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ゼミ長

うちのゼミは、4月に新学年が始まってすぐに、新しいゼミ長を決めない。1学期を終えて、9月末に始まる秋学期の前に、4回生の意見を聞いて決める。ほぼ、4回生の意見通りに毎年決めてきた。

他のゼミの多くは、4月にすぐにゼミ長を決めるという。それをやらない理由は、誰かやりたい人と手を上げさせて決めてしまうと、リーダーの資質が本当にあるかどうかを見る前に、単純にやりたい人で決まってしまうからだ。そうすると、リーダーが提案することに、ただ従うだけの集団になりがちでもある。

まずは、リーダーとフォロワーの関係性ができてしまうまえに、リーダーがいない状態での一人一人の行動を見たいのだ。リーダーがいないと、皆戸惑う。その時に、その人の本当の資質が出る。それを見極めるのだ。なによりも大事なことは、いつも言うように大人が段取りしてしまわないことだ。

3回生も、リーダーがいない集団で、自分のポジションを手探りで見つけることになる。その時にリーダー・フォロワー関係が固定されがちな日本の教育では経験できない成長の場を得ることになる。うちのゼミ生の「主体性」には、驚かれることが多いが、そのファーストステップがここにある。

リーダーを手を挙げさせて決めないもう1つの理由は、リーダーシップの経験が豊富な人は、固定観念が強く、個人としても集団としても常識の範囲内でしか成長が望めないと思うからだ。無難にリーダーを務めてはくれる。しかし、それ以上もそれ以下もない。しかし、僕が望むリーダーシップは、日本の常識的なものではないのだ。

むしろ、リーダーというセルフイメージを持っていない人の方が、リーダーに起用した時に、自分なりに僕の要求を考え、常識を超えた成長を見せてくれることがある。その結果、組織も想像以上に大きく成長する。

だから、いかにもリーダーというより、なにか大化けしそうな期待を持たせる人を抜擢することが多い。結果、元気のいい女子がゼミ長に起用されることも多くなるということだ。



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