考えと行動に対する批判です。人間は神でないこと、人間はつねに過ちを犯すものであるということ、世界はわたしたちの、どうにもならぬところをもっていること、そしてわたしたちもわたしたち自身のうちに、わたしたちのいかんともなし難いものをもっているということ、これらの事実に、ひとびとの注意を向けること、それが批判の大切な一つの仕事です。ソクラテスやエピクトテスの考えた人間の弱さ、無力についての自覚、人間に根本的に欠けているものの自覚をうながすことがそれです。

 しかし他方においては、わたしたちを、まったくの絶望から立ち直らせ、何か真実なるものを知り、何ごとか美しいものをつくり、何ごとか善きことをなしとげようとする、控えめな努力を激励して、世界はわたしたちにとって、単に否定的なものではないこと、わたしたちの努力は、世界のあり方とまったく無縁ではないこと、もし世界に神の事業がおこなわれているなら、わたしたちもに〔原文ママ〕その神の業に協力することができるということを考えたいと思っています。
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(田中美知太郎「哲学とその根本問題」『哲学入門』昭和51年1刷, 昭和62年10刷. 講談社学術文庫. pp. 186-187. )


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1、今月も六節まで、とはいうものの

(1)哲学の文章って、長いですよね

【田中美知太郎「ミソロゴス − 主として言行一致の要求における − 」(『ロゴスとイデア』より)】
発表:1939(昭和14)年9月『思想』
所収:1947(昭和22)年9月『ロゴスとイデア』岩波書店

 従って私の論文は、一応「ロゴス」から始められたと見なければならないであろう。ところが、この論文を書いてみると、私自身の考えていたものとは大へん違ったものになって、私の言おうと思っていたことは何ひとつ満足には言われなかったように感じられ、甚だ失望したのである。そこで翌年の夏休みにまた「ミソロゴス」を書いて、その不足を補わねばならなかった。しかし問題は依然として残され、その中心には未だ達することが出来なかったのである。言葉の真実を確かめるためには、ひとは事実とか、現実とか呼ばれているものに当面しなければならない。
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(田中美知太郎『田中美知太郎全集第一巻』1968年. 筑摩書房. pp. 260-261.  『ロゴスとイデア』あとがきより抜粋)

 先月、「え、六節までって言うけど長くない??」と思われた方もいらっしゃると思います。

 はい、節の数は少ないけど、一つの節の文章が長かったですよね。今月もそんな感じです。ちなみに先月の「ロゴス」より今月の「ミソロゴス」の方が若干長いですよ〜(^^)

 でも、哲学の文章って、たいてい長いですよね。なんでそんなに長いのでしょうか。屁理屈をこね回してわざと難しくしているのかなぁ…いえいえ、どうもそうではないようです。

 論理が飛躍することなく、一歩一歩を明確に考える。哲学に限らず、いろんな学問の論文が長いのも、おそらく理論の丁寧な積み重ねによるものなのかなぁと思います。

 たとえば、ギリシア悲劇の起源について。
 田中美知太郎先生は、ギリシア悲劇の「理解」に関して、イギリスの有名なギリシア学者であるギルバート・マリーの文章をかなり長く引用され、近代文学のレアリズムを逆批判するというやり方で、ギリシア悲劇の本質に迫ろうとしておられます。
 一方、その「起源」については、マリーの仮説(「年の精霊」の死と復活をあらわす祭式が起源であり、簡単には年々歳々の「年のダイモン」の死を演技化したもの)を紹介された後、以下のような文章を続けておられます。
 ↓

 ギリシア悲劇について、われわれがいくらか知っているのは、紀元前五世紀以降のことであって、それ以前の歴史にさかのぼって、その起源を明らかにするということは、今までのところまだ成功していないのである。たしかに、そのための手掛りとなるものを、われわれはいくつかもっている。例えば、・・・(引用者註:8つの手掛りを1,500字弱にて提示)・・・
 われわれは今これらの手掛りを、それぞれ吟味にかけて、そのうちから信用できるものを取り出し、これを推理にもとづいて、うまくつないで行けば、ギリシア悲劇の起源について、何かを知ることができるはずである。しかし実際には、これらの手掛りはうまく調和しなかったり、あるいは推理の連鎖が途中で切れたりして、今のところ決定的な答は得られていないのである。

 六

 しかしながら、ギリシア悲劇の起源は、学者の難問であり、われわれの知的好奇心に訴えるところが多い問題だとしても、悲劇作品そのものの賞味に直接の関係があるわけではない。マリーの仮説は、歴史的起源を明らかにするには不充分であるとしても、ギリシア悲劇の本質、あるいは形相因を示すものとしては、充分有意味であると考える学者もいる。われわれはギリシア悲劇の起源というものから、ギリシア悲劇の本質についての、何か絶対的な啓示を得ようとしても、それは空しい希望に止まるであろう。むしろわれわれは、ギリシア悲劇の理解ということを主にして、起源の捜索からは、そのために利用し得べきものを利用すればよいのである。
----
(田中美知太郎「ギリシア悲劇への案内 − それはどういうものか − 」編集:呉吾一, 高津春繁, 田中美知太郎, 松平千秋『ギリシア悲劇全集 第一巻』昭和35年初版, 昭和51年重版. 人文書院. pp. 17-20. )

 ↑
 なお、ネットで名前をよく見かけるプリュニコスの古い作品に関しては、オックスフォード大学の有名な古文書学者ロウベルの推定があるようですが、十年間の議論ののち論争は下火になり、仮説のままとなっているようです。つまりギリシア悲劇の起源はやはり紀元前五世紀以降と考えた方が良さそうです。(参考:同書月報1 松平千秋「ギリシア悲劇の周辺 1」、グーグルスカラー)

 ちなみに、最新の学説に私は触れることができないので、Wikipedia情報(「古代ギリシアの演劇」)によると、
「祭りでの悲劇のコンテストは紀元前508年ごろから制度化された。紀元前6世紀の悲劇の脚本は現存していないが、テスピスの3人のライバルの名(Choerilus、プラティナス、プリュニコス)はわかっている。彼らはそれぞれギリシア悲劇の発展に何らかの形で貢献している。
プリュニコスについては若干わかっていることがある。彼は紀元前511年から紀元前508年の間に初めてコンテストで優勝した。」とあります。

 こんななかんじで、仮説が仮説でなくなり、一般的に承認されるためには、ずいぶんと長い文章、そして論文を検証するための長い時間が必要になってきそうですね。

 けれども、たとえば科学的なことに関する説明でしたら、経緯を要約されたり結論だけを示されたりしても、そんなに違和感なく、わりとすんなり受け止められるのではないでしょうか。
 それに専門的な学会ならともかく、テレビやネットなどで広くいろんな層の人(論文を正しく理解する練習をしていない私たち)に知ってもらうためには、簡潔に説明する、という工夫はある意味、公益に資すること、とも言えそうです。

 しかし哲学の場合、結論だけを示されてもすんなりと理解できるかどうか…。哲学にもいろいろとありますが、経緯を要約するという作業はおそらくどの哲学でも難しいのではないでしょうか。ですので、どうしても長くならざるを得ないのかなぁと思います。

 しかしこういうふうにいきなり内容にふれた話を始めるというのは、話の上手な始め方の一つだと思うけれども、哲学にはまたしかし簡単に話を始められないようなものが、その内部にふくまれているのではないか。それはつまり哲学には、安心して始めることのできるような出発点はないということかも知れない。どこから出発しても、その出発点がまた問題になるからである。したがって、議論を先へ進めながら絶えずまたあとをふりかえらなければならず、時とすると、あともどりの方が多くなって、話は一向に先へ進まず、かえって始めとは逆の方へ進んでしまうこともある。これは「なんじみずからを知れ」という自知の原則を守って、自分の立脚地あるいは出発点に、できるだけ盲点を残さないようにすることから、当然出てくることなのだとも考えられる。
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(田中美知太郎「退官講義」『自分のこと 世界のこと』昭和40年. 文藝春秋新社. pp. 12-13. )

 ちなみに、「エレアのゼノンの論法を起源にもち、ソクラテスの方法をいわゆるヒュポテシス(仮定)の方法で発展させたプラトンの問答法」で吟味にかける場合には、ロゴスは(飛躍ではなく)【飛翔】していかなければならないわけですが、絶えず繰り返される始めと終わりとの間の往復の、その途中経過の部分を省略してしまうと、読み手にとってはなにがなんだか??って感じになってしまうかもです〜(^_^;)

 あくまでも一歩一歩を明確に考えて、その間の手を抜いたり、飛躍をしたりしないのが、プラトンの思考法であり、その伝統につながる哲学の正統なのである。
〔中略〕
 余計なことというのは、要するに、一度にたくさんのことを言おうとすることであって、それはまたそれで一問一答に寸断されなければならないことであり、「イエス」「ノー」の分岐点に見られる他の可能性として、あとでもう一度そこから別の問答をしてみればいいことなのだと考えられる。したがってまた、問い手も、問いをできるだけ単純化し、一度に多くのことを問うような下手をしてはならないのである。
----
(田中美知太郎「ソクラテスとプラトン」『世界の名著 6 プラトン 1(責任編集 田中美知太郎)』昭和41年. 中央公論社. pp. 19-20. )←※C

(2)問いの単純化と細胞の化学反応

 …問いを単純化する、という文章が出てきました。このことは、子育てにも通じるような気がします。
 自分の苦い経験として、さっさと答えを出したいのでつい焦って一度にいろんなことを詰め込みすぎてしまう…というのがあります。
 しかしそれでは納得してもらうどころか、途中から何の話なのかよくわからなくなってしまい、結局は振り出しに戻ってやり直し…。

 そもそも、なんでそんなことになってしまうかというと、「誰のために」っていうのが曖昧だったからだと思います。
 つまり私は、子どものために、ではなく、自分のために、話をしていたのだということです。
 親は何の資格も訓練もなく親になることができますが、教育者と呼ばれる人はやっぱりすごいんですね…。

 魂の世話をすること、別の言い方をすれば自分自身を大切にすること、それがソークラテースの友人たちに残した最後の願いであった。何かしてほしいことはないかとたずねる老友クリトーンに対して、「君たち自身を大切にしてくれさえすれば、たとえ君たちが何をしていても、ぼくにつくしてくれたことになるのだ」とほほえみながら答えるソークラテースに、われわれは真の意味における教育者の姿をみる。というよりもソークラテースにおいて始めて教育(パイデイア)ということが意味をもったといった方がよいであろう。
----
(池田美恵の解説より抜粋…プラトーン 著/田中美知太郎, 池田美恵 訳『ソークラテースの弁明・クリトーン・パイドーン』昭和43年発行, 平成15年57刷. 新潮文庫. p. 248. )

* *

 余談になりますが、生物の細胞分裂に関して、少し無理やりですがこれと似たようなことってあるなぁと。

画像1

 ↑(放送大学教材「生命分子と細胞の科学 '19 」第10回 細胞分裂と細胞周期:講師 二河成男)

1、サイクリン依存性キナーゼ(CDK)は、ひとりぼっちの時には不活性な状態。
2、そこで、細胞がサイクリンを合成する。
3、サイクリンは、CDKと結合する。
4、しかしこのままでは、まだ不活性な状態。
5、けれど、この複合体を認識する別のタンパク質が登場。
6、なんとそのタンパク質は、CDKの抑制を解除する!
7、そしてCDKは活性化する!!
8、それにより、他のタンパク質も活性化させ、細胞周期を進めていく!!!
9、しかし同時に、別の酵素によってサイクリンが破壊されるという反応も起きる。
→1に戻り、繰り返し。

 …親の働きというのは、CDKに寄与するサイクリンの働きに似ているのかもしれませんね…。

 なお、サイクリンにはいろんな種類があり、おのおのを制御しながら細胞周期が進んでいるということがわかっているようです。

 そして、細胞周期を進めるためのものがサイクリンなわけですが、逆にブレーキをかけるものもあるようです。
 3つの関所で細胞が整っているかどうかをチェックし、次の段階に行けるかどうかを調べる仕組みがあるのだそうです。すごいですね…。

1つめ…G/ 1  S チェックポイント(開始点):
・細胞分裂にふさわしい環境かを判断し、細胞分裂を始めるかどうかをここで決める。
・準備ができていない細胞に対しては、細胞の周期を停止し、準備が整うまで分裂を遅らせるか、それが無理な細胞はG0期(休止期)に入る。
・通過できた場合は、細胞分裂を阻害するタンパク質が分解され、G/ 1  S − サイクリンが発現する。

2つめ…G/ 2  M チェックポイント:
・DNA複製が完了しているか、DNAに損傷が無いかを判断する。
・準備ができていない細胞は、準備ができるまでここで待つ。
・通過できた場合は、 M サイクリンが発現し、CDK複合体が活性化する。

3つめ…M 期チェックポイント(紡錘体形成):
・染色体の動原体に紡錘糸が付着しているか、赤道面(細胞と細胞の真ん中の部分)に染色体の動原体が並んでいるかを判断する。
・ここでも、準備ができていない細胞は、準備ができるまでここで待つ。
・通過できた場合は、姉妹染色分体間の結合が切断される。→二つの細胞にわかれる!!

 …待つっていうのは、子育てに限らずほんまに重要なことなんやなぁと…余談終わり。

* *

 それともう一つ、私が思い出したのは、代謝の進行の特徴です。
 よく知られているように、生物の細胞内で化学反応が起きる際の触媒として、酵素がその役割を担っています。この酵素は、化学反応、つまり代謝の際、細かい段階を経るような働きをしているのだそうです。

 下記は、エネルギーという観点からみた、燃焼と代謝の比較の図です。
 燃焼のように、一つの酵素で一足跳びに反応が起こると簡単なのですが、実際にはそういうことは行われていません。

画像2

 ↑(放送大学教材「生命分子と細胞の科学 '19 」第09回 細胞内の化学反応:講師 二河成男)

 代謝の特徴としては、
・一つ一つの反応の活性化エネルギーが小さい、
・そして、放出されるエネルギーも小さく分解される、
・つまり、徐々にエネルギーが放出されている。

・各段階で、うまくATPなど他の物質にエネルギーを取り込むことができる。
・それを、次の化学反応に利用することができる!!

 一気にガーッといく燃焼のような動きも大事ですが、そのエネルギーはその場限りで終わるのだという前提で利用した方が良さそうです。
 エネルギーを効率よく利用するためには、コツコツと進んでいく代謝のような動きを考えた方が良いかもしれない、ということが言えそうですね。

 仕事でも学問でも、勢いよく進めた方が良い時と、じっくり進めた方が良い時とありますよね。「イエス」「ノー」の分岐点に見られる他の可能性を見逃さないためにも私は、誰からも急かされないことに関しては、これからも地道に代謝系で行こうと思います(^^)

* *
 
 ところで、「ミソロゴス」の副題には、「言行一致」という言葉が使われています。
 言行一致(げんこういっち)の意味を調べてみますと、「言葉に出したことと、その行動が同じであること」(三省堂 新明解四字熟語辞典)、ということのようです。

 フェレットには、言行が一致しないということは、あるのでしょうか。
 しーくん「ぼくここで寝たいんだけど」
 つーちゃん「うんいいよ、私は向こうで寝るね」…と言っておきながらその場を離れない。
 …というようなことが、ありそうな気もします…まあたいていは一緒に寝ているので困ることはそんなにないと思われますが…。

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2、事実とか、現実とか呼ばれているもの


 前回、本をたくさん読むぞと書きました。
 8月は朝から晩まで本を読んでいた日が何日かありましたが、目標には届きませんでした。
 言行が一致していません。

 そんなこと言わなければいいのに、とも思いますが、しかし、「不言実行」によって言葉をできるだけ切りつめるやり方は、どうもあまりよろしくないようです。
 「多くの場合批判を恐れる独善の行いであって、驕慢な自己肯定がその根柢をなしているように思われる」と田中美知太郎先生は注意されています。(「ミソロゴス」第四節)

 「言うは易し、行うは難し」という、私たちにもよく知られた言葉がどのように展開されていくのか、この後の田中先生の論文で確認していくわけですが、一応私の言い訳をしておくと、夏は暑くて苦手なのと、8月は色々と思いを馳せることが多いのです。8月6日、8月9日、8月15日…。そして、私の母や、私にかけがえのない贈り物をしてくださった方の命日も8月です。

* *

 ちょっとここで脇道にそれて、目標と目的の話をします。
 私は昔からプロジェクトベースで仕事をしてきました。…という言い方を教えていただいてからたまに使いますが、実際のところは、低学歴で特別なスキルもなかった私が引越し先で必死に仕事を探していたら結果としてそういう感じになった、というだけのことです。

 それは税金が投入されている国のお仕事や、当日絶対に失敗できないお仕事だったりしますので、「目標」は必ず達成しなければならないと思ってきました。
 「前倒し」が口癖だった私の指示を受けてお仕事してくださった方々はさぞかし大変だったろうと思います。しかし私が流産で一時的に戦線離脱したのに進捗率に影響が出ないようにカバーしてくださったり、とんでもない私のミスが当日発覚したのに素晴らしい対応で無事に成功まで持って行ってくださったり、チームで仕事をするって本当に素晴らしいなって今でも思っています。

 とはいえ、私はまたどこかに引っ越してしまうのに、重要なプロジェクトを任せてくださったり、正社員で雇っていただいたりするわけです。私は、「目標」の達成だけでなく、組織のためにもう少し自分に何かできないかなと思って、自分なりに「仕事の目的」を考えてみました。

 具体的には、「よくわからんけどうるさいやつがやってきて、うるさいことを言っている、けど、今まで考えてもみなかったことを考えてみるきっかけになった」、というのを目指してきました。

 そもそも、今までの仕事のやり方を変えなければ目標は達成できないのです。私を重要なポジションに据えてくださった方はおそらくそういうことを期待しておられたのだろうと思います。
 つまり、プロジェクトの成功という目標のための手段を通じて、最終的な目的に向かうために私が存在していた、という言い方もできるかもしれません。

 それで雰囲気が変わって良くなったところもありますが、しかし元に戻っているところも多いようです。自分の力不足を嘆いていたときもありますが、一年や二年そこらで組織が根本的に変わるというのはものすごく難しいことらしいので、あまり自分を責めないようにしています。

 そのような経験から、「自分にはできないことがめっちゃ多い」ということを私は学びました。ただでさえ、私は不器用だし要領も悪いので、できないことがほんまに多くてびっくりされることがよくあります。でも、あれもできないこれもできないをふるいにかけると、「数少ないできること」が砂金のように残ってきました。それで、いわゆる小さな成功体験というやつのおかげで、私は人生に絶望することなく今もこうやって生きています。

 ちなみに「できないことの多さ」は仕事に限らず、いわゆる「母親業」にも当てはまります。私の娘のKさんが中学校を卒業する際に手渡してくれたお手紙のなかには「・・・うざいし、変なもんばっかり作って、お母さんらしくないお母やけど・・・」としっかり書かれています。(そのあと、「それは個性」とフォローが入っていてホッとしましたが)
 転校した先の学校で、Kさんは、私の「紙德」という苗字ではなく、自分の戸籍上の苗字を希望しました。そして高校に入ると、母親という言葉の使用頻度も減り、学校に提出する書類の続柄に「同居人」と書いたこともありますが、ただでさえ苗字が違うので説明するのにややこしいという理由で、結局保護者の欄は母親ということで通しました。(確かに私のおなかから産まれているので間違いではないのですが)

* *

 それはともかくとして、脇道から本の話に戻ります。
 読書は、手段です。朝から晩まで本を読む日が月の半分以上でもあるのなら、目標の数字は達成できるかもしれません。しかしそれで私の「人生の目的」にそのまま到達できるかというと、そうではありません。

 本に書かれている言葉の真実は、どうやったら確かめることができるのでしょうか。本を読んだり動画を見たり、それで事足りるものなのでしょうか。
 「事実とか、現実とか呼ばれているもの」に自分が当面することなくそれを達成するのは、難しいような気もしています。
 
 そう考えますと、日々起こるちょっとした事件に対応していたらあっという間に一日が終わってしまったり、またはそういうようなことを心に再生し反復しながら書いたり語ったりするのも、あながち意味がないとは言えないような気もします。

 つまり、読書にあてる時間の配分問題は、私の目的に照らすと難易度の高い問題とも言えそうです。

 しかしそういう直接の必要がないとなると、本当はもっと必要だと考えられる読書でも、なかなか捗らないのが常則のようだ。漱石の書いたもののなかにも、そういう読書の中断のことがよく出ていたように思う。
〔中略〕
 漱石の場合だと、高等遊民と称して、何もいそがしい仕事はしていないことになっているから、暇はいくらでもあるわけだが、やはり読書は中断されている。われわれの場合、なかなか書物が読めなくても不思議はないのかも知れない。
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(田中美知太郎「読書メモの切れ端」(昭和37年発表)『哲学と人生』昭和40年初版発行, 昭和43年2刷. 雪華社. pp. 108-109. )


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3、学問の役割とロゴスの仕事と、理想主義

 でもここで、あれっと思われるかも知れません。
 先月の話ではたしか、ロゴスって、「直接の確信としては否定されなければならなかった」(「ロゴス」第六節)と書いてあったはず…。それなのに、経験とか事実とか現実とかが大事って、なんだか矛盾しているような気もします。

 ですよね。太陽を直接みたら目を損ねるよ、だから水に映して間接的に見なければいけないよ、っていう、あのお話にもつながってきそうですよね。

 けれども、私たちはこの後、「言行の不一致を恐れて、ロゴスをいつも自己の現実にのみ縛りつけておくようなことは、決して人間的なことではなく、むしろ悪魔的とでも呼ばるべきことに属する」(「ミソロゴス」第五節)というような文章を読むわけです。

 いったいどっちなの…。

 ちなみに、先に引用した「ロゴス」第六節の文章のすぐ前にはこのようなことが書いてあります。

 
 「最も遠い将来を望むロゴスのみが現実的具体的であり得るのである。われわれはかかる現実性をヒュポテシス(引用者註:仮定)のロゴスに期待するために、まずそれが口舌のホモロゲーマ(引用者註:一致点)から出発するものではなくて、われわれの胸底から出発するものであったことを注意しなければならない。それはわれわれが直接に見たもの、最も深く心動かされたものから出発するのである。」(「ロゴス」第六節)


 …つまり、
・絶えず繰り返される始めと終わりとの間の往復、つまり自己を吟味していく過程での仮定の話の時は、直接性というものは否定されなければならず、
・しかし、その往復が開始される出発点としては、「自分の胸底から出発するもの」でなければならない、ということなのかなぁと。

 そもそも、その出発点が自分の経験でなかったならば、一体何のためにその吟味をしてるんだという話にもなりかねません。。
 それとも、自分に関係あることではないけど、その吟味をする必要がある、という場面は、結構あることなのでしょうか。

 しかし、それに対して自分はどう思うか、という段階を経ることなく次に進むことは、結構難しいような気がするのですが、それは私にそういう経験がないからそう思うのでしょうか。
 たとえば法廷弁論の場において当事者の弁護をする弁護人は、あまりにも感情移入をしてしまったらきっと仕事に差し障りが出るのだとも思います。
 でも、当事者の気持ちにまったく寄り添うことなく、もし自分がその立場だったらどうしただろうかという想像をすることもなく、その人の弁護というのは、できるものなのでしょうか。

 しかし先月の「ロゴス」でみてきたように、そのような場合は、「第三者」の問題として扱われてきました。今の私にはちょっと難しすぎますので、ここでは、第三者の登場しない場面を想定し、「われわれが直接に見たもの、最も深く心動かされたもの」が出発点になる、ということにしておきます。

* *

 さて、もやもやがすっかり晴れたわけではないですが、とりあえず次に進んでみます。しかし。
 
 「どうしてだがわからないが、あなたの議論は上手な議論だとは思う。しかしわたしの受けとる感じ(パトス)は、多くの人たちと同じことだ。わたしは、あなたにぜんぜん承服できないのだ。」(プラトン『ゴルギアス』513C 田中美知太郎 訳 ※C 田中「ソクラテスとプラトン」. p. 21. )

 …という文章は、さらに私を混乱させて、すでに足踏みをしています…。

 この言葉は、教養があり弁論術も身につけている新鋭政治家のカリクレスが、ソクラテスとのめっちゃ長い問答の終わりらへんで、ソクラテスに向かって言ったものです。
 ソクラテスがあまりにもしつこいので、もうええ加減にせえよってなったのですが、ゴルギアスにたしなめられてカリクレスは問答を続けます。
 しかしカリクレス的には、今までの自分の信念とか、経験から培われた確信とか、そういうものから自分を解放することはなかなか難しいようです。

 でも、こういう気持ちって、結構だれでも持っているような気がします。

 吟味の過程では直接性が否定されなければならないとはいうものの、しかし自分が今まで経験したことのないことを、そんなにすんなりと人は受け入れることができるものなのでしょうか。

 もしそうだとしたら、引っ越し先のトラブルとか、転職先の戸惑いとか、トップが変わって組織の方針が変わった時の混乱とか、そういうものはもっと少ないんじゃないでしょうか。
 新しいウイルスに感染した人をつい攻撃してしまった人は、もしかしたら、同じ職場の人がインフルエンザに罹ってしまってもそんなに驚くことなく冷静に対処できていた人だったのかもしれません。

 私だって、今まで結構な労力をかけて積み重ねてきた、貧しいけれども貴重な経験を、言論によって否定されるなんて、あまり愉快なことだとは思えません。

 とはいえ私は、経験がすべてだと思っているわけでもないんです。
 いつだって、自分が考えているよりもっとびっくりすることが、人生の折り返し地点を過ぎた今でも起こっています。自分の考えることなんてほんまにたいしたことないんやなって、いつも思っています。

 そしてある時期から、今までの自分の経験だけを頼りにしているのではどうも色々と不都合が出てくることに気がつきました。(先月もちらっとそのことに触れています)
 
 たとえば自分の言葉や文章には、嘘はなく、いつも正直なつもりではいるのですが、しかしそれはあくまでも「自分の心境」においてです。
 じゃあ「認識」においてはどうかというと、つまり自分の文章を客観的にみた場合、それってまったく嘘がないと言えるのか。

 「しかしながら、この場合人々の考える嘘というのは、心と言葉との間の嘘、すなわち心にもない嘘だけなのではないだろうか。しかし自分の心持を正直に語るという心掛けだけでは、自分自身の無智をいかんともすることが出来ず、ただ心からの嘘を正確に伝えるに過ぎないような場合が少なくないであろう。」(「ミソロゴス」第二節)

 …ここで私は、「う〜ん」と悩んでしまうわけなのです。
 それにまた、雑多なものの中に秩序はないのだろうか、個別的だと思われるものを普遍的なものに高めることはできないのだろうか、とか、そういうことも考えてしまうわけなのです。
 
 じゃあ、何がその助けになるのかというと、それが、学問なのかなと思います。
 そして、「学問の仕事というものは主としてロゴスの仕事」(同、第六節)なのだそうです。

 四、五年くらい前になるでしょうか、ある勉強会で、「私は大学で研究しているわけではないのに場違いな感じですみません」と恐縮しておりましたら、東京大学の大学院を修了され海外の大学で博士号を取得されたある大学の先生が、「研究って、研究室でやるだけが研究じゃないからね」とおっしゃってくださいました。
 (高卒の私がそういう方々と一緒の場にいることのできる、よい時代になったと思います)

 研究というのは、「物事を学問的に深く考え、調べ、明らかにすること」だとグーグル日本語辞書が教えてくれました。(つまり、Oxford Languagesの定義のようです)

 私はまだ研究するまでには至っていませんが、でも、「学び、習うこと」である学問の扉を、ほんの少しくらいは開けることができたのではないかと思っています。つまり、論理(確証と反証を意識しながら一歩一歩を明確に考える)への勇気を見える化したとも言えるでしょう。

 しかしそこで重要だなと感じるのは、実はやっぱり、今までの自分の経験なんです。
 改めて考えてみると、自分の経験の答え合わせに学問を利用して満足することは今でもありますが、しかし今では学問に対して、もう少し積極的になっています。

 とはいえ、自分が実際に経験したことに照らすことなく、言葉や概念だけを新しく学んだとしても、おそらく私は、理論としては納得できても、心の奥底ではもやもやしたまま進んでしまい、その状態で自分を吟味することは難しいんじゃないかとも思うのです。

 …ということで、もやもやは少し晴れましたが、結局足踏みしたままどころか、あともどりしてますね…。
 
* *

 やはりと言いますか、田中先生によりますと、「自己の行為を事後論理によって合理化し、事件のたびごとにロゴスをこれに適合するように縮小する」(「ミソロゴス」第三節)のが、人々のすることらしいです。
 耳が痛いです!(>_<)!

 このような状態では、自分の経験と感情に引っ張られて、その事象を客観的に見ることは難しいような気もします。
 勇気を出して、ロゴスによる吟味の段階に上がるためには、どうしたら良いのでしょうか。
 
 「かかる超過は、事後論理によってロゴスを現実に追随させる代りに、むしろ現実をロゴスに追随させようとした理想家の努力の結果なのである」(同、第五節)という文章は、助けにならないでしょうか。
 
 ここから先は一般的な話になりますが。
 世の中においては、「あの人の言うことって結局、理想だよね」という声が絶えることはありません。
 でも、「あの人」の胸底には、おそらくなにか大きなものが宿っているのだと思います。

 プラトンは、あらゆる理想主義哲学の代表者であるが、しかし彼は、ただ甘い夢をみるだけの理想家ではない。彼の理想主義は、このような苛酷な現実のきびしい認識から生まれてきているのである。
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(田中美知太郎「ソクラテスとプラトン」『世界の名著 6 プラトン 1(責任編集 田中美知太郎)』昭和41年. 中央公論社. p. 49. )←※C

 それはきっと、他の人に理解をしてもらおうと思っても、難しいのでしょう。
 でも、それが「あの人」に勇気を与えていることは、別に誰の許可もいらないはずなのです。
 「あの人」には、いったいどんな景色が見えているのでしょうか。

 「われわれはむしろ実現可能のいかんを問わず、高き高き理想を語らねばならぬのである」(「ミソロゴス」第五節)

 もし人間がめいめいの経験の範囲だけに閉じこもって、それ以外のことは知ろうともせず、考えようともしなかったなら、めいめいが同じような経験を別々にくりかえすだけで、全体としての進歩も発達もなく、いつまでも原始の状態にとどまったろう。経験から科学や技術が生まれるためには、いままでに経験されたものから、まだ経験されないものへの、飛躍がなければならない。その冒険的な飛躍を可能にするものは、推理であり、推理を可能にするものは、既知のものと未知のものとを一括するところの普遍的なものの媒介なのである。
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(※C 田中、p. 26. )

 ↑
 余計なお世話ですが、ここで使用されている「飛躍」という言葉は、1の「(1)哲学の文章って、長いですよね」で引用させていただいた同書の、「あくまでも一歩一歩を明確に考えて、その間の手を抜いたり、飛躍をしたりしないのが、・・・」で使用されている論理の飛躍とはまた違うことは、いうまでもありませんが念のため。

* *

 さてさて、今までのぐるぐるを逆にたどってみますとこういう感じです。

調和のとれた世界(コスモス)が目的

国家社会における個人の人づくり

しかしまずは自分の吟味(←イマココ)

それには良い方法がある

しかし自分だけでは難しい

言論を嫌いになってはだめ

他者との対話の心得が必要

ユーモアと笑いが助けになる

ハゲ問答

  (ほんまは、批判、というのがどこかに来なければいけないのですが…宿題…)
 

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4、各節を締めくくる文章を書き出してみました

 今月も、書き出します。限られた部分だけだったら、なにがなんだか??になってしまう危険を承知の上で…。
 だって、現代人は忙しいのです。

 それに、主要だと思われる部分をざざっと読んで全体の内容をある程度把握してから、時間のある時に、関係する書物を頼りにじっくりと全部読んで理解につとめる、ということを私自身もやっています。(読み直すたびに新発見がありますので、ちゃんとした理解までにはほど遠いですが…)

 本来でしたら、田中美知太郎先生の文章は、〈何ら独特の論理を用いたりすることもない〉ということですので、〈普通の判断力と良識〉のある方でしたら、頼りにしなければならない書物というのは特に必要ありません。

 けれども私には、田中先生が期待されているどちらも備わっていません。ですので、田中先生が他に書かれた文章からヒントを見つけたり、論文の中に引かれている古典に触れて背景を想像したり、さらにグーグル先生にお世話になりながら、やっと読み終えるという始末です。

 1940年代に田中先生が出された書物は、だいたい「古書」と呼ばれています。
 定價四十圓と書かれていたり、更紙(いわゆる藁半紙)だったりするものもあります。茶色くなったハトロン紙は触るたびにポロポロかけらが落ちるので、がさつな私は大変です。
 古本屋さんからの購入は、私としては価格の面で嬉しいですが、たまに桁が三つくらい違ったりしてびっくりすることもあります。
 一方、どこにも在庫がなかったり、入荷されてもすぐに売れてしまったりとかでなかなか手に入らないものもありますが、本当に必要になった時にはきっと目の前に現れて私を助けてくれると信じているので、そんなに焦っていません。

 好きな書物が読める自由。 
 考えることができる自由。
 自分の意見を発表できる自由。

 8月は自分の内面を整える時期ですので時事問題に触れる機会を減らしていたのですが、たまに海の向こうから聞こえて来る速報や号外にはさすがに心を揺さぶられました。「言論の自由」はなぜ必要なのかということを、今も考えています。

 田中先生の哲学は、今までみてきたように「理想主義」ともいえるものです。
 その根本性格を理解するうえでは、〈善〉と〈真実在〉の探求が中心課題であったという、プラトンの哲学とも共通するものが重要になってくるのでしょう。
 
 プラトンの『第七書簡』(長坂公一 訳)を、私はつい繰り返し読んでいました。
 この書簡は、国家をよくしようと望んでいたシケリア(シシリー)島シュラクサイ(シラクサ)の青年ディオンの遺志を継ぐ一派からの協力要請への返事としてプラトンが書いたもので、プラトン自身の実際活動を弁明する一種の〈公開状〉と見られているようです。

 海の向こうのシュラクサイの政治がどうなろうとプラトンには関係ないはずなのに、なぜプラトンは危険を顧みず3度も船に乗ったのでしょうか。単に理想である〈哲学による政治の夢〉を思い描いていたからという理由だけで説明できるものなのでしょうか。

 なぜ田中先生は、政治的に引っかかりを生ずる文章を発信され、「敢えて言う」ことを続けて来られたのでしょうか。その文章は政治家や専門家だけに向けられていたものなのでしょうか。
 もっともそのことを考える際には、「わたしは教室で政治論をしたことがないと同様、ほかの問題にいつも自分の政治的意見をもち出して、これを無抵抗な一般人に押しつけたりする、いわゆる宣伝家ではないから、他の部門ではその種の議論で読者をなやますようなことはしていないつもりである。」と、『古典学徒の信条』(文藝春秋)の「あとがき」に書かれている内容にも注目する必要があると思われます。

 さてさて、「ミソロゴス」(言論嫌い)は、政治的意見の押しつけの文章ではなく、また感想をそのまま書く随筆でもありません。
 プラトンなんて時代遅れだと思われていた1930年代、〈旧式なプラトン主義者である( cum Platone male errare ) として嗤われることをむしろ誇りとする〉田中先生が、まだ新鋭と呼ばれる頃に書かれました、純粋な哲学論文…〈対話者の登場しない対話篇〉…なのであります。

* *
 

第一節
 「我を忘れて一切をロゴスにまかせるということは一つの悟道であり、いわゆる「無智の自覚」というものの深化だったのである。かくて、何ら「ためにする」ところのない談話が、ソクラテスにあっては、また同時に最も「ためになる」話となったのである。これに反して、人々が「ためになる」と信じている、かの実用的な話の類はかえって全くの無駄言に過ぎないものとなるであろう。これはかの心理家ミソロゴスが人間のたましいを理解し得ないに反して、論理家ソクラテスがこれと取扱い得たのと同じ皮肉なのである。」

第二節
 「そして最初は心にもない嘘をついていた人たちまでが、嘘を繰返しているうちに、心からの嘘をつくようになってしまう。ソクラテスが死を賭してもあくまで戦わなければならなかったのは、かかる嘘に対してであった。彼はその故に容赦なく人々の無智を暴露した。無智はすなわち最も悪性の嘘であり、虚偽そのものにほかならなかったからである。しかし人々は、心からの嘘に少しの矛盾も感じなかったので、「一生をそのうちに眠り暮」そうと思って、小うるさい虻(『弁明』三〇E )のソクラテスを殺してしまったのである。
〔中略〕
 正直に自分の心持を語るということは、既に見られたように、ソクラテスのディアレクティケーが最初に要求することなのである。しかしながら、それはディアレクティケーの出発点であって、究極ではない。嘘のない文章を書くというようなことも、人々の解するような意味では、決して完全ではないであろう。われわれは言葉に出して正直に語られている心そのものを取って、そこに考えられている事柄を徹底的に吟味しなければならぬ。問題は心境ではなくして、認識なのである。無論、かかる意味において真に嘘のない文章を書くということは至難である。しかしながら、その困難の意識が常に必要なのである。それはわれわれにとって、ソクラテスのいわゆる無智の自覚となるであろう。まことに、われわれの自己心情の吐露は、単なる放言に終るべきものではなく、むしろ探求の出発点とならねばならぬ。われわれには、正直な言葉はそれだけで充分なものではない。それはさらにヒュポテシスの意識によって裏づけられていなければならぬ。」

第三節
 「かかるミソロゴス文学においては、言葉が実に貧弱である。心持と言葉、言葉と行為という関係は、不言実行によって、ただ心と行いとの関係に簡単化されてしまう。そしてロゴスによって媒介されない、このような心というものは、外的自然と同じであり、また行為と同じであるということになる。つまり、心と行いの二元は更に行為だけの一元に帰着してしまう。従って、その心理描写は自然描写と全く同じである。たまたまそこに言葉が語られていても、それはむしろ一種の行為として取扱われ、言葉として独立に取扱われることがない。低次元のこの文学的風景は、あるいは花鳥画の世界であり、あるいは動物誌の世界である。しかしそこには人間が住んでいないのである。そして不言実行のミソロゴスというものは、実はこのような芸術につらなるものであることをわれわれは知らなければならない。」

第四節
 「もっともしかしこの無智の自覚によって生きるということは、かの懐疑的な生活態度やニヒリズムなどとは、厳にこれを区別しなければならぬ。なぜなら、無智の自覚とは、ソクラテスにあっては、同時にまた智へのエロース(愛智・哲学)に外ならないからである。それは真の科学者や歴史家が飽くなき探求の精神において、かえって真理の前にますます謙虚となるような心持に似ていると言えよう。従ってまたわれわれは、ソクラテスの知行合一の精神に立つ限り、かの無理不自然な実践の場合を除いては、特に行為のみを困難であるとして認めることは出来ないのであるが、しかしまた他方、われわれ一般の行為が常に不完全であるという事実は充分これを認めることが出来るのであって、かかる不完全性を認めることは別に知行合一の考えに矛盾するわけでもないのである。否、かかる不完全性の認識こそはわれわれの本質的なエロースの目ざめであって、それはあらゆる行為の出発点たるべき無智の自覚につらなるものなのである。ひとはソクラテスの知行合一をもって行為完全性の主張であると見てはならない。」

第五節
 「言行の不一致ということは、かくて、真に人間的なことなのである。神においては、ロゴスのほかに行為が別に存在するという必要はおそらくないであろう。また他の動物においては、天性や習慣による単なる行動の外にロゴスというものがある必要はないであろう。しかしながら、人間においては、言葉と行為の二元が、精神と身体とのそれのごとくに、人間的存在の本質に属するのである。そしてわれわれがロゴスを主となし、行為を従とする時に、われわれは人間として可能なる限りにおいて、神に似るのである。その場合、ロゴスが行為よりも長足であったとしても、それは既に見られたように、決してロゴスの落度ではないのである。ロゴスが完全性に近づき得るということは、それだけでむしろひとつの恵福なのである。言行の不一致を恐れて、ロゴスをいつも自己の現実にのみ縛りつけておくようなことは、決して人間的なことではなく、むしろ悪魔的とでも呼ばるべきことに属する。なぜなら、そこではロゴスが従となって、行為が主となり、われわれは神と正反対の生活をしていることになるからである。まことに、偽悪家のミソロギアーが不健全であり、そのエイローネイアーが一個の悪徳であることは、既にわれわれの見たところなのである。」


第六節
 「すなわち国民のうち真に国家のために計ることの出来る者がもつ賢明の徳は、出来るだけこれを国家のために用いて、国家そのものを賢明な国家としなければならないのであるが、そのためには言論の自由を許して、各人に忌憚なく自己の意見をのべさせるようにしなければならないというのである。ソクラテスの問答法は、相手が自分の思うことを自由に正直に語ることを要求したのであるが、それはまた治国の大本ともなるものであって、ペルシアがキュロス王の時代にとにかく大国家となり得たのも、当時なお幾分かかかる自由が存在したためである(『法律』六九四 AB )とプラトンは考えている。国家の行動は、個人の場合と同じように、真に国家のためであるところのものの認識に立脚しなければならないのであって、架空虚偽の目的のためにみだりに国運を賭すがごときことは、厳にこれを戒しめなければならぬ。そしてかかる危険から国家を救うものがすなわちロゴスの吟味であって、国民的自由の第一要件である言論の自由ということも、他面またこのような目的のために必要なのである。
〔中略〕
 ひとは自分自身すこしも知らない事柄に関していかなるロゴスを語ったところで、それによって人を真に説得することも出来なければ、無論また事の解決を与えることも出来ないであろう。
〔中略〕
 しかるに、実際の権力者というものは何らかかる知識をもつ者ではなく、また学問の忠告に耳を傾けようともしないのである。彼等は自己の思いつきや誤れる信念をもって、自己一身の栄誉や利益のために行動する。そして彼等が支配の手段として用いるところのものは、動物的な暴力であり、ゴルギアス流のデマゴギーなのである。そして彼等自身の仕事が実は無内容なロゴスに終始しているにもかかわらず、真正の学問を目して空理空論に過ぎずとなすのである(*)。このために人々は、ロゴスを伴わないもろもろの仕事に対立するものとして、ただ学問のみを考えがちである。あたかも学問以外の仕事はすべていわゆる実践であるかのごとくに考えがちである。しかし無論これは錯覚である。人生にはロゴスのみによる仕事が実に多いのである。学問の仕事はその一部分に過ぎない。しかも学問は、一方において、ロゴスを伴わぬ仕事の指導に当ると共に、他方においては、それ自身の積極的な仕事をもっている。その点においては、学問の研究は、ロゴスを伴わぬもろもろの制作とむしろ同じなのである。これに反して、何らかくのごときそれ自身の仕事をもつことなく、ただゴルギアス流のロゴスによって、他の仕事を支配しようとする人々のなすところのものは、それがいかに多忙であろうとも、ついに仕事の仮象に過ぎないのである。そして人々が普通に実際生活とロゴスとの対立として考えているものは、実はむしろこのような偽わりのロゴスに対するものであって、必ずしもロゴス一般に当てはまることではないように思われる。このようなソフィストのロゴスは、事柄そのものの知識も、それぞれの仕事に対する理解もなしに、ただデマゴギーによって架空のことを説き、何ら意味のないことのために無駄骨折りをさせるのであるが、学問知識のロゴスに対しては、それ自体にはロゴスを用いることのない仕事までが、自分の仕事の完成のために、また他の仕事との関係について、何らかの指導と忠言を求めるものなのである。
(*)Respublica 488DE. 」

 
* *

 (補足:以下は、田中先生がプラトンの研究をまとめられた全四巻の書物の第四巻目、『プラトン IV 』の「あとがき」から抜粋したものです。いつものように私はまだ「あとがき」しか読めていません。なお、ソクラテスがアテナイの法廷に告発されたのは、いわゆる三十人の独裁政権が崩壊し「直接民主制が回復した後の」紀元前399年のことであります。国家について考える際には、政治の制度とか政治家の資質とかも大事なのですが、しかしまずは、国民である私たちひとりひとりの心がけにかかってくる部分が大きいんじゃないだろうかと思っている次第です。)
 ↓

 今日のわれわれはようやくまた自由社会をもつことが出来るようになったが、それはプラトンが警告しているように、きわめて不安定な社会であり、いつも最劣悪者の独裁的支配に屈する危険をもつ社会なのである。プラトン政治理論の今日的意味はまさにその点において大であると言わなければならない。節制ということがプラトンの政治理論においても、また個人倫理においても中心的な意味をもっているが、それは要するに神の宇宙づくりにおける知性の支配的役割を、国家社会においても個人の人づくりにおいても徹底させ、われわれ自身のうちにも、またわれわれの国家社会のうちにも一つのコスモスを形成しようとすることなのである。
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(田中美知太郎『プラトン IV 』1984年. 岩波書店. p. 388. 「あとがき」より抜粋)


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(前置き不要ですぐに本文に入りたい方はこちらから↓↓)

【田中美知太郎「ミソロゴス − 主として言行一致の要求における − 」(『ロゴスとイデア』より)】


発表:1939(昭和14)年9月『思想』
所収:1947(昭和22)年9月『ロゴスとイデア』岩波書店 
今回の引用:
1)1968(昭和43)年10月『田中美知太郎全集第一巻』筑摩書房. pp. 135-169. 
2)2014年(平成26年)6月『ロゴスとイデア』文春学藝ライブラリー. pp. 192-241. 
3)1947年9月第1刷, 1977年7月第3刷『ロゴスとイデア』岩波書店. pp. 171-217. 


* *

1933 国際連盟脱退通告。塘沽停戦協定。/京帝大滝川事件。/ドイツ, ナチ党政権独立。アメリカ, ニューディール政策開始。
1934 満州国帝政実施。/丹那トンネル開通。
1935 天皇機関説, 問題となる。国体明徴声明。/湯川秀樹, 中間子論。第1回芥川賞・直木賞。/イタリア, エチオピアに侵入。
1936 二・二六事件。日独防共協定。/スペイン内戦(〜1939)。西安事件。
1937 盧溝橋事件:日中戦争。日独伊防共協定。/文化勲章制定。国民精神総動員運動。
1938 近衛声明。国家総動員法。張鼓峰事件。/ミュンヘン会談。
1939 日米通商航海条約廃棄通告。/独ソ不可侵条約。第二次世界大戦(〜1945)
1940 北部仏印進駐。日独伊三国同盟成立。/津田左右吉著書発禁。/南京に汪政権。
1941 日ソ中立条約締結。南部仏印進駐。ハワイ真珠湾攻撃:太平洋戦争(~1945)。/国民学校令公布。/大西洋憲章。独ソ戦争。
1942 翼賛選挙。ミッドウェー海戦。/関門海底トンネル開通。
1943 ガダルカナル撤退。学徒出陣。/イタリア降伏。カイロ会談。イタリア降伏。カイロ会談。
1944 サイパン島陥落。本土爆撃本格化。

1945 東京大空襲。アメリカ軍,沖縄本島占領。広島に原子爆弾。ソ連参戦。長崎に原子爆弾。ポツダム宣言受諾。降伏文書に調印。連合国軍の本土進駐。五大改革指令。財閥解体。農地改革指令。新選挙法(女性参政権)。労働組合法。/ヤルタ会談。ポツダム会談。国際連合成立。インドネシア独立。

1946 天皇人間宣言。公職追放令。農地改革。金融緊急措置令。極東国際軍事裁判開始。日本国憲法公布。/第1回日展。第1回国民体育大会。当用漢字告示。/フィリピン独立。インドシナ戦争(〜1954)。
1947 二・一ゼネスト中止。労働基準法。独占禁止法。日本国憲法施行。/教育基本法・学校教育法公布。六三制実施。/インド・パキスタン分離独立。コミンフォルム結成(〜1956)。
(年表:山川出版社『詳説日本史B』p. 424より)

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(なお書き写しに関しましては、田中美知太郎先生の著作権継承者である田中氏より、長い引用大丈夫ですと許可をいただいております)

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    一

 ミソロゴスという言葉をプラトンは、『パイドン』のなか(八九D 以下)で、ミサントローポスという語に並べて用いている。いまミサントローポスを「人間嫌い」と訳すならば、ミソロゴスは「言論嫌い」と訳すことができるであろう。プラトンによれば、この二つのものは同じような仕方で生ずるのである。人間嫌いというのは、不用意にすべての人間を信ずることから生まれて来る。つまりそのような信頼は、当然予期され得るように、たびたび裏切られなければならない。そして自分が最も親しく思っている人々のうちにさえ不誠実を発見しなければならない時、ひとはついに何人をも信じ得なくなり、一切の人間を悪(にく)むこととなる。ちょうどそれと同じように、あまり容易く言葉を信ずることによって、ひとはかえってミソロゴスとなる。本当だと思った言葉が、また別の話を聞くと、どうも嘘らしく見えて来るというような経験が度重なると、どのロゴスも始めから信用出来ないもののように思われて来る。特に自分がそういうようないろいろの理論に翻弄されて、しかも結局何も得るところがなかったと考えられるような場合には、自分は無駄骨折をさせられたとか、場合によっては、生涯をあやまってしまったとか考えて、そこにミソロゴスの深刻なものが生まれて来る。そしてそういう人たちは、この世には何らの真実もない、すべてのロゴスは無意味であると信ずることによって、一つの智慧に到達したと思うのである。しかしながら、このようにすべてを信ずることから、またすべてを信じないようなことになるのは、プラトンによれば、それは始めに用意が欠けていたからなのである。つまり、ひとはロゴスを取扱うのにも、人間を相手にするのにも、これに処する心得がなければならないのである。この心得がないと、ひとは同じ一つのロゴスが時には真であると思われ、時にはまた偽であると考えられるようなことがあると、もう途方にくれてしまう。そしてロゴスに欺かれたと思って、ロゴスを悪むのであるが、悪まるべきものはむしろ自己の不用意であって、ロゴスではないであろう。ひとはロゴスを取扱うためには、ディアレクティケーを解しなければならないのである。

 ミソロゴスが何であるかは、以上によって、一応これをわれわれは理解することが出来たと言えよう。しかしながら、プラトンが『パイドン』のこの一例によって示しているのは、主として詭弁家と呼ばれるような言論ずれのした人たちとの交渉から生まれて来るミソロゴスなのである。このような場合はおそらく実際に存在したのであろう。プラトンは『テアイテトス』(一六八A )においてもこのような事実に言及している。しかしながら、これは無論ミソロゴスの唯一の場合ではない。プラトンはこの語をなお他の数個所において用いているのであるが、そこにはまた別の場合が与えられている。これらのうち、『ラケス』(一八八C 以下)のミソロゴスはその最も普通の場合を示すものと見ることが出来るであろう。対話人物の一人であるラケスは、そこにおいて自分のロゴスに対する態度を、場合によってはロゴスを好む者(ピロロゴス)と思われ、場合によってはロゴスを悪む者(ミソロゴス)と見られるような、二重性のものとして語っている。すなわちラケスは、ひとが徳や智慧について語るのを聞くことを特に好むのであるが、しかしそれは人が真にその語るところのものにふさわしいような徳をそなえている場合に限られるのである。そういう場合にラケスは、美しい言葉を聞きながら、同時にその言葉を語る人を目のあたりに見て、人とロゴス、言葉と行為との美しい調和に最高の音楽を聞くような思いがすると言っている。これに反して、もし人とロゴスとの間にこのような調和が存しないならば、その言葉を聞くことはむしろ苦痛となる。そしてロゴスが上手に語られれば語られるだけ、不快はいっそう加わって、ミソロゴスの情が生まれて来る。恐らくラケスのこの感情は、誰にも同感のできるものなのではないかと思われる。事実、われわれはかの政治的デマゴギーや個人的弁解が、悪逆の行いをあらゆる神聖な言葉をもって飾ろうとするのを聞く時、実に苦々しいものを感ずるからである。しかもわれわれの現実の世界においては、言葉も行いも共に卑しい人々の場合を除いては、人とロゴスとの厳密な調和を見出すことは極めて困難であるように思われる。従って、もしロゴスが常にその語り手とのこのような関係からのみ聞かるべきものであるとしたら、われわれは必然にミソロゴスとならねばならないであろう。われわれはあらゆる場合に、言葉そのものに耳を傾けるよりも、むしろまず語り手の心理と動機を忖度(そんたく)しようとする者になるであろう。しかも人と人とが互いに、偏見や先入主によって、相手の言葉を素直に聞こうとしないところから、この世がいかに険悪なものとなりつつあるかは、われわれが等しく知るところの事実なのである。

 しかしながら、ロゴスは人とのかかる関係からのみ考えらるべきものではないであろう。既にヘラクレイトスは、「われに聞くにあらず、ロゴスに聞きて、万物即一のロゴスに一致することが即ち智である」( Fr. 50, Diels )と述べて、ロゴスが語り手の人をはなれて聞かるべきことを要求している。そしてかのディアレクティケーの精神というものは、ちょうどこの語り手が我と人を忘れて( οὐ σοῦ ἕνεκα, άλλά τοῦ λόγου )、「ロゴスそのもののうちに我を投ずること、あたかも医者に身体をゆだねるがごとくする(*)」ことにおいて見られるのである。しかもロゴスがこのような仕方で人から独立するということの可能性は、一見それが困難に見える文芸作品のうちにおいても見出され得るのである。「私は昨夜この問題に関して数頁の対話を書いた。これはやがて作品全体の中心主題となり、いわばそすべてをその周囲に吸い寄せる隠れた枢軸ともなるであろう」ということを、すぐれた一人の作家がその作品日記のうちに記している。すなわちこの対話は、実際の作品に先立って、これが行われる場所と人物から離れて書かれたのである。無論、従ってまたこれが「作品に実際使用される場合には書直しを必要とする」ものであることも疑えない事実である。なぜなら、それは実際の作品のうちにあっては、あくまでも作中人物の対話でなければならず、作中人物が相手の人物と対話する代りに、直接「読者に向って話し掛ける」ようなことがあってはならないからである。また実際の場合、この対話には適当な場所が与えられず、ついに使用されないでしまうこともあり得るわけである。しかしそれにもかかわらず、作者は実際の作品に先立ってこの対話を書き、これが作品のうちに繰入れられて、やがて全作品の枢軸をなすべきことと信じたのである。このことは、文芸作品中のロゴスというものが、それだけで独立に生まれ、それ自体の展開をもち得るものであるということの可能性を示すものでなければならない。事実、われわれは作中人物の対話とか、演説とか、討論とか、その他いろいろな形式のロゴスが、作中人物の性格や心理や行動に対して、また別な一つの次元を形づくっていて、それが作品全体に一種の奥行を与えている事実を、ヨーロッパ文学の本格的な作品のうちに常に見出すことが出来るのである。われわれはそこにおいて作者のレトリックに接するのである。あるいは更にそのディアレクティックに接する場合さえも少なくない。そしてこのようなレートリケー(弁論術)とディアレクティケーの使用は、遠くホメロスや悲劇詩人にまで遡り得るヨーロッパ文学の伝統に属するもののように思われる。この故にアリストテレスは、その『創作論』(ポエティカ)第六章において、劇中人物は性格(エートス)のほかに、言語使用の能力であるディアノイアを別にもつべきものとして語っている。劇中人物の性格を示すものはそれの言葉と行為のほかにない。しかしながら、言葉は単に性格を示すだけのものではなく、それ自体の展開をもつものなのである。そしてかかる言葉は性格よりも、むしろ思想を示す。ディアノイアがしばしば「思想」と訳されるのは、このためである。

(*)Plato, Gorgias 453C, 475D ; Charmides 166DE ; Phaedrus 275BC. 

 しかしながら、ロゴスがかかる意味において人から独立するということは、ただ文芸作品のうちにのみ与えられる可能性ではないであろう。それはまた人生の事実でもあり得る。すなわちわれわれは何ら「ためにする」ところのない談話を楽しみ得る者なのである。我を忘れて一切をロゴスにまかせるという、かのディアレクティケーの精神は、ちょうどこの種の談話のうちにその現実的な基礎をもっているのである。すなわちディアレクティケーは、この何らためにするところのない談話の精神を、さらに自由討議の精神となし、学問探求のうちにこれを生かそうとするものに外ならない。無論、ロゴスが一たび討議のかたちを取る時には、人々は早くもその勝敗に拘泥する者となるであろう。またもしそれが法廷弁論のようなものになるならば、勝敗は直ちに個人的利害を伴うものとなるから、われわれは到底すべてをロゴスにまかせて安閑としていることは出来ないと思われるであろう。しかしながら、『弁明』『クリトン』『パイドン』等におけるソクラテスは、自己の生死を安んじてロゴスに託し得たのである。『ゴルギアス』『プロタゴラス』『理想国』第一巻などにおけるソクラテスは、論争競技の選手たちと討論して、たちまち勝敗を越えたところにロゴスを導くことが出来たのである。彼はどんな実際的な話からでも、たちまちに閑談を作り出す名人だった。この故に実際家たちは、何の役にも立たない彼の無駄話(*)を呪ったのである。彼はあらゆる談話のかげに何か醜い個人的動機を見出そうとするかのミソロゴスとは正反対であった。彼はロゴスのかげにある語り手の心理を充分に知っていたけれども(**)、常にロゴスをただロゴスとして受取り、相手の美しい言葉や正しい言葉に対しては賞讃を惜しまなかった。これは人々がソクラテスのエイローネイアー(皮肉・空とぼけ)と呼んだところのものなのであるが、しかし実際はむしろディアレクティケーの精神に属するものだったのである。ソクラテスにあっては、ディアレクティケーは一個の矛盾であるかのように見える。彼はディアレクティケーの精神によって、ただ相手の言葉だけを聞こうとするから、人々にはそれが空とぼけとも、何くわぬ顔をしているとも見えるのであるが、しかし彼が実際に関心をもっているのは、相手のたましいについてなのである。彼はこの点でも、かのミソロゴスの正反対であった。この心理家(ミソロゴス)は絶えず相手の言葉のうらを気にしているようであるが、しかし彼が実際に拘泥しているのは相手の言葉だけなのである。だから偽善家は、彼の前にあっては、ただその美しい言葉を棄てさえすればいい。しかしソクラテスの前にあっては、偽善者も偽悪家もその醜い心を棄てなければならない。ディアレクティケーはソクラテスにとって、ピュタゴラス派のいわゆるたましいの浄化、あるいは解脱をもたらす工夫であり、道程であった。この故に、人々がソクラテスの閑談と見たものも、実際は一切の先入見を放下させる厳談となった。我を忘れて一切をロゴスにまかせるということは一つの悟道であり、いわゆる「無智の自覚」というものの深化だったのである。かくて、何ら「ためにする」ところのない談話が、ソクラテスにあっては、また同時に最も「ためになる」話となったのである。これに反して、人々が「ためになる」と信じている、かの実用的な話の類はかえって全くの無駄言に過ぎないものとなるであろう。これはかの心理家ミソロゴスが人間のたましいを理解し得ないに反して、論理家ソクラテスがこれと取扱い得たのと同じ皮肉なのである。

(*) 拙訳『テアイテトス』五一四頁註一参照。
(**)たとえば『ゴルギアス』四八九E はじめに見出されるソクラテスの一種辛辣な言葉は、彼がカリクレスの空々しい忠告のうらを始めから充分に知っていたことを示している。

    二

 しかしながら、われわれはミソロゴスの問題を、ソクラテスのディアレクティケーというような高所から、こういうふうに論断するのは未だ早いと思われるであろう。われわれにはなお問題がのこされていたのではないだろうか。ミソロゴスとなることを避けるためにはわれわれは、ロゴスをただロゴスとして受取り、相手の人のいかんを問わなかったのであるが、この方法には、人々がソクラテスについて語ったエイローネイアー(空とぼけ)という非難においても見られるように、何か不正直なもの、不真面目なもの、皮相なものが感じられはしないであろうか。相手の心理や動機については何くわぬ顔をしながら、ただ言葉だけの交渉をするということは、相手を真面目な相手として取扱わずに、単なる遊戯の相手として遇するということにもなるわけである。現にプラトンの『エウテュデモス』においては、二人のソフィストがソクラテスと少年たちを、始めから終りまでこのような仕方で取扱っているのである。しかも第三者の目には、ソフィストの方法もソクラテスの方法も区別がないと見られるのである(*)。事実、ソクラテスのディアレクティケーなるものは、互いに心にもないお世辞を交換しながら、実際には相手の心を油断なく見張っている、かの社交界の会話に酷似しているとも言えるであろう。われわれはむしろ、心にもない一切の言葉をふりすてて、真実がいかに醜悪であろうとも、ただ真実のみを語るべきではないだろうか。またもしそれが不可能ならば、むしろ全く沈黙すべきではあるまいか。「私が軽蔑するのは彼の行為ではない。彼が行為に与える理由である」とするミソロゴスの叫びは、寸毫の虚偽をも許すまいとするその潔癖の故に、この場合むしろわれわれの共鳴を呼ぶとも言えるであろう。

(*)Euthydemus 304D sqq. 

 しかしながら、ここに言われる虚偽とは何であろうか。真実とは何であろうか。多くの場合まず第一に人々が考えるのは、心のなかで考えられたことと、口に出して言われたこととの一致不一致である。心にもない嘘をついたか否かということである。しかしながら、この点に関しては、ソクラテスのディアレクティケーもまたあくまで真実を要求するものなのであった。『ゴルギアス』(四八七A )において、ソクラテスは次のようなことを述べている。たましいの生活が正しいか否かを吟味して貰うには、相手に知識と好意と、そして何でも思っていることを率直に語ってくれる自由とを要求しなければならないというのである。そしてこの故に彼は、相手のカリクレスが、ただロゴスの辻褄を合わすために、心にもない答をした時、「もはや共に真実を検討するに充分な者ではない」(四九五A )として非難しなければならなかったのである。そしてこの口舌と心腹との一致に意を用いるか否かということが、『テアイテトス』(一五四DE )においては、まさにソクラテスのディアレクティケーとソフィストの論争競技(エリスティケー)との分岐点ともなっているのである。従って、ソクラテスのディアレクティケーを心にもない言葉の交換と見て、これを社交界の会話に擬するというようなことは、いま述べられたエリスティケーとの区別を無視するものであって、はなはだ当らない批評であると言わなければならない。ソクラテスのエイローネイアー(空とぼけ)と解されたものは、実際のところ、ディアレクティケーの要求によって、相手の知識と好意と率直さとを、相手の言葉通りに信用して、相手がそれらを欠いていることの暴露されるまでは、これを智者として、好意をもってくれる友人として、また率直に自己の所信を語る自由人として、あくまでも真面目に取扱おうとする態度にほかならないのである。そしてソクラテスのこの態度を空とぼけにしてしまうのは、相手の不正直であり、相手の悪意であり、また相手の無智と己惚れなのである。しかもソクラテスは、これらの事実が明らかになっても、なお相手を出来るだけ真面目な相手として( ἐπιχειρῶμεν ἄρα τῷ λόγῳ ὡς σοῦ σπουδάζοντος )(*)取扱おうとする。われわれはソクラテスの方法を不真面目であるとして非難することは出来ないであろう。

(*)Gorgias 495C. 

 しかしながら、心にもない嘘だけが嘘なのではない。更に恐るべき嘘としては、心からの嘘というものがある。このことは既にプラトンが『理想国』第二巻(三八二AB )第七巻(五三五E )などにおいて注意した事実なのである。人人〔原文ママ〕は自己の行為について、後からこれに理由を与えるものなのであるが、その場合、この事後論理はいつの間にか事前の論理であったかのように考えられてしまう。そしてその行為は始めからそこに与えられたような目的のためになされたと思い、そこから誤った正義感や神聖感が生まれて来ることさえも珍しくはない。このような嘘の恐るべき点は、ひとが嘘を真実と信じていることである。彼等は心にもない嘘をつく場合とは異り、口舌と心腹との矛盾を感じない。従って、その嘘はいつまでも気づかれずにいることが少なくない。しかしながら、国家たると個人たるとを問わず、もしその最も重大な事柄に関してかかる嘘を信じていたとするならば、その結果は恐るべきものであろう。この種の嘘は、既にプラトンが見たように、あらゆる虚偽の根源であって、真の意味の「嘘」なのである。それは直接「真実」に対立するものであって、その精神状態は「真実」に対する全くの盲目であるから、われわれはプラトンに従って、これをまた「無智」とも呼ぶことが出来るであろう。実際、医者が病人を取扱うのにも、大工が家を建てるのにも、まず知らなければならないのは真実なのである。そしてこのことは個人の生活においても、国家の政治においても、事情は全く同じである。従って、ひとは無智を恐れなければならぬ。心からの嘘というものを警戒しなければならぬ。しかるに、悲しいかな、いわゆる「一犬嘘を伝えて」の諺は日常の事実なのである。そして最初は心にもない嘘をついていた人たちまでが、嘘を繰返しているうちに、心からの嘘をつくようになってしまう。ソクラテスが死を賭してもあくまで戦わなければならなかったのは、かかる嘘に対してであった。彼はその故に容赦なく人々の無智を暴露した。無智はすなわち最も悪性の嘘であり、虚偽そのものにほかならなかったからである。しかし人々は、心からの嘘に少しの矛盾も感じなかったので、「一生をそのうちに眠り暮」そうと思って、小うるさい虻(『弁明』三〇E )のソクラテスを殺してしまったのである。

 おそらくわれわれは、ソクラテスのエイローネイアーというものを、またかかる嘘への戦法としても理解することが出来るであろう。われわれは心からなる嘘に対して、かのミソロゴスのごとく、その一切の理由づけを否定し、いかなる弁解にも耳を傾けないでいることも出来る。しかしながら、本来ロゴスをもてる動物としての人間には、何ごとにつけても何らかのロゴスを、他人でなければ、少なくとも自己自身に対して語るのが、その自然なのである。これをなお否定して、一切のロゴスを許すまいとするのは、究極における人間性の否定であって、ミソロゴスはすなわちミサントローポスであるということになる。しかしながら、悪まるべきものは、虚偽のロゴスなのであって、ロゴス一般ではないであろう。従ってわれわれは、心からなる嘘に対しても別の態度をとらなければならぬ。われわれは一切の弁解を拒否する代りに、まず一応その弁解を聞いて、どこに虚偽があるかを明らかにしなければならぬ。矛盾を感じない、心からの嘘に対して、その矛盾を指摘しなければならない。かかる吟味の方法がすなわちソクラテスの問答法なのである。そしてこの問答法(ディアレクティケー)はその始源をエレアのゼノンに負うている。既に一般に知られているように、ゼノンはたとえば存在の多ということを否定するためには、一応まず存在の多というものを認めて、これを前提として出発したのである。そしてこの前提から互いに矛盾する帰結、たとえば多なる存在は有限であるという帰結と、多なる存在は無限であるという帰結とを導き出すことによって、前提の命題を否定したのである。ソクラテスの方法もこれと全く同じであると言うことが出来る。彼は相手の心からなる嘘を一応受容れて、そこから吟味を出発させたからである。そしてプラトンのいわゆるヒュポテシス(仮定)の方法なるものも実はソクラテスのこの方法の発展であると言うことが出来よう。しかしながら、仮定の意味にせよ、とにかく嘘を認めるのであるから、相手は心からの嘘をつき、ソクラテスは心にもない嘘をついたことにもなる。ここにソクラテスの空とぼけ(エイローネイアー)があり、人々が不正直と感じたゆえんのものもあるわけなのである。ヒュポテシスの意識というものは二重心理なのである。それはロゴスの進行にそのまま従って行きながら、他方では、すべてが吟味中の問題であることを忘れまいとする。もし真実のみを語るべきであるとしたら、未だ疑問の事柄をロゴスのうちに取扱うことは困難となり、ゼノンやソクラテスの方法は不可能となるであろう。しかしながら、嘘を吟味するためには嘘に手を触れなければならぬ。そしてもしかくすることが嘘をつくことであるならば、嘘もつかなければならぬ。しかしそれはあくまでも意識的な嘘でなければならぬ。ひとはヒュポテシスの意識を失ってはならぬのである。もしそうでないと、ひとは心からの嘘をつき、全くの無智に堕し、絶対の虚偽に捉われることとなってしまう。プラトンは、前掲『理想国』第二巻(三八二CD )において、心からの嘘はいかなる場合にも許されないが、心にもない言葉だけの嘘は時に許されることのあるのを語っている。たとえば、戦争中の敵や狂気の友に対する場合、あるいは遠い昔の物語を創作する場合などがこれである。ソクラテスは、『テアイテトス』(一四九A 以下)において、自分の業を産婆のそれに擬しているのであるが、彼のエイローネイアーがもし心にもない嘘としても解され得るものならば、その嘘はまたあるいは病人に対する必要な嘘とも見られ得るであろう。

 ところで、ある種のミソロゴスは、心からなる嘘の存在を知らずに、ただ心にもない嘘のみを悪むものである。たとえば文章を作るような場合に、われわれは誇張を避けて、自分の心持にぴったり合った言葉だけを語ろうとする。そしてそういう文章を嘘のない文章として珍重する。こういう文章が読んで気持のいいことは無論であり、このような心掛けが文章修行の上に必要なことは言うまでもない。しかしながら、この場合人々の考える嘘というのは、心と言葉との間の嘘、すなわち心にもない嘘だけなのではないだろうか。しかし自分の心持を正直に語るという心掛けだけでは、自分自身の無智をいかんともすることが出来ず、ただ心からの嘘を正確に伝えるに過ぎないような場合が少なくないであろう。世俗の談話演説等には、心にもない言葉をそれと気づかずに語っている場合が非常に多い。そして言葉のその空虚を補うかのように、感情の誇張がしばしば用いられる。これは言葉と心との間に一致があるかのような錯覚を与え、正直に語ろうとする要求に一種の満足感を与えるからなのであろう。すなわち心にもない嘘をつくという危険は、ただの正直だけでは防止されないのである。しかも危険は心にもない嘘だけではなく、心からの嘘というものが更にいっそう恐れられねばならぬのである。「歴史におけるほどわれわれの学問の未熟というものが露わになる場合は少ない。容易に避け得たはずの科学的誤謬を犯して恥ずる学者も、歴史的な問題ではこの上なく軽率な叙述を恣(ほしいまま)にするものである」と一人の科学史家が語っている。しかしながら、このような軽率は、嘘のない文章を書くためにあらゆる神経をつかっているかのように見える文学者のうちにもしばしば見られることなのである。現代の歴史について、芸術家や科学者が、自己の無智をいささかも反省することなしに、かのデマゴーク〔原文ママ〕のごとくに語るのをわれわれは見なければならないからである。正直に自分の心持を語るということは、既に見られたように、ソクラテスのディアレクティケーが最初に要求することなのである。しかしながら、それはディアレクティケーの出発点であって、究極ではない。嘘のない文章を書くというようなことも、人々の解するような意味では、決して完全ではないであろう。われわれは言葉に出して正直に語られている心そのものを取って、そこに考えられている事柄を徹底的に吟味しなければならぬ。問題は心境ではなくして、認識なのである。無論、かかる意味において真に嘘のない文章を書くということは至難である。しかしながら、その困難の意識が常に必要なのである。それはわれわれにとって、ソクラテスのいわゆる無智の自覚となるであろう。まことに、われわれの自己心情の吐露は、単なる放言に終るべきものではなく、むしろ探求の出発点とならねばならぬ。われわれには、正直な言葉はそれだけで充分なものではない。それはさらにヒュポテシスの意識によって裏づけられていなければならぬ。

    三

 心と言葉の不一致から生まれて来るミソロゴスというものは、しかしながら、かの変転する理論の翻弄によって生じて来るミソロゴスと同じように、ミソロゴスの特殊な場合に属する。われわれがそれの普遍的な場合として考えなければならぬのは、むしろかの『ラケス』において見られた言行一致の要求から来るミソロゴスであろう。しかしここに悪(にく)まれているのも、やはり言葉と行為との間の嘘だけではないかと思われる。それは言葉と心との間の嘘よりもいっそう外面的で、その発見は心からの嘘よりもはるかに容易である。従ってまたわれわれには、単なる言行一致は、心と言葉の一致よりもなおさら不充分であると思われる。なぜなら、その言行一致は、心にもない嘘の実行であったり、あるいは心からなる嘘の実行であったりするからである。既に見られたように、われわれは自分の心からの嘘を発見することが容易でなく、また心にもない嘘を避けるためにも、精神上の特殊な修練を必要としたのである。従って、その点に嘘のない言行一致というものは極めて稀であり、至難のことであると考えなければならぬ。これに反して、世上のいわゆる言行一致なるものは、その点の吟味を欠いて、ただ外面的な言行の一致にのみ終始するものであるから、比較的に容易で、その場合も決して稀ではないように思われる。一般的に言って、言行一致が言行の不一致よりもよいものであることは無論であるが、しかし単なる言行一致だけを切離して、これに独立の価値を認めるということは必ずしも妥当ではないように思われる。いまもしいわゆる言行一致に人々の考えるような絶対の価値を認めるとするならば、われわれは何らの道徳的な努力なしに、ただわれわれ自身について語られる言葉の内容を縮小低下させることによって、かえって人格の向上にも似た結果を生み、道徳上の優者になるというようなことが出来たであろう。人々は自己の行為を事後論理によって合理化し、事件のたびごとにロゴスをこれに適合するように縮小する。これに反して、ある種の偽悪家は後からロゴスを縮小する代りに、あらかじめロゴスを縮小低下させておく。彼はその言葉を実行するのに何らの努力を要しない。否、その行為は言葉の範囲を越えることさえ少なくない。狡猾な偽悪家はこの場合の逆効果を勘定に入れているのである。いわゆる偽善家は苦しい努力によって、その言葉の半分を実行した時にも、なおその言行不一致を手きびしく非難されなければならないが、偽悪家は行為が偶然言葉の外にはみ出しただけで、案外の徳行家のように賞讃される。偽悪家の事前のロゴスは実は仮象なのである。そのロゴスには新しい行為はほとんど不必要であって、それは既に与えられている自己をそのまま言葉に直したものに過ぎない。すなわちそれは逆の事後論理なのである。そしてかかる事後論理は、自己批判の正反対であって、ただ原始的な自己固執を頑固にするばかりである。われわれはこの点において、偽悪家のエイローネイアーとソクラテスのエイローネイアーとを区別することが出来るであろう。自己について語られる言葉が実際よりも内輪である時、われわれはそこに卑下や謙遜を見る。しかしながら、ギリシア人はかかる美徳を知らなかったかのようである。少なくとも、それに当るギリシア語を見つけることは困難に思われる。ギリシア人は自己についても真実あるがままの言行を美徳としたので、自己を実際よりも低く見せようとする作為をむしろ悪徳とした。その悪徳の名がすなわちエイローネイアーなのである(*)。従って、それがソクラテスについて語られる時、無論それは非難の意味なのである。無智の自覚を伴うソクラテスの言行は、人々にはエイローネイアーとしてよりほかに理解が出来なかったからである。しかしながら、ソクラテスの言行は決して作為ではなく、むしろ真実であった。人々が知識となし美徳となすところのものは、無論ソクラテスにも存在したであろう。しかしながら、ソクラテスはそれらに甘んじ得なかったし、また真の自己がそれらによって形成されるとも信じ得なかった。それらはむしろ仮象であって、われわれはそれらを否定しつくすことによって、始めて真の自己を見出すことが出来るのである。人間は神のごとく既に全知なる者ではなく、未だ知ることなき者として、探求することがその本質なのである。既に完全なる徳を具有する者ではなく、未だ徳なきが故に徳に向って努力しなければならない者なのである。真善美に対するエロースが即ち真の自己であり、この世界の本質なのである。しかしこのエロースを自覚するためには、われわれは仮象の知識や美徳によって蔽われた虚偽の自己を絶えず否定しなければならぬ。このようなものに甘んずる自己肯定は、われわれの胸からエロースの火を消し、理想へのあらゆる努力を失わせるからである。われわれの本質は探求者であり、エロースを抱く者なのであるが、このことの自覚にはまた自己が無智者であり、無徳者であることの自覚を必要とする。ソクラテスのいわゆるエイローネイアーはかかる自己否定の所産であって、また偽わらざる自己の告白なのであった。これに反して、かの偽悪家における縮小低下されたロゴスというものは、既に見られたように、単なる自己肯定のための事後論理であり、何らかの予防線であるに過ぎない。時にはロゴスをはみ出した行為が作るところの錯覚を利用して、自己を偽わりの美徳によって飾らんとする策略に過ぎない場合さえもある。従ってわれわれがここに見るところのものは、最も悪性のエイローネイアーであると言わなければならない。彼等は自己肯定のために、一方では、ちょうど自分に適合するところまでロゴスを縮小低下させるとともに、他方では、これと同じ意味あいで、絶えず他人の努力を嘲笑したり、誹謗したりする。それが何ら真面目な努力をしないで、なお自分の価値を保ったり、場合によっては高めたりする、最も簡便なもう一つの方法と思われるからである。あらゆる理想主義的な言説に対して絶えず牙をむきながら、自らは現実家と称する世俗の批評家なるものの多くはすなわちこの類である。人々は彼等の不当な誹謗によって勇気を失い、彼等と同じような自堕落の現実肯定にまで没落して行く。それはソクラテスの吟味が、自己否定を通じてエロースの自覚に導き、人を理想探求者として再生させるのとは全くの正反対である。プラトンの『饗宴』三二章(二一五A  以下)におけるアルキビアデスの告白は、ソクラテス的方法のかかる効果について、最もよく語っている。

(*)エイローネイアーの定義は、アリストテレス『ニコマコス倫理学』第二巻第七章(一一〇八a 二二)テオプラストス『人さまざま』第一節(吉田訳一九頁)に与えられている。訳語としては、「皮肉」や「猫かむり」が用いられているが、未だ適訳とは称し難い。本稿に用いた「空とぼけ」(空馬鹿)もおそらく同様であろう。それの定義通りの意味は「自分を実際以下に見せかける」「実際より消極的に見せる」というようなところであるから、もし悪を道徳以外の広い意味にとることが出来れば、定義通りの訳語はむしろ「偽悪」であろう。しかしこれも無論実際には用い難い。

 言行の一致を至上として、言葉を出来るだけ切りつめて、行為との一致を容易にするという心がけは、その究極において不言実行ということになるであろう。われわれはここにおいて明らかなミソロゴスを見るのであるが、かかるミソロギアーは既にかの偽悪家のうちにも見出し得るものだったのである。それは言葉をあるがままの心持に合わせようとする文章家のごとく、あるがままの行為に一致した言葉のみを語ろうとする。しかし兎角そのような制御に言葉は服し難く見えるものである。従って、いっそ言葉がなかったらというのが、恐らくそういう場合の気持ともなるであろう。実際、下手な言葉の後では、もう何も言うまいと思うことがたびたびあるからである。そしてかかるミソロゴスは、その極限において不言実行となり、文章の書けない文章家となる。毫末の虚偽をも許すまいとする純粋なその気持は、たしかにわれわれの同感と尊敬を呼ぶところのものである。しかしながら、それが行為と言葉、言葉と心持の一致にのみ拘泥して、心からの嘘には全く無関心であるような点は、既にわれわれの不満としたところのものである。言葉と行為、心持と言葉との関係において、人々は行為や心持を始めから動かすべからざるもののごとく考えて、言葉のみを改変しようとする。しかしながら、与えられたままのわれわれの心持や行為が果して究極のものであろうか。そしてこのようなものへの偏一的な拘泥が果してわれわれに残された最後の立場であろうか。ギリシアの悲劇作家は、この点においてわれわれの正反対であった(*)。ギリシア悲劇の主人公は、人生の危機に際会して、現実の人間なら茫然として言葉を失ったであろうような困難のただ中に、美しい言葉を語り、あざやかな知性(ディアノイア)を示す。自然においては、言葉すくなに、否、全く沈黙して当惑するばかりの感情を舞台にのせて、これにレトリック(雄弁)を与えること、それがギリシア作家の手腕なのである。「小説は未だかつて、ニイチェのいったような怖ろしい輪郭の腐蝕、あのギリシア劇作家たちの作品、あるいは十七世紀のフランスの悲劇などにスタイルを与えたところの、人生からの意識的な離脱というようなものを知らなかったのです。あなたは、こうした作品以上に、より完全な、より深く、人間的なものを御存知ですか?それらこそは、実に深くふかく人間的なものなのです。それらはそう見えることを鼻にかけず、少なくも真実に見えることを鼻にかけていないのです。しかもそれらは、依然として芸術作品たることを失わないのです」という言葉も恐らくこれと同じ事柄を指すものなのであろう。そして「時時私には文学の中で、たとえばあのラシイヌの中にあるミトリダアトとその息子達との論争、あれほど素晴らしいものはないように思われるのです。あそこを読むと、たしかに父と子があんなふうな話し方をするなんてあり得なかったのが分っていながら、それでいて(むしろ、それだからこそ、と言いたいところです)あらゆる父親や息子たちは、あれを読んでそこに自分自身の姿を見出すことが出来るのです。局限したり、細別したりするということは、結局制限してしまうことになるのです。なるほど心理学の方の真理は、すべて特殊的なものだと言えましょう。だが芸術には、一般的なものしかあり得ません。すべての問題はそこにある。すなわち特殊によって一般を表現すること、特殊によって一般を表現せしめること」という言葉は、またギリシア悲劇におけるかの「自然からの乖離」を一つの仕方で説明したものともなるであろう。しかしながら、われわれのミソロゴス文学が固執しようとする偏狭なリアリズムの概念をもってしては、ギリシア悲劇は全く不可解となるであろう。否、それはヨーロッパ文学の大部分をさえ不可解にする。かかるミソロゴス文学においては、言葉が実に貧弱である。心持と言葉、言葉と行為という関係は、不言実行によって、ただ心と行いとの関係に簡単化されてしまう。そしてロゴスによって媒介されない、このような心というものは、外的自然と同じであり、また行為と同じであるということになる。つまり、心と行いの二元は更に行為だけの一元に帰着してしまう。従って、その心理描写は自然描写と全く同じである。たまたまそこに言葉が語られていても、それはむしろ一種の行為として取扱われ、言葉として独立に取扱われることがない。低次元のこの文学的風景は、あるいは花鳥画の世界であり、あるいは動物誌の世界である。しかしそこには人間が住んでいないのである。そして不言実行のミソロゴスというものは、実はこのような芸術につらなるものであることをわれわれは知らなければならない。

(*)F. Nietzsche, Die fröhliche Wissenschaft, I. 80 Kunst und Natur. 

    四

 また、不言実行ということは、言行の外面的な一致よりも、いっそう容易であるということが出来るであろう。ある意味においては、それは動植物一般の生活であって、われわれの生活の大部分もまたそれであると言うことが出来よう。しかしながら、言行一致においても、エイローネイアー(偽悪)の悪徳を警戒しなければならなかったように、われわれは真の人間的生活において、単に動植物的な不言実行をむしろ悪徳として排斥しなければならぬ。真の人間的生活というのは、そこにおいてわれわれが道徳的吟味を受け得るような場合である。われわれは一つの謙遜な言葉を、何らかの用心や面当(つらあて)のために語るべきではなく、真に謙虚な心持から語るべきであった。そしてその場合、われわれは単なる言行一致よりも、われわれ自身の心を問題としなければならなかった。同様にして、不言実行の場合にも、われわれは与えられた行為よりも、むしろその行為の心を重く視なければならない。いわゆる不言実行には、心にもない嘘を行うものや、更に恐るべきものとしては、心からなる嘘を行うものが少なくないからである。しかも今日われわれの生活にあらゆる困難を投げ掛けているものは、みな無智にもとづく心からの行いによるのである。人々はそれが心からの行為であるが故に、一応その誠意を買わねばならぬかのように考えがちである。しかしながら、心からの嘘が心にもない嘘よりも悪性であったように、心からの行為こそ、もしそれが無智にもとづくものであったなら、最も許し難い行いなのである。人間にあって、真に自己の行為と目すべきものは、ただ心からの行為である。そしてその行為が果してよい行為であったかどうかということは、ひとが果してその場合心によきものを把握していたかどうか、偽わりの善を信じていなかったかどうかということによって決定される。彼が心からの嘘によって行動した場合、もしそれが重大な場合であるならば、人を傷つけ、身を亡ぼし、家を破り、国家を危くするかも知れないのである。われわれはソクラテスと共に、道徳の問題は究極において真偽の問題であり、無智は最大の悪徳、否、唯一の悪徳であることを信じなければならない。そしていわゆる不言実行なるものは、かかる悪行となる危険の最も多いものであることを注意しなければならない。なぜなら、ひとはロゴスの媒介によらなければ、自己の原始的な確信にひそむ虚偽を発見することがほとんど不可能だからである。われわれは自己の所見を語って、他の人々の批判を受けなければならぬ。そしてロゴスの導くままに、自己の偏見を徹底的に吟味して、容赦なくこれを否定し、抛棄しなければならぬ。われわれはかくしてのみ事物の真を知ることが出来るのである(*)。いわゆる不言実行なるものは、多くの場合批判を恐れる独善の行いであって、驕慢な自己肯定がその根柢をなしているように思われる。しかしながら、ひとはまたロゴスの媒介によって、われわれが次第に実行から遠ざかりはしないかということを恐れるかも知れない。事実ソクラテスの問答は多く否定的な無智の告白をもって終るからである。しかしながら、われわれは実行というものを何か目ざましい行為だけに限って考うべきではない。われわれの生活は一日として行為を離れることがなく、無為というようなことは聖賢にして始めて可能なのであって、普通人にはむしろ困難なのである。われわれはたくさんの心にもない行いや心からの行いをなしているのであるが、そのうちから出来るだけ心にもない行いを避けて、心からの行いの上にわれわれの生活を築いていくようにしなければならないのであって、それがまたわれわれの自然の傾向なのである。しかしながら、心からの嘘は心にもない嘘よりいっそう恐るべきものであるから、心にもない行いを避けるために心からの嘘をつくようなことがあってはならない。それよりはむしろいかに苦しくとも、明確な虚偽の意識をもって心にもない行為を忍ぶべきである。いずれにしても、われわれはわれわれのもっているこれらの行為だけで充分なのであって、別にそのほかに目新しい行為を考える必要はないのである。大事なのは行為の選択であり、また場合によってはその抑制である。かくてソクラテスは、『テアイテトス』の最後の章で、問答の否定的な結果について次のように語っている。これによって「君は自分の知らないことを知っていると思ったりしないだけの思慮深さをもつことになるだろう。そしてそのために、いっしょにいる人たちを悩ますような重荷となることが一段と少なくなって、人々とはいっそうよく折合っていけるようになるだろう。つまり私の産婆術で出来るのは、ただそれだけのことなのだ」というのである。これに反して、人々が特に実践とか行為とか呼び叫んでいるものは、実は単なる人騒がせであって、自分をも他人をも心から納得させることの出来ないようなことの実行に関するものなのである。真に心からであるならば、実行の困難などというものは存しないのである。この点に関しては、人は決して心から悪をなすものではないという、ソクラテスの有名な知行合一のパラドクスが、やはり真理なのである。

(*)前章「ロゴス」参照。

 われわれの行為というものは、ソクラテスによれば、われわれが内心その方がよいと思ったことの行為なのである。その点、われわれは常にしたいと思うことをしているのである。極端に言えば、われわれの行為は一応みな心からの行為なのである。無論、やむを得ないいろいろの強制によって、われわれが心にもない行為をしなければならぬことは明らかな事実である。しかしながら、その場合においても、われわれは心にもない行為を肯定しているのであって、自殺や反抗をその代りに選ぼうとはしていないのである。そしてそのような強制の下にあっても、人は出来るだけ自分の欲することを行い、欲しないことは、能う限りこれを避けようとする。われわれは心にもない行いを避けて、心からの行ない〔原文ママ〕の上に生活を築くようにしなければならないと語ったのであるが、それはまた自然の傾向であって、言うまでもないことだったのである。ギュゲスの指輪のようなものを得て、われわれが何人にも知られず、何人からも掣肘を受けずに行為することが出来たとするならば、われわれは皆その欲するところを行い、すべての行為は心からの行為となったであろう。しかしながら、そのような場合、われわれがその方をよいと思って行ったことは、果して皆すべて本当によいことであったろうか。トラシュマコスは、法律がすべて支配階級の利益のために制定されたものであることを主張したのであるが、しかしその場合、権力者はたとい自己の欲するところを自由に行い得たとしても、果して真に自己の利益となるものを法律に制定し得たかどうか甚だ疑問である(*)。けだし真の利益が何であるかの認識は極めて困難であって、世上一般の権力者が容易にこれをなし得るものではないからである。そして同様のことは、一身のためではなく、国家のために行動していると信ずる人たちにも当てはまるのであって、何が本当に国家のためであるかは、まことに慎重熟慮を要する問題であって、責任ある政治家が日夜そのために心を苦しめていることなのである。もしこの点において誤謬を犯すならば、ひとは国家のためと思って、かえって国家のためにならぬことを計り、いわゆる愛国の至情がかえって国家を危うくすることともなるのである。そしてこのような危険は、国家のためにはたらくことを一種の職業としているような者どもにおいて特に警戒されねばならぬ。なぜなら、自己の職業的利害に過ぎないものを国家的利害のごとくに錯覚する場合が少なくないからである。かくて、われわれの行為というものは、その自然の傾向において、すべてわれわれが欲するところのものを行為しているのであって、それはすべてわれわれがその方をよいと見たことの行為なのである。そして問題は、そこに “ よし” と見られたものが果して本当に “ よき ” ものであるかどうかということであって、われわれが努めなければならないのは、その本当によいものを知るということなのである。万事はこの知識に繋がっているのであって、他はそこから自然の傾向に従って生じて来る。すなわち困難は、その知識であって、そのいわゆる実践ではないのである。

(*)Respublica 339C ; Theaetetus 178A ; Gorgias 466B sqq. 

 ソクラテスの知行合一は、かくて、単なる言行一致や、心と行いの一致などよりも、もっと深いところから人間の行為を考えた結果であって、心からの嘘すなわち無智をもって唯一の悪徳と見る考えにも密接に結びついているのである。しかしながら、真によきものの認識というのは、今やわれわれにとって極めて困難である。われわれはそこにおいてソクラテスと共に無智の告白をしなければならぬ。従って、知行合一ということは、人々の考えるような行いの困難なためではなく、むしろ知の困難の故に、われわれの現実とはなり得ないのである。かかる理想に近いわれわれの生活としては、既に『テアイテトス』最後の章においても示されたように、ただ無智の自覚から自然に生まれて来るような行為のみによって生きるということが考えられるであろう。それはひとが偽りの善の妄想によって行動し、公私ともに他人に迷惑を及ぼし、一般の平和や幸福を破壊しながら、自らの行為を神聖視するような狂気から遠ざかることに外ならない。もっともしかしこの無智の自覚によって生きるということは、かの懐疑的な生活態度やニヒリズムなどとは、厳にこれを区別しなければならぬ。なぜなら、無智の自覚とは、ソクラテスにあっては、同時にまた智へのエロース(愛智・哲学)に外ならないからである。それは真の科学者や歴史家が飽くなき探求の精神において、かえって真理の前にますます謙虚となるような心持に似ていると言えよう。従ってまたわれわれは、ソクラテスの知行合一の精神に立つ限り、かの無理不自然な実践の場合を除いては、特に行為のみを困難であるとして認めることは出来ないのであるが、しかしまた他方、われわれ一般の行為が常に不完全であるという事実は充分これを認めることが出来るのであって、かかる不完全性を認めることは別に知行合一の考えに矛盾するわけでもないのである。否、かかる不完全性の認識こそはわれわれの本質的なエロースの目ざめであって、それはあらゆる行為の出発点たるべき無智の自覚につらなるものなのである。ひとはソクラテスの知行合一をもって行為完全性の主張であると見てはならない。

    五

 しかしながら、行為のこの不完全性は、われわれ人間の一般的な不完全性だけで、果して説明しつくされるものであろうか。われわれ人間は知識においても、言葉においても、また行為においても確かに完全ではあり得ないように思われる。しかし完全性のこの困難は、言葉と行為において果して同一であろうか。われわれは人々と共に、「言うは易し、行うは難し」という事実を認めなければならないのではないだろうか。しかしここに行為の困難と考えられているのは、無論かの心にもない行為の困難ではない。また従って、外部的な誘惑による行為の困難というようなものも、恐らくこの場合特に行為の困難として考えなければならぬものには属さないであろう。なぜなら、外部的誘惑によって行為が妨げられるのは、そこに誘惑として現われているものの方が、たとい一時的にもせよ、自分が行おうとしていたことよりもよいと思われるからであって、それは内心の動揺により、今までの行為をつづけることが心にもない嘘となるからである。すなわちこの場合困難となるのは、心にもない行為であり、あるいはむしろ、一つの決心をもちつづけることの困難であって、別に行為そのものの困難ではないのである。人は自分のしたいと思うことをしているというソクラテスの命題は依然としてこの場合にも真理なのである。すなわち困難は行為にはなくして、むしろ内心の認識にある。ソクラテスの主張は、われわれがひとたび善の完全な認識をもつならば、行為は自然とこれに従うであろうというのであるが、しかしこれは既に見られたように、完全認識の至難の故に、われわれの現実ではあり得なかったのである。従って、われわれの現実生活には、誘惑によって行為が妨げられる場合も決して少なくないのである。しかしそれは実際には行為の困難ではないのであって、また従って知行合一を否定するいかなる理由ともなり得ないのである。

 では、特に行為の困難として考えられるのはいかなるものであろうか。それは心にもない行為の困難ではなくして、心からの行為にもなお存在する困難でなければならない。それはいかなる困難であろうか。それはたとえば、何不自由なしに自分の好きな家を建てることの出来る人が、なお実際にその家を建てるに当って見出さなければならない困難のようなものであって、それは空想のうちに自分の好きな家を描くのとは違って、いろいろな不満や困難を伴うものなのである。プラトンがいわゆる『理想国』において、ロゴスの上のその理想国が果して現実に生成し得るものであるか否かを問題とした時に、触れなければならなかったのもこの種の困難であった。この対話篇において、完全正義の国家は第四巻をもってひとまず成立するのであるが、なお引きつづき第五巻において、男女教育の平等や婦人子供の共有等が、ひとつの試論として多少の躊躇のうちに語られるのである。ところが、この制度は対話人物の一人であるグラウコンにとって、果して可能であるか、また有益であるか、甚だ信じ難いと(四五七D )されたのである。これに対して対話人物のソクラテスは、その有益であることは疑いないが、その可能性については異論の生じ得べきことを認める。そしてしばらくその可能性を仮定して、もし婦人子供の共有が実現されたなら、それは国家にとっても、また個人にとっても非常な利益であることを証明しようとして、自らを白昼夢を描く怠け者に比したのである。しかしながら、その可能不可能の問題は、有益性の論証の後で、再び(四七一C 以下)取り上げられねばならなかった。そしてそこ(四七三A )においてプラトンは、ついにわれわれの行為がロゴスに比して不完全であることを認めるに至っているのである。従ってわれわれは、ロゴスの上の完全正義の国家がそのまま地上に実現されることを期待すべきではないとされる。むしろわれわれはロゴスの国家を模範(パラデイグマ)(*)として、これに出来るだけ近いような国家の実現に努力すべきであり、またこれが実現の方法としても、無理不自然の過激な手段を避け、出来るだけ小部分の改革によってその目的を達するように心掛けねばならぬ。プラトンが哲学者の執権を提唱したのも、実はかかる方策としてなのである。

(*)Respublica 472C, 592B. 

 ところで、この人間の不完全性がロゴスよりも行為において大であるという事実は、かの言行一致の要求と相俟って、再びわれわれをミソロゴスたらしめる要因となるかのように思われる。「言うは易し、行うは難し」という言葉で人々の示す感情は、ロゴスへの憎悪であり、言葉への軽蔑であると思われるからである。しかしながら、この場合の人々の事実解釈は果して妥当であろうか。もしロゴスが行為との一致においてのみ評価さるべきものであるとしたら、理想を説くすべてのロゴスは空疎であり、行為との不一致の故にすべて虚偽であるとして唾棄されねばならぬであろう。しかしながら、ロゴスが行為との一致においてのみ評価されねばならぬとすることも、またあらゆるロゴスについて実現の可能のみを問題にするというのも、ともにひとつの偏見に属すると見なければならぬ。なぜなら、言行の不一致はロゴスと行為との相互的な比較において成立つものであるにもかかわらず、はじめから一方的に行為のみを尺度の地位において、ロゴスをこの尺度によって評価し、不一致の点をすべてロゴスの欠陥として数えるというようなことは、決して公正な仕方ではないと思われるからである。われわれは両者を比較評価するためには、両者とは別な独立の尺度を用いなければならぬ。プラトンは、人々が「言うは易く、行うは難し」となす事実を、これとは全く別な言い方で、「行いは言葉よりも、真実在へ接近する程度が少ない」(四七三A )というふうに言い表わしている。すなわち完全な正義を実地に行うことは、これをロゴスだけで把握するよりも難しいというのは、別な言葉でいえば、また完全な正義はロゴスの上に実現され得ても、行為の上に実現されることは困難であるというのに外ならない。しかるにわれわれは、模範とすべき完全な正義なくしては、どこに行うべき正義の拠りどころをもつことが出来るであろうか。われわれはそれなくしては正義を行うことが出来ないのである。これを一般的にいえば、それぞれの模範たるべき完全性(イデア)は、それぞれのものがまさにそれぞれたり得る根本の要因であって、何よりもまずそれ自体が最も優越した意味において存在していなければならぬもの、すなわち真実在なのである。そしてこの真実在を尺度にとって、行為とロゴスを比較する時、ロゴスは真実在に達し得ても、行為はこれに及ばないという結果が出て来るのである。従ってこの場合、言行の不一致は決してロゴスを唾棄すべき理由にはならないのである。われわれはむしろ実現可能のいかんを問わず、高き高き理想を語らねばならぬのである。プラトンは自らのこの立場を、最も美しい人間はいかなるものであるかの理想(パラデイグマ)を描く画家に比している(*)。かかる画家にとっては、そこに描かれたような美しい人がこの世に果して存在するか否かというようなことは問題にならない。むしろこの世の人間がこの美の理想によって裁かれ、あらためて相互に美を比較されるのである。そしてこのような美を描くことは、普通の行為よりも遥かに困難なのである。既に見られたように、われわれの生活は行為を離れることのないものであって、行為の大部分は習慣や天性によって極めて容易なものにされている。行為が困難と思われるのは、心にもない行為が強制される場合を除いては、われわれが理想をもち、これを実現しようとする場合に限られるのである。しかもこの理想をもつということは、プラトンの意味における真実在の把握としては、それ自体また非常に困難なことである。プラトンは『理想国』第七巻の有名な洞窟の比喩において、また『テアイテトス』第二十五章の自由人と奴隷人の対比において、理想の把握が世人にとっていかに困難なものであるかを語っている。それは闇から光へ、地上から天上へと運ばれた人が、最初のうち何も見ることが出来ないのと同じであるとされている。かくて、ロゴスだけによって真実在を把握するということは、むしろ世上のいかなる行為よりも困難なのである。われわれは無条件に、ロゴスは容易で、行為は困難であるというようなことを信ずることは出来ない。

(*)Respublica 472D 

 また空想と現実との比較においても、古人が夢想することさえ困難としたものを、われわれの科学は今日やすやすとこれを実現しているのである。すなわち歴史的には、現実が空想を超過しているのである。しかしこの現実は、世人のいわゆる実践や行為の贈物ではない。彼等の日常的な行為のみに頼っては、われわれは永遠にその空想を超過することが出来なかったであろう。かかる超過は、事後論理によってロゴスを現実に追随させる代りに、むしろ現実をロゴスに追随させようとした理想家の努力の結果なのである。そしてかかる超過をわれわれはまた歴史研究のうちにおいても経験することが出来る。われわれが読書などによって漫然空想するところの過去の事実なるものは、われわれがいかなる想像力をもっていたにしても、正確不正確はしばらく措き、その内容もそれだけでは決して豊富なものではあり得ないであろう。ところがもし、われわれが史料の綿密な分析によって、そこから推理されるロゴスにわれわれの想像力を従えるならば、そしてそのようにして一歩一歩前進しながら、種々の場合を考えるとするならば、最初は想像出来なかったようないろいろの新事実を発見することが出来るようになるのである。そしてこのようなロゴスによって幾重にも屈折せしめられた想像力というものは、歴史家のみならず、自然科学者にも共通するものであり、偉大な事業家や政治家においてさえ見出されるものなのである。しかしながら、この合理的な脅威すべき夢も、哲学者がロゴスによって把握しようとする完全性の理想に比べるならば、なお遙かに貧弱なもの、地上的なものとなるであろう。従って、この理想が地上において実現不可能であるというようなことは、哲学者にとっては理想へのいかなる非難でもあり得ないのであって、それはむしろ自明のことと考えられるであろう。晩年においても理想主義的熱情を少しも失うことのなかったプラトンは、『法律』(七四六BD )のなかで、理想(パラデイグマ)を明らかにする者は、それが実現いかんの問題を離れて、ただ出来るだけ完全なかたちにそれを把握するように努力しなければならないと説いている。

 ところで、このような完全性は、われわれ人間の本質的な不完全性からすると、これを行為の上に実現することはほとんど全く不可能であって、ただわずかにロゴスが辛うじてこれに近づき得るのみであるとするならば、それはわれわれよりも完全なもの、例えば神においてはどうであろうか。われわれはそこにおいて、完全性がロゴスのみならず、行為によっても、一分の欠くるところもなく実現されること、すなわち完全な言行一致を想像するであろう。しかしながら、神の完全性はこのような言行一致に止まるものではないようである。アウグスティヌスは『神国論』第十一巻第八章において、神が世界創造の第七日に休息したというのは、神が仕事に疲れたからであると解すべきではないとして、神の創造は、「神光あれと言いたまいければ光ありき」と記されているように、ただロゴスのみによる( ipse dixit et facta sunt )のであると語っている。すなわち神にあっては、ロゴスのほかに別に行為というものは必要がないのである。また従って、いわゆる言行一致というようなものも神の理想ではあり得ないのである。否、むしろ、行為を必要とするということが、既に人間的不完全性に属するのであって、かの実践によって学ぶというようなことも無神論には属さないのである(*)。世界創造のすべては既に神によって知られているのであって、神の智は世界創造からも何も加えられることはないのである。神の本質はすなわち神のこの智であって、ロゴスはすなわち神のこの智をあらわすものなのである。従って、かの有名な「はじめにロゴスあり、ロゴスは神と偕(とも)にあり、ロゴスは神なりき」という言葉は、いかなる意味においても、「はじめに行いありき」というような解釈を許さぬものなのである。これは事後論理をこととする人間的存在の部分的事実ではあり得ても、世界創造における神のことではあり得ない。無論しかしわれわれは、ここでこの種の神学的論議に立ち入る必要はないであろう。われわれはただ、われわれの眼界がともすれば狭小に局限されるのを避けるために、時々はわれわれと異る完全性を考えてみることの必要を注意すれば足りる。そして今の場合もわれわれは、これによってロゴスと行為との関係を新しい光の下に見ることが出来たのである。無論、人々はここに考えられた神の完全性が観照的に過ぐることと、かかる考え方の既に過去のものであることを指摘しようとするであろう。人々のいわゆる現代的な考え方に対しては、他の機会に充分吟味を加えてみたいと思うのであるが、ここではただ、哲学思想を単に歴史的なものとしてのみ解釈しようとする人々は、ロゴスをロゴスとして受取ることをせずに、それをいつも相手の魂胆からのみ考えようとする一種のヒステリー心理にも似たミソロギアーに捉えられているのであって、しかもその歴史的解釈なるものは、果して歴史家の厳正な批判に堪え得るかどうか、甚だ疑問であるということを注意するに止めたい。現代が果していかなる時代であるかは、われわれの暴力もデマゴギーも及び得ない千年後の歴史家がこれを正しく考えてくれるであろう。

(*)Augustinus, De civitate Dei XI. 21. 

 言行の不一致ということは、かくて、真に人間的なことなのである。神においては、ロゴスのほかに行為が別に存在するという必要はおそらくないであろう。また他の動物においては、天性や習慣による単なる行動の外にロゴスというものがある必要はないであろう。しかしながら、人間においては、言葉と行為の二元が、精神と身体とのそれのごとくに、人間的存在の本質に属するのである。そしてわれわれがロゴスを主となし、行為を従とする時に、われわれは人間として可能なる限りにおいて、神に似るのである。その場合、ロゴスが行為よりも長足であったとしても、それは既に見られたように、決してロゴスの落度ではないのである。ロゴスが完全性に近づき得るということは、それだけでむしろひとつの恵福なのである。言行の不一致を恐れて、ロゴスをいつも自己の現実にのみ縛りつけておくようなことは、決して人間的なことではなく、むしろ悪魔的とでも呼ばるべきことに属する。なぜなら、そこではロゴスが従となって、行為が主となり、われわれは神と正反対の生活をしていることになるからである。まことに、偽悪家のミソロギアーが不健全であり、そのエイローネイアーが一個の悪徳であることは、既にわれわれの見たところなのである。

    六

 のみならず、言行が主従の関係をなすということは、人間社会の事実なのである。すなわち主人は命令し、従者は行動する。しかもその命令は、相手が奴隷である時にはロゴスが少なく、相手が自由人な人間である場合にはロゴスの多いのを普通とする。プラトンは『法律』第四巻(七二〇A − E )第九巻(八五七CD )などにおいて、医者が奴隷を取扱う時には、ほとんど口をきかずに処置するけれども、病人が自由人である場合には、病人の言い分や友人の意見を聞き、自分の考えを行わせるのにも説得をまず第一とする事実に注意している(*)。そして法律の命令においても、それが容易に従われるためには、ちょうど歌曲に本曲と序曲があり、弁論に本論と序論があるように、それぞれの説得のための序がなければならぬ(**)。裸のままの命令は自由人の法律ではないということ(七二二D − 七二三D )を述べている。すなわち同じ行為も、それがロゴスと説得を伴う行為であるか否かによって、自由人の行為とも奴隷の行為ともなるのである。国民が挙げて奴隷とされているような国においては、法律は一方的な命令となり、何らの批評や論議をも許容しないから、また真の説得もないこととなる。このような国家は、外見いかに強大であろうとも、要するに砂上の楼閣に過ぎない。昔のギリシアの識者たちの考えによると、かのペルシア戦争において、百戦百勝の大ペルシア帝国が、自由のために戦うギリシア小都市のために、最後に大敗しなければならなかったのはこの故である(***)。説得によらずに、ただ恐怖手段によって心にもない行為を強制されている奴隷の軍隊は、その根本において臆病な軍隊でなければならないからである。世俗のいわゆる道徳におけるかかる内的矛盾は既に『パイドン』(六八DE )に指摘されているが、クセノポンの『アナバシス』を読む者は、ペルシア帝国のかかる内部的弱点に容易に気づき得るのであって、これがやがて後のアレクサンドロスの東征を精神的に準備することにもなったのである。プラトンは、一生を征戦のうちに送り、多くの版図を併せてペルシア大帝国の基を築いたキュロス王について、「彼は子孫のために徒(いたずら)に群畜の獲得にのみ忙わしくして、子孫をしてよく牧畜するの術を習得せしめることを怠った」(六九四E  以下)と批評し、そこに既にペルシア国衰亡の第一歩を見ているのである。多数民族を指導すべき大国民は、自己自身がまず牧者であるべきで、決して群畜であってはならないであろう。奴隷であってはならないであろう。しかも国民が奴隷であるか否かということは、その法律が一方的の命令であるか、それともあらかじめロゴスの説得によって準備されているかという一事によって、最も簡単にこれを知ることが出来るのである。この場合においてもわれわれは、事後のロゴスと事前のロゴスを厳に区別しなければならぬ。事後論理は決して法律本曲(ノモス)の序曲(プロオイミオン)ではあり得ないからである。この点、仮象によって欺かれないためには、われわれは言論自由の有無を検する必要があるであろう。すなわち法律の定められる前に、それについて自由討議が許されていたかどうかを見る必要があるであろう。この言論の自由( παρρησία )については、しかしながら、プラトンは別の効用を考えていたようである(****)。それは彼がよき国家のために要求した三つの原則、自由と友愛と賢明とのうち、最後の賢明ということのために必要な条件とされている。すなわち国民のうち真に国家のために計ることの出来る者がもつ賢明の徳は、出来るだけこれを国家のために用いて、国家そのものを賢明な国家としなければならないのであるが、そのためには言論の自由を許して、各人に忌憚なく自己の意見をのべさせるようにしなければならないというのである。ソクラテスの問答法は、相手が自分の思うことを自由に正直に語ることを要求したのであるが、それはまた治国の大本ともなるものであって、ペルシアがキュロス王の時代にとにかく大国家となり得たのも、当時なお幾分かかかる自由が存在したためである(『法律』六九四 AB )とプラトンは考えている。国家の行動は、個人の場合と同じように、真に国家のためであるところのものの認識に立脚しなければならないのであって、架空虚偽の目的のためにみだりに国運を賭すがごときことは、厳にこれを戒しめなければならぬ。そしてかかる危険から国家を救うものがすなわちロゴスの吟味であって、国民的自由の第一要件である言論の自由ということも、他面またこのような目的のために必要なのである。しかしそれにはまた大衆のいかなる喝采によっても欺かれない自由独立の批判的精神を要するのであって、もしこれを欠くならば、ペロポネソス戦争期のアテナイ民主政治がその一例を示しているように、言論の自由も国家のために何ら賢明の道を示すことにはならないのである。言論はデマゴークの手中に握られてしまうからである。かかるデマゴギーに対立するものがすなわちソクラテスの方法であって、プラトンが国家統治の最高知識をディアレクティケーに求めたゆえんもまたここにあるのである。

(*)   かかる事実は『ゴルギアス』四五六B においても与えられている。
(**)  『法律』における立法には、つねにこのような説得が先行せしめられている。たとえば七七四E 、八七〇E − 八七一A 、九二七C など参照。時にはそれは形式的な警告(例八五四C )になっていることもあるが、しかしまたもっと真面目な説得(八八五CDE )になっていることもある。
(***) ペルシア戦争のこのような解釈をプラトンは、同じ『法律』の第三巻六九七C − 六九九D において与えているが、これはまたアイスキュロス( Persae  235 sqq. )ヘロドトス( VII. 104 )ヒッポクラテス文書( De aere,  locis et aquis 15 )などにも共通して見られる見解である。
(****)同書六九三A 以下、六九四B 等参照。

 われわれはこの機会において、なおひろく、かかるデマゴギーとディアレクティケーの背景をなすところの国家社会におけるロゴスの地位について一瞥する必要があるであろう。そこにはまずロゴスを伴わぬ行為というものが多数に存在する。すなわちプラトンは『ゴルギアス』のなか(四五〇CD )で、絵画彫刻その他のごとく、ほとんどロゴスを用いることなしに、その仕事を成しとげることの出来るものが多数に存在することを語っているのである。他方またしかし、数学のようなものにあっては、仕事の大部分がロゴスだけでなされ、いわゆる実践はほとんど必要でないことを注意している。思うに、このようなものは人生の各方面になお多数見出すことが出来るであろう。政治経済教育外交軍事その他いろいろの仕事が、その主要な部分をロゴスの仕事としてもっていることは明らかだからである。会議といい、商談といい、講義といい、談判といい、また軍議という、いずれもロゴスの仕事なのである。そしていわゆる事務のごときものもまたロゴスによるのである。この故にゴルギアスのような人は、ロゴスを取扱うレートリケー(弁論術)を修めることによって、国家社会を支配し得ると信じたのである。無論、ゴルギアスのこの考えは誤謬である。ひとは自分自身すこしも知らない事柄に関していかなるロゴスを語ったところで、それによって人を真に説得することも出来なければ、無論また事の解決を与えることも出来ないであろう。プラトンによれば、真に国家社会を導くことが出来る者は、人生百般のことをその根本において把握するところの哲学者でなければならなかった。別の言葉でいえば、人間の生活は学問知識の上に築かれねばならぬのである。既に見られたように、道徳の問題は、ソクラテスにとって真偽の問題であった。また従って、政治も知識の問題であった。プラトンが『理想国』第五巻(四七三C )において、かの哲人政治の思想を提唱したのも、現実に政治と学問が分離しているところに人類社会不幸の原因を見たからなのである。ところで、学問の仕事というのは主としてロゴスの仕事なのである。いま家を建てる場合を考えてみても、個々の大工の仕事にはロゴスは必要ないのであるが、棟梁の仕事は既にロゴスによる指図なのである。そしてこれが建築技師の場合ともなれば、仕事は全くロゴスの仕事となる。そして技師のこの仕事の根柢にあるものがすなわち学問なのである。人生における学問の役割は、ロゴスによるこのような指図であり、指導なのである。そして国家社会における百般の事柄の指導はすなわち最高の学問の仕事であって、それはプラトンによれば、「善のイデア」の認識にもとづく哲学の仕事でなければならなかったのである。しかるに、実際の権力者というものは何らかかる知識をもつ者ではなく、また学問の忠告に耳を傾けようともしないのである。彼等は自己の思いつきや誤れる信念をもって、自己一身の栄誉や利益のために行動する。そして彼等が支配の手段として用いるところのものは、動物的な暴力であり、ゴルギアス流のデマゴギーなのである。そして彼等自身の仕事が実は無内容なロゴスに終始しているにもかかわらず、真正の学問を目して空理空論に過ぎずとなすのである(*)。このために人々は、ロゴスを伴わないもろもろの仕事に対立するものとして、ただ学問のみを考えがちである。あたかも学問以外の仕事はすべていわゆる実践であるかのごとくに考えがちである。しかし無論これは錯覚である。人生にはロゴスのみによる仕事が実に多いのである。学問の仕事はその一部分に過ぎない。しかも学問は、一方において、ロゴスを伴わぬ仕事の指導に当ると共に、他方においては、それ自身の積極的な仕事をもっている。その点においては、学問の研究は、ロゴスを伴わぬもろもろの制作とむしろ同じなのである。これに反して、何らかくのごときそれ自身の仕事をもつことなく、ただゴルギアス流のロゴスによって、他の仕事を支配しようとする人々のなすところのものは、それがいかに多忙であろうとも、ついに仕事の仮象に過ぎないのである。そして人々が普通に実際生活とロゴスとの対立として考えているものは、実はむしろこのような偽わりのロゴスに対するものであって、必ずしもロゴス一般に当てはまることではないように思われる。このようなソフィストのロゴスは、事柄そのものの知識も、それぞれの仕事に対する理解もなしに、ただデマゴギーによって架空のことを説き、何ら意味のないことのために無駄骨折りをさせるのであるが、学問知識のロゴスに対しては、それ自体にはロゴスを用いることのない仕事までが、自分の仕事の完成のために、また他の仕事との関係について、何らかの指導と忠言を求めるものなのである。

(*)Respublica 488DE. 

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【田中美知太郎「ミソロゴス − 主として言行一致の要求における − 」(『ロゴスとイデア』より)】
発表:1939(昭和14)年9月『思想』
所収:1947(昭和22)年9月『ロゴスとイデア』岩波書店 
今回の引用:
1)1968(昭和43)年10月『田中美知太郎全集第一巻』筑摩書房. pp. 135-169. 
2)2014年(平成26年)6月『ロゴスとイデア』文春学藝ライブラリー. pp. 192-241. 
3)1947年9月第1刷, 1977年7月第3刷『ロゴスとイデア』岩波書店. pp. 171-217. 
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