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紹介したいnote記事「231 そんなの本当の○○じゃない」

 今回ご紹介させていただくのは、ほんまシュンジさんの「231 そんなの本当の〇〇じゃない」です。

 ほんまさんはX(旧Twitter)でも相互フォローさせていただいております。私は小説宣伝のために毎日Xでポストしていますが、それを見つけていつもリポストしてくださるほんまさんには本当に感謝しております。

 私は自分からアクションを起こすタイプではなく、リポストしてくださるフォロワーさんにお礼としてリポストするのが常なのですが、まさにほんまさんの記事に書かれている通りです。

反応するとお返しに反応してくれることがある。それは、たいがいはいわば「義理」である。

231 そんなの本当の○○じゃない|ほんまシュンジ (note.com)

 まさに人の世は、義理と人情の世界でございます。

 ほんまさんは、Xでこのようにやりとりする相手の事を「友人のように感じる」と書いた後で「友人ではなく知り合いなのか」と付け加えていますが、この問題提起に「なるほど」と思ってこの記事を書いています。

「友人の定義とは?」

 友人と聞いてぱっと思い浮かぶのは同級生です。そして会社で言えば同期入社の同僚。学校や職場で年齢関係なく親しく接していれば友人と言って良いのではないでしょうか。

 しかし、こちらが友人と思っていても相手は友人と思っていないかも知れません。逆に相手から友人と思われていても自分はそうは思っていなかったり……。

 よく「俺たち友だちだよな」とか言って金をせびる人がいますが、借りたまま返してくれない人を友人だと思いたくないでしょう。「もし君が友人だと言うなら、俺が困っている時に助けてくれよ」と言いたくなります。

 でも「ギブアンドテイクを求めるのは本当の友情じゃない」と言う人もいらっしゃるでしょうね。「親が子どもを甘やかすのは本当の愛情じゃない」と言われるみたいに。

 これはもう人それぞれの解釈があるわけで、私の考えると友情とあなたの考える友情が違うとしても仕方のない事だと考えます。だから「あなたは私を友人とは思わないかも知れないけど、私はあなたを友人だと思っている」で良いのではないでしょうか。

 そんなわけで、私はフォロワーさんを友人だと思っています。


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