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学者やりたいなら本気でやったらどうか

ある有名人が退職し、4月からある研究所で研究所員(助教)として “科学を社会に適切に伝える方法”について研究するのだそうだ。また、現在の仕事は継続し、研究と同時に“科学を適切に伝える”ことを番組でも実践していくということです。

なんだろうなあ。他人の人生について、いろいろいうのはよくないと思うけど、こういう有名な方がこういうことをすると、「学問軽視」という日本の深刻な問題に悪影響があるような気がしますね。

なによりもまず、この方東大大学院の博士前期課程を卒業しただけですよね。学者になるのだったら、「博士後期課程」を出て、「博士号」を取り、論文を書いて業績を積み、公募に応募してポジションを得るという、通常のプロセスを経たほうがいいのではないでしょうか。

この方、有名な人だから、学位なしでいきなり助教で採用されたわけでしょ。

日本は、いわゆる有名人がいきなり教授と禍になることが少なくないのだけれども、英国など私の知る限りみたことがない。博士号を持って、研究業績を積み、公募で採用された方が、8割以上だと思いますね。

日本では「博士に相当する業績」で採用されることがあるんだけれども、博士に相当する業務経験って、はっきりいってないんですよね。ぶっちゃけ、取りたい人がいるときに、あるということにするだけです。

それから、“科学を社会に適切に伝える方法”を研究するっていうことなんだけど、これは学術研究ではなく、「マニュアル作り」とか「問題の解き方」をつくるような話という印象ですね。

これは、「マニュアル」「解き方」ばかりが重視される受験教育の延長線上で学問をとらえているように思える。この方って、私立の中高一貫校卒で東大卒。いわゆる受験エリートですよね。

効率よく、科学を理解してもらうにはどうするかって話だろうと思うのですけどね。これは一見、なんの疑いもなくよさそうに思えることなのだけど、「わかりやすいのがいいことだ」というのは、物事を深く追及していく、学問を究めるのに最も必要な要素を、「わかりにくいこと」「面倒なこと」と切り捨てる風潮を助長するように思うんですよね。

はっきりいって、学問は「わかりにくい」「難解」なものなんです。そこを真正面からとらえて、粘り強く自分の課題を突き詰めていくからこそ、新たな発見があるわけです。特に、最も重要な、ノーベル賞の対象になるような「基礎研究」こそ、そういうものです。

なんかこの受験教育の効率重視の考え方が大学にも、社会にも浸透しちゃったことが、日本の研究力の低下につながってると思うんですよね。

あと、この方はすでにわかりやすく伝えることはプロとして習得しているわけです。問題は、なにをわかりやすく伝えるかではないでしょうか。

要は、科学をわかりやすく伝えたいのであれば、科学者を集めて「話し方講座」をやればいいのです。それは、この方ならば今すぐでもできるんじゃないでしょうか。

1つの研究課題を深く広く追求して理解し、自分だけのオリジナルな発見をしてこそ、科学の真髄が伝えられるものではないでしょうか。要は、高い専門性がまずあって、伝える力が生きてくるということです。話に中身がなくて空っぽだったら、伝え方など、意味がないですからね。

学者になりたいんだったら、博士後期課程にゼロから入って、博士論文を書き、博士号を取り、と本気でやったらどうですかね。この方は、カネもコネも仕事もあるのだろうから、数年間、研究を徹底してやってもいい、恵まれた状況にあるように思いますよね。なんか、中途半端なのはもったいない気がします。

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