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上久保ゼミ用語解説(2):敵地戦闘

今日の3回生ゼミで解説。物騒な言葉だが、先輩方には懐かしい言葉ではないかな(笑)。

要は、周りに味方がいない、敵だらけの状況でどれだけ自分の力が発揮されるかが、人生の真価が問われること時だということ。「敵地戦闘」に強い人間になれということを、ゼミの人材育成目標としてきた。

一応、英国をはじめ、世界中の人と接してきた私の1つの認識として、日本社会で育った人は、アウェーの状況に弱い。

まあ、一言でいえば、内輪でやっている時は、どや顔でふんぞり返っている人が、周りに知らない人ばかりになると借りてきた猫か、蚤のようにおとなしくなる。これが日本人ですよ、はっきりいって。

今の若い人をみていると、周りの仲間を手をつないで、ノープレッシャーの状況をなんとか探そうとばかりしているように思う。自分の力を発揮できますから、そういう状況を下さーいって言っているようにみえる。

だから、ゼミ選びなんかでも、自分と似たようなタイプの人が揃っているかどうかがポイントだったりする人が多いね。それで、全員がバラバラな上久保ゼミは、それだけで逃げていく人が多い(笑)。まあ、いらんけどね、そんな奴。

人生で、ノープレッシャーで仲間と一緒にお手手つないで自分の力を余裕で発揮できる状況なんて現実にはない。実際は、周りは仲間でない外部の人ばかり、強いプレッシャーの中で、どれだけ耐えて、なんとかかんとかやっていく、そして生き残る、それしかないんです。

私の人生、少なくとも会社を辞めて英国に行った後は、今日に至るまで、すべてアウェーだ。英国は、味方が一人もいないのはいうまでもなく、日本の学会には師匠がいない。誰ともつるんでいません。立命館では完全に外様で。

僕は自分のことを「日本語ができる外国人教授」と言ってきた(笑)。

ずっと、そういう状況でやってきた。ただ、その方がいいです。師匠がいない、仲間がいないことで不都合を感じたことは一度もない。

周りを見ていると、学会内や学校内で、気を遣って、忖度ばかりしている。学者としての言動も、どこか窮屈だ。かわいそうだなと思う。

だから、「敵地戦闘」。常にひとりで、周りは敵だらけというつもりで自分を磨きなさい、というのをゼミの目標としてきたのです。

例えば、1対全員のディベートトレーニング・クリティカルアナリティクスというのも、「敵地戦闘」で力を出すための訓練であるのはいうまでもない。

また、これまで慶応大学のゼミ、国際基督教大学の英語ゼミ、香港中文大学とのインゼミや、アグネス・チョウさんなど香港の民主化運動の方々との交流など、自分らより力があり、経験豊富な若者との他流試合を積極的にやってきた。

コロナ過で、他流試合をする機会も減った。でも、ゼミ生には、再び外に目を向けて、敵地戦闘をして来いというつもりです。

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