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反転授業まとめ:大学教育を劇的に活性化させるために

反転授業について、同僚の桜井政成先生に取り上げていただいたことで、反響がじわじわと広がっているのを感じます。

せっかくの機会なので、2020年のコロナ禍を「新しい大学の学びを創る」絶好のチャンスと捉え、取り組んできた「反転授業」についてまとめてみたいと思う。

「反転授業」について初めて書いたのはこちら。

ここでは、「反転授業」とはなにか、説明をしている。

『ポストコロナの大学のあり方を模索し、早稲田などで導入が検討されているもの。要は、現在の「講義→復習」という「日本型の学び」を反転させて、講義を動画として家で予習させて、教室では議論中心で、理解を高める「予習中心型」の学びだ。』

そして、この授業の着想は、私が学んだ英国の大学の授業スタイルから得たもので、その利点と日本の従来の大学教育の問題点を指摘している。

『英国の大学では、20年前から既にこの「予習中心型」で、学生は大教室の講義+リーディングリストで予習をし、少人数の教室でセミナーに臨むというものだった。この講義の部分が動画になるだけで、欧米では普通のスタイルです。』

『利点は、日本では講義→復習で、「知識の定着」に学びがとどまる一方、「反転授業」では、知識の習得は予習ですませ、学生同士の議論を通じて、より深く広い「自分の主張」にまで高めることにある。また、議論を通じて、多様な見方の理解、批判的思考が身に付く。』

そして、まずは2021年度の英語開講授業から「反転授業」を導入することを決めた。

『4月から、英語開講の授業「Study of Political Process」「Multi-level Governance II」で、「反転授業」をやってみたいと思います。授業形態は以下の通り。

① 予習として、30分程度の講義の動画をOne Driveにアップロードする。同時に、リーディングリストの論文を読ませる。
② 90分の授業では、予習に基づいて私がQuestionを提示し、学生はグループで議論をする。授業の最後までにまとめて、最後に5分程度のプレゼンをして、私がコメントする。』

そして、「反転授業」を実際にやってみて、その破壊的な威力に驚いた。

『授業は「財政政策と税制政策」で、どこは1つの国を選んで、その国の政策とその問題点をまとめさせたわけです。そうすると、ベトナム、韓国、中国、米国、日本、オーストラリアといろんな事例がプレゼンで出てきました。

ベトナムのような新興国、資源が豊富で比較的健全なオーストラリアなど、多様な事例が出されました。また各国の財政・税制の制度が綺麗に整理されており、その問題点、解決策まで出されていました。

僕が1人で90分講義しても、せいぜい日本の事例をしゃべるくらいです。これは、反転授業だと、僕の30分の動画に加えて、7つのグループが調べた7つの国の事例を学生は勉強できるのです。』

そして、2023年秋学期からは、おそらく誰もやっていない「大教室講義の反転授業」を断行しました。

『新学期が始まるが、私は1つの決断をした。これまで英語の授業だけで行っていた「反転授業」をすべての授業で行うことにした。つまり、日本語で行う受講生100人以上の大教室授業でも「反転授業」を行うことに決めた。

ただし、大教室では英語の少人数の授業のような、教室での議論はできない。従って、「国際政治経済論」では、以下の形で行う。おそらく、日本の大学では誰もやってこなかった形式だ。

授業の1週間前に、予習の動画を用意する。学生は動画を観て、授業支援ツールのページに質問(できればコメントをつけてもいい)を私に提出する。

教室では、私が今の国際情勢、国内政治等の解説も交えながら、学生の質問に90分間答え続ける。すべて、準備なしの即興とする。』

教室での質疑応答は、いわばYouTubeのライブ配信のようなイメージで行った。

私はここで同時に、現状の大学の学びの限界を指摘し、大教室授業でも「反転授業」を導入する理由を説明している。

『それは大学での「講義形式」の授業の限界を感じたからだ。

コロナ禍が、ウェブ授業を劇的に進化させたことはいうまでもない。それに、いわゆる「Z世代」と呼ばれる若者の性質が加わって、講義形式の授業の形骸化を進めてしまった。

Z世代は、例えば映画を観ても、最初の部分を早送りして、クライマックスだけを観るという。他大学の話だが、5つの講義の動画を同時に視聴して、それが判明して単位を与えられなかったというケースもあるという。

私の前期の大教室授業でも、もうこれはダメだなと思うことがあった。要は、授業中でもパソコンを開くのが当たり前になって、私がアドリブで話している部分とか、おそらく学生は別のことをやっている。

なにより、ウェブと対面を同時に行う「ハイブリッド授業」の場合、学生は教室に来ない。そして、私の授業をパソコンで流すと同時に、何か別のことをやっている。

私は、前述の学生に単位を与えなかった大学のような対応をしたくはない。別に、5つ同時にいろんなことをやって、それでも試験で合格点を取れば、それで単位を与えていいと思うのだ。

同時に、5倍のことをやれるわけでしょ。それで何が問題かと思う。僕らの頃には考えられないくらい、多くのことを今の学生はできるということだ。

私は、IT技術の発達など、コロナ過でできてしまったことは、後戻りさせる必要はないと思っている。それで空いてしまった時間と場所は、新しいことすることを考えるべきなのである。

だから、私の講義でのアドリブは、10年上に渡って学生に好評だったと信じているが(笑)、もう、学生はその時間を早送りとか省略するようになった。それが時代の流れだ。』

そして、教室での質疑応答LIVEを同時配信で公開した(その録画は、現在未公開です)。

今期は、予習の動画講義を公開している。

大事なことは、この講義の終わりが授業の終わりではないことだ。授業はここから始まるということ。

実感として、昨年教室でシンプルに90分講義をしていた時よりも、毎回5-6倍の内容があると思う。

「反転授業」の導入をお考えになっている先生がいるならば、1つ申し上げておきたいことがある。

講義を予習の動画とした場合、教室でどんなことをするか。私は、①教室でグループ分けして課題を与えてパワーポイントを作らせて発表(少人数)②質疑応答LIVE(大教室)の2パターンを持っている。

元々の英国の授業スタイルだと、小集団で1人が授業内容に基づいてプレゼンをし、それを元に学生が議論する。これがオーソドックスなやり方だろう。

しかし、私が言いたいことは、「教室は自由」ということだ。先生方が一番得意とするやり方で自由にやることが大事。100人先生がいれば、100通りのやり方があっていい。いや、100通りなければならない。

その自由さが、学生を覚醒させて、爆発的に成長させることになる。日本の大学、特に文系を劇的に活性化させることになる。

先生方が、野心的に、自分の一番得意な形で攻める。この「先生が攻めている」という姿に、学生は敏感なのだ。学生は、先生が攻めているとわかれば、必ず目の色を変える。決まり通りにやっているだけだとわかると、単位のために最低限のことをする。私は、その姿を14年間、たくさんみてきたのだ。






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