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日本の教育の問題(2)「やったふり社会」日本

「やったふり農耕型教育」を変える教育の実践を書く前に、教育にとどまらない日本社会の深刻な問題について述べたい。

それは、日本の学校が、次のステップのための「予備校」にすぎない問題になっていることだ。小学校は、中学受験のための予備校。中学校は高校受験のための予備校。高校は大学受験のための予備校。大学も就職のための予備校だ。

そのため、学校という場が、学問に深く広く、取り組もうということにならない。次に進むための試験や面接を突破するための「テクニック」を伝授する場となっている。

小中高であれば、公式の意味を深く知るより、公式や知識の暗記、試験問題を解くためのテクニックを身に着けることが重視される。大学だと、深い教養を身に着けるために原書を読むなどは避け、プレゼンテーションスキルなどを身につけるのに学生は熱心だ。

まあ、まだ学校というところは、学力だけでなく人間性を身に着けさせようというところはある。まだましかもしれない。ところが、それは親子にとって望ましい場所ではない。それでは志望校に合格する力を身につけるのに後れを取ってしまうからだ。だから、塾や専門学校に通ったりする。本当の勉強はそっちでやるということだ。

かくして、学校は「やったふり」の場となる。学校行事は、親子の「思い出作り」のためにある。親は、学校では塾でやっていることをしゃべるなと子どもに言い聞かす。こうして子どもは、世の中には「建前」と「本音」があることを知る。また、子どもは塾などの勉強のストレスを、学校で発散し、親の知らないところでいじめや学級崩壊が起きる。

学校で覚える、表面的なテクニックで世の中を渡っていくことと、学校ではほんとのことを話さない「建前」で生きていくことを知ることの影響は、一生に及ぶ。「小手先」でかわすことばかりで、世界のダイナミックな変化についていけていけない、政治家、官僚、経済人ばかりではないだろうか。





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