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金曜日の日記/『断片的なものの社会学』『プレーンズ』などなど

 五月とは思えない雨の一週間。社会学者・岸政彦さんの『断片的なものの社会学』を読み始める。さまざまな人へ取材をするなかで起こった、社会学の観点から分析できない断片的な出来事がまとめられていて、私は知らない人と話すのがすきなのでとてもおもしろく、社会学にも興味が湧いた。

 知らない人と話すのは、まえは飲み屋なんかでしょっちゅうあったけれど、子育て中の今は道端や公園で起こる。今週は、なかなか歩かなかったこどもが突然歩き始めたので、曇天のなか散歩によく出た。近所の屋根がある商店街や、誰もいない公園の水たまりを、自分の足で動きまわるのがたのしそう。触りたいものを触り、拾いたいものを拾う。どんどん自由になっていく。散歩中、通りすがりに話しかけられるのはここ下町では茶飯事中の茶飯事だけれど、「お腹のなかにいる先祖がよろこぶからお米を食べなさい。あなたも私もお米の応援団ですよ」と突然おじぃに言われたのには笑ってしまった。ただ以前と違うのは、近くで話すことやマスクの有無やなんかが気になる。会話を素直にたのしめない自分が抱く寂しさと薄情さを、『断片的なものの社会学』は通りすがりの空気で軽快に満たしてくれた。最近の生活ではKindleが読みやすいのでKindle版を買ったけれど、やっぱり紙で欲しくなってしまう。

 毎日たのしませてくれるディズニーシアターでは『プレーンズ』を観た。車が社会を成す映画『カーズ』とおなじ世界軸のなかに生きる飛行機の話だ。主人公の農業用飛行機が夢のレーサーになる1と、レーサーを引退しレスキュー飛行機に転身する2がある。初めて『カーズ』を観たとき、機械の人生というのは不死身なのか?と思ったのだけれど、『プレーンズ2』には飛行機が「窒息してしまう」と言う場面があって、命なんだとわかる。波や火事にのまれたり、部品が手に入らずに命を落とす車や飛行機たちの「死」が描かれていて、みんな自然には敵わないのだと胸が痛む。

 イラストと刺繍の仕事の締切があって、せっせと作業をした。集中できるのはとてもたのしい。人生ではじめてラザニアを食べたり、YouTubeを見ながら真面目に運動したり、こどもにウィンクを教えたり、寒くてまだまだ毛布に包まれる至福を噛みしめたりもした。森山直太朗の「いつかさらばさ」という曲が聴きたくなってApple Musicで検索。ひさしぶりに聴くアルバム『乾いた唄は魚の餌にちょうどいい』はなんだかとてもよくて、以来毎晩寝るときに繰り返し聴いている。森山直太朗の言葉遊びやユーモアがすきだけれど、このアルバムはもっと優しさや寂しさにストレート。

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