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上久保の理論(4):「ロシアはすでに負けている」

ウクライナ戦争については、開戦時から様々な論考を書いてきた。一貫して主張してきたのは、「ロシアは開戦前からすでに負けている」ということだ。

私は、プーチン大統領のいわゆる「大国ロシア」は幻想だと主張してきた。「大国ロシア」とは、旧ソ連の影響圏を復活させることである。プーチン大統領は「ソ連崩壊は20世紀最大の地政学的大惨事」と主張し、ウクライナを制圧し、次は旧ソ連構成国だったエストニア、ラトビア、リトアニアの「バルト3国」、そして旧共産圏だった東欧諸国と、旧ソ連の影響圏だった国を取り戻そうというのだ。

だが、それは幻想にすぎない。次の地図をみてもらいたい。

NATO加盟国の変遷 (User:Patrickneil, based off of Image:EU1976-1995.svg by glentamara -投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0)

東西冷戦期、ドイツが東西に分裂し、「ベルリンの壁」で東西両陣営が対峙した。旧ソ連の影響圏は、「東ドイツ」まで広がっていた。しかし、現在ではベラルーシ、ウクライナなど数カ国を除き、ほとんどの旧ソ連の影響圏だった国が北大西洋条約機構(NATO)、欧州連合(EU)加盟国になった。

つまり、東西冷戦終結後の約30年間で、旧ソ連の影響圏は、東ドイツからウクライナ・ベラルーシのラインまで後退したということだ。

また、2014年にロシアがクリミア半島を占拠した。「大国ロシア」復活を強烈に印象付けたというかもしれないが、それは違う。ボクシングに例えるならば、まるでリング上で攻め込まれ、ロープ際まで追い込まれたボクサーが、かろうじて繰り出したジャブのようなものではないだろうか。

ウクライナ戦争開戦前、ロシアの状況は、2014年より深刻化していた。2014年のロシアによるクリミア半島併合後、ウクライナでは自由民主主義への支持が高まっていた。NATO・EUへの加盟のプロセスは、具体的に動いてはいなかったが、実現可能性は高まっていたからだ。

ロシアと国境を接し、ロシアとの二重国籍者もいるというウクライナ(法的にウクライナでは認められていない)が自由民主主義陣営に加わることは、ロシアには絶対に容認できない。NATO軍と直接対峙するリスクだけではなく、ロシア国内に自由民主主義が浸透していく懸念もあった。

だから、ウクライナ戦争開戦当初、プーチン大統領は「NATOがこれ以上拡大しないという法的拘束力のある確約」「NATOがロシア国境の近くに攻撃兵器を配備しない」「1997年以降にNATOに加盟した国々からNATOが部隊や軍事機構を撤去する」の3つの要求をしたのだ。

ロシアがウクライナ戦争の開戦に踏み切った大きな理由は、NATOの東方拡大を止めたかったということだ。

このように、ウクライナ戦争を、ウクライナを舞台とした局地戦ととらえず、「NATO VS ロシア」という大きな構図で捉えると、ロシアは極めて不利な状況が続いていることがわかる。

ウクライナ紛争の開始後、確かにロシアはウクライナの領土の一部を占領したが、「ロシアの勢力圏の縮小」という大きな構図は変わらないだけでなく、ロシアにとってさらに深刻な事態となった。

フィンランドとスウェーデンがNATOに加盟したからだ。ロシアがNATOと接する国境は以前の2倍以上に広がった。

特に、ロシア海軍の展開において極めて重要な「不凍港」があるバルト海に接する国もほぼすべてNATO加盟国になり、ロシアの海軍は身動きが取りづらくなった。両国の加盟は、ロシアの安全保障戦略に大打撃を与えた。

さらにいえば、EUはウクライナとモルドバを加盟候補国として承認した。ジョージアについても、一定の条件を満たせば候補国として承認する方針で合意した。

正式な加盟には長い年月がかかるが、今後これらの国では、民主化がますます進み、経済的にEUと一体化していくことになる。つまり、ロシアの軍事侵攻という行為自体が、NATO・EUの東方拡大をさらに進める結果となり、それは旧ソ連領だった国にまで及ぶという結果を招いたわけだ。

国を奪われ、生活を奪われ、命を奪われているウクライナ国民の皆様には本当に申し訳のない言い方になるが、ウクライナ戦争という「局地戦」で、ロシアがウクライナ東部を占領し続けたとしても、世界全体で見れば、この戦争は米英の完勝だ。

言い方を変えれば、国際情勢の中で、ウクライナ国民の生命がどれほど軽く扱われているかということは極めて重要だろう。

現在、停戦や紛争終結の時期が取り沙汰されているが、NATOとロシアの戦争という観点で、「ロシアの完敗」であるとしても、実際の戦闘の膠着状態を終わらせることは非常に難しい。

この膠着状態が今後も変わらないまま停戦に至った場合は、ロシアによる「ウクライナ侵略」という目的は果たされたことになる。紛争の開始直後に問題視された「力による現状変更」が結果的に成し遂げられてしまう。

この場合、形式上は「停戦」という形を取っていても、ロシアが「勝利宣言」をする懸念が付きまとう。過去にロシアがジョージアなどに侵攻し、領土を一部占領した際も、ウラジーミル・プーチン大統領は「大国ロシア」の復活を強くアピールした。今回も同じことをする懸念があるのだ。

また、ロシアが「勝利宣言」をすると、国際社会における「権威主義」の国々が勢いづく恐れもある。例えば近年は、ロシア・中国・ブラジル・インド・南アフリカの5カ国で構成されるBRICSと呼ばれる連合体が勢力を拡大している。5カ国だけで世界人口の40%を占め、世界経済に占めるシェアは26%に上る。

G7(主要先進国)など、自由民主主義陣営の先進国が主導してきた国際社会で、このBRICSは不気味な存在感を放っている。

そして、G7の国力や経済力は、かつてほど盤石ではなくなっている。
 
 国際通貨基金(IMF)によれば、世界の名目GDPに占めるG7のシェアは、ピーク時の86年は68%を占めていたものの、22年には43%まで下がった。そして、44%を占めた新興・途上国に初めて追い越された(日本経済新聞電子版『老いゆくG7「幸福追求」 新興国に経済規模かなわず』を参照)。

 このうちインドなどの新興・途上国は「グローバルサウス」と呼ばれる。「サウス」とは、かつて新興・途上国が南半球に多く位置していたことに由来する。それが今では、国々の位置を問わず、国際社会での影響力を急速に増している新興国全般を意味する言葉となっている。

ウクライナ戦争においても、グローバルサウス諸国がロシアの石油・天然ガスを輸入することで、ロシアに対する経済制裁の効果を弱めてきた。また、国連決議などの場面でも強い影響力を発揮するなど、グローバルサウスの動向は無視できないものとなっている。

 繰り返しになるが、この状況下でウクライナ戦争が停戦となり、プーチン大統領が「勝利宣言」をすると、グローバルサウスに属する「権威主義的指導者」が賛同する危険性が大いにある。

 この場合、理論上はどれだけ「長いスパン」で優位にあったとしても、NATOを「敗者」と見なす国際世論が盛り上がるかもしれない。日本など、NATO未加盟の自由民主主義陣営にも冷ややかな視線が向けられるだろう。自由や平等、基本的人権の尊重といった、自由民主主義の価値を否定する動きが加速する懸念もある。

 独裁的指導者の強権的手法によって、隣国とのもめ事を「力による一方的な現状変更」で解決できたという事例が、歴史に残ることの弊害は大きい。他の権威主義的国家が踏襲しようとした際に、自由民主主義陣営が抑えつけるのは難しくなる。

NATOはこの「最悪の事態」を避けたいはずだ。そのためにも、「どういう形で停戦するべきか」を真剣に模索することが、NATOにとって喫緊の課題ではないだろうか。


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