見出し画像

日本の教育の問題(1)「やったふりの農耕型教育」

新学期が始まりました。コロナ禍は「第4波」に入ったのでしょうが、ルールに従い、やれることをやるしかありません。

僕は、日本の教育の問題は「やったふりの農耕型教育」にあると思います。これは大学だけでなく、小中高校すべてに共通する問題です。

要は、日本の学校では、先生など「大人」が、農地のようなものを用意する。土を入れ、水、肥料や種、農耕具を用意する。親がそこに子どもを連れてくる。子どもに「さあやってみよう!」といい、子どもが自分で種をまいたり、肥料や水をやったりして食物が育ち、刈り取るまでやると、「主体的にやった」と喜ぶ。お父さんやお母さんが、それをスマホで撮影し、「思い出作り」をする。

学校は、農地を用意するのに、「文科省」とかからお金をもらっているので、立派な作物ができたにしないとヤバい。だから、子どもに失敗させられないので、必死で手取り足取りやらざるを得ない。無事に作物を刈り取ったら、「成功した」と報告する。

世界中の教育、若者に接してきた私からすれば、日本の教育はおそらく世界一忙しい。子どもは最高にいろいろなことをさせられ、しつけられている。いろいろ言われるが、いまだに世界一であるのは間違いない。

ところが、これだけ立派にしつけられているのだからと、「じゃあ、自分でやってみなさい」と言うと、とたんに思考停止する。「せんせー、なにをやったらいいんですかー、まじでー」てな調子なのには、本当に驚かされる。

これだけ教育されているのに、いわゆる主体性がまったくないのだ。それは留学生など世界の若者と比較するとより顕著だ。要は、手取り足取りやらせているので、自分でなにも考えられないし、なにもできない。

もちろん、日本にも優秀な若者はいるが、一部に限られる。大多数の「普通の若者」は、世界の中でも突出して、「受け身」なのだと思う。

こういう若者を見て、大人は「なにをやらせたらいいか」と悩み、次から次へと「新しいカリキュラム」が出てくる。「「アクティブラーニング」「問題解決型教育」などなど。。。。。

僕は、逆だと思います。日本の若者を変えるには、「なにをやらせるか」ではなく、「なにをやめるか」を考えた方がいい。心と体に余裕を持たせて解放することが大事なのではないかと思います。

大人が段取りをして、子どもに手取り足取りやらせて、それを「主体性」だと勘違いして喜ぶ「やったふりの農耕型教育」をやめることです。上久保ゼミではそれを実践し、圧倒的な成果を出してきましたが、それは次回以降、書きたいと思います。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?