紹介したいnote記事「揺りかごの残像」
冬月剣太郎 猫詩人🐈さんの「揺りかごの残像」という記事を紹介します。
「やめて~やめて~やめて~。赤ん坊の姿をしたわたしが、最初はうれしそうに、次に悲しそうに、そして最後は怒り狂ったように叫んでいる。日々の大半を揺りかごのなかで過ごしていた幼児のころ、わたしの遊び相手は恐怖と不安の影絵であった」
赤子の頃の記憶でしょうか。赤子は自分からは何もできず、親にされるがままです。親が良かれと思ってしている事も、赤子にとっては「やめて~やめて~やめて~」だったのかも知れません。
「わたしは置き去りにされた子供だった。ときおり聴こえてくるのは、祖父母の声が入り混じった夫婦喧嘩の、怪奇な影絵の伴奏曲。わたしは三歳になるまで、這い這いもしなければしゃべることもない幼児であった」
「わたしは置き去りにされた子供だった」はかなり衝撃的な表現ですね。とても孤独な感情が滲み出ています。
「わたしは魂の鎧を身につけることから幼い人生を始めた。そのなれの果てが、老いさらばえた七十歳のわたしなのだ」
「魂の鎧」とは何でしょうか。鎧は肉体を守るために身につけるものです。魂を守らなければならない事情があったのでしょう。
「よろよろと生きてゆく人生の吊り橋のうえから、橋のしたに広がる深い谷間を見おろしながら、わたしはいまでも恐怖と不安の影絵と戯れている」
先月、滝を見るために吊り橋を渡りました。高い所が苦手な私ですが、その吊り橋を渡らなければ目的地に辿りつけないので仕方ありません。冬月さんは今も、恐怖と不安を感じているのでしょうか。
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