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今年を振り返って(来年もよろしくお願いします):「五輪賛成論」と「野戦病院論」から。

今日は大みそか。あとは、紅白歌合戦を観るだけとなりました(笑)。今年も大変お世話になりました。

毎年、新年の抱負としては「人格を磨く」というのになり、「ま、無理やな」という厳しい突っ込みを諸先輩方から入れられたりしたのが恒例となってきたわけですが(笑)。

「人格」とか「徳」とかいうものの考え方を少し変えようと思います。無理なことはいわなくていいのではないかと(笑)。むしろ、今の自分でいいということにしようと思います。

今年も、いろいろなことに怒ってきました(笑)。しかし、それらを振り返ってみるとこれだけは言えるのですが、自分は、自分のことについては怒ったことがないんですよね。これは、今年に限らず、ずっと前からです。

自分が怒ることってのは、人のことですよ。例えば、教え子が出場した研究発表のコンペで主催側を猛抗議した件。自分のことだったら、怒りませんよ。そもそも、腹も立てないと思います。

世の中、いろいろな事情があることはわかる。主催側にも都合というものがあります。だけど、これから社会に出る若者に対して、「世の中、そんなものだから黙っとこうな」とは言えないなと思うと、怒らざるを得ない。少なくとも、怒ったというパフォーマンスをしないと、教え子に示しがつかないわけです。

教え子には、世の中「忖度」をして、うまく渡っていけばいいんだと教えるわけにはいかないですから。その後、私が教授会で1年間発言しないでいることを考えると、代償は小さくなかったんですが、それでも、やらざるをえなかったと思います。

論壇でも同じです。自分のために厳しい批判をするわけではないです。他の人のために、批判をしてきただけです。自分にはなんの得にもならなかったことです。

今年は、やはり「五輪賛成論」を打ち出したことがハイライトだと思います。あの時、世論の大半が「五輪中止論」でした。私の論考が世に出た時、Yahooニュースで実に1900の批判コメントがつきました。学部の事務室の私のポストには、元共産主義と思われるおじいさん方から、脅迫と思われるありがたいお手紙もいただきました(笑)。

東京五輪を開催すべき論理的な理由、「聖火リレー中止」に走る自治体の無責任 | 上久保誠人のクリティカル・アナリティクス | ダイヤモンド・オンライン (diamond.jp)

しかし、たったひとりの「五輪賛成論」のおかげで、BS日テレの「深層NEWS」に出演し、私の考えを説明する機会をいただきました。あえていえば、あの1時間だけは、私は日本のスポーツ界の思いを背負い、代弁したと思っています。

私は子どもの頃、13年間もスポーツをやってきました。才能はなく、三流選手を13年間やったわけですが、最後の最後にインカレに出場できた。全国大会というとても手の届きそうにないものに、たった一度だけ出場できた。この苦手なことをやりきったという経験が、私にもたらしたものの大きさは、言葉で言い表せないほどのものです。

私を育ててくれたスポーツというものを、1時間だけですが私は背負い、守ることで、できる限りの恩返しをしたと思っています。

東京五輪は、本当にやってよかったと思います。もし、中止にしていたら、コロナのデルタ株が蔓延する中、国民は家の中に閉じこもるだけで、なにもできず、「一億総うつ状態」のようになったでしょう。日本は国家として完全に自信を喪失し、奈落の底に落ちたのではないでしょうか。

「国威高揚の五輪」という、日本政府の思惑は外れましたが、それでもできる限りで五輪を開催した。このことが、日本の未来につながるものは、決して小さくないと確信しています。ほんの一隅ですが、それを背負うことができたことは、私のささやかな喜びです。

論壇でのもう1つのハイライトは、もちろん「野戦病院論」です。テレビ東京WBS、フジテレビ・バイキング、テレビ朝日モーニングショーなど、メディアにも大きく取り上げてもらいました。

野戦病院は、多くの人が提唱するものとなり、福井や大阪などで実現もしました。しかし、私は5月の段階で英国の野戦病院「ナイチンゲール病院」を誰よりも早く紹介したこと、自治体ベースで足りない病床を補うのではなく、英国のように軍隊による大規模な野戦病院を用意せよと主張したことで、一線を画した主張ができたと思います。

後手に回るコロナ対策、最後の切り札は自衛隊の「野戦病院」設置だ | 上久保誠人のクリティカル・アナリティクス | ダイヤモンド・オンライン (diamond.jp)

コロナ禍において、これが実現することはないと思いますが、もし将来強毒性の感染症のパンデミックが起こる時、現在の日本の医療体制ではひとたまりもないことは明らかなので、今後も主張を続けようと思います。

現在の複雑な医療体制のしくみの延長線上では、柔軟で機動的なパンデミックへの対応は不可能なので、現在の体制の外側に緊急医療の体制を作っておくことは必要。もちろん、現在の自衛隊の体制では能力が足りないと思います。そこは、日米同盟、そしてこれから強化されるであろう日英関係の中で、野戦病院の経験豊富な米軍、英軍との協力関係の中で、リソースとノウハウを自衛隊が蓄積しておくことが必要だと考えます。

いずれにせよ、今年大手メディアに呼ばれたのが「五輪賛成論」と「野戦病院」だったことは、象徴的だったなと思います。

普段は呼ばれないんです。レギュラーといっていい識者たちがいて、彼らが呼ばれるわけです。五輪賛成論の場合は、探しても誰もいなかった。だから呼ばれたということです。野戦病院も同じですよね。

私が呼ばれるのは、メディア側がレギュラーの識者の中で誰も探せなかった時だということです。私は、それでいいと思っています。

そもそも、私は英国時代からネットでの発信をしていて、メディアにも知られるところにはなっており、日本に帰った時、メディアを中心に生きていくという道もありました。でも、大学で専任の職を得るという、どちらかといえば厳しい道を選んだわけでした。

なぜかといえば、自分が本当に主張したいことを、何人にも影響される言うには、大学という場で給料をもらうことがベターだと考えたからです。

テレビに出たり、原稿料で暮らすことになれば、そういう場を確保するために、相手側に合わせて主張せざるを得なくなる。そうではなく、本当に真実だけを主張したければ、安定した収入を得て、その上で、自分の自由に書く場を確保することだと考えたのです。

私の学問は、純粋な社会科学の基礎研究というわけではありません。社会人を経験した人間ですから、純粋な学者ではない。あくまで、社会の現実に立脚したところから、それを批判的に検証し、理論化、一般化することが仕事です。

それゆえにこそ、メディアに依存することはあってはならず、それには大学で安定した基盤を得る必要があったのです。そもそもですが、大学は「学問の自由」「言論の自由」を最も重要な価値観としている場でありますしね(まあ、建前であって、ほんとはそんなに単純ではないですけどねえ)。

その選択は、10年以上たった今思えば、正しかったなと思います。私は基本、大学教授という立場から、世の中に気を遣うことなく、好きなことを言えています。その上で、それを理解してくれているダイヤモンドのウェブ版という巨大なアクセスのある場を個人ブログのように使える、そして、それはYahooニュースという巨大なメディアに論考を出せるという、他の学者がなかなか得られない「特権」を持てるようになりました。

メディアを観てみると、今年はさまざまな問題において、その主張を二転三転させる識者が多くいました。メディアによる「言論統制」のようなものが見えて、それに従って、平気で主張を変えている場面を多く見ました。

彼らは、通常私らより「格上」のようにふるまっているわけですが、なかなかに残念な姿でしたね。そして、メディアで禄をはむ彼らには、本当の意味での「言論の自由」はないのだということを痛感しました。

私は、これからも自分の思うことを、どこかの立場に立つことなく、誰の味方でも敵でもなく、中道主義から右も左も駄目なものは駄目と批判し、忖度のない提言をしていこうと思います。そのことの重要性を痛感した一年となりました。

来年も、どうぞよろしくお願い致します。



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