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価値観の不一致で悩んでいる人へ。

極々たまに「価値観が合わなくて〇〇」なんて言う人がいるけど、そんなの合わなくて当然なのでそれを持ち出すとは誠実さがないなぁと思う。子供ならまだしも大人なら分かってて当然だからだ。

価値観を言い換えれば「自分と同じ考えと行動をしてほしい」と言う事。これはある意味で正しい。ある意味とは「集団の中」と言う事。

例えば動物の群れを見ればわかる。皆が皆、自分の好き勝手に動いていては群れになり得ない。

同様に人間社会の群れ(集団)の秩序が乱れれば、その集団自体が外部からの危険に晒されかねない。数は力だからこそ集団になっている。だから集団にはリーダーがいて、その役割は“集団の方向性を示すこと”にある。

だから自分の考えは二の次で集団の方向に合わせる。それは結果的に自分を守る事にもつながる。

それが嫌なら外に出てしまえば良い。例えば会社なら奴隷を雇っているわけでないので好きに辞められる。もし辞められないと言うのなら、それは法律の専門家に相談した方が良いだろう。

いずれにしても「価値観が合わない」とは「価値観を合わせようとしない」という事を言う。

集団に合わせようとしない事。

そもそも世の中はまず「自分があって社会がある」というわけではなく「社会があってそこに自分がいる」が正しい。よって「価値観が合わない」と言う事を広げた先には「自分に世の中(集団)が合わせろ」がある。これは暴論だというのは子供でもわかる。

もっと身近な言葉を使えば「あなたに変わってほしい」と言う主張と言える。けどこれもおかしい。そもそも自身は他人にそう言われたら変わるのだろうか?これは甚だ疑わしい気がする。

じゃあ自分で自分を変えようとしてすぐに変わったという人はいるだろうか?これはいるだろうけど、凄くエネルギーを使っただろう。つまりそれだけ難しい事と言える。

自分を変えられないのに他人に変われと言うのは無理があると言う意味が分かると思う。

だからそれをシンプルにやる為のシステムが世の中にはある。それは法律だったり規則だったりルールだったりする。

社内にあるルールや規則や社訓はその為にある
価値観がバラバラの人間を仕事上では一つにさせる。

スポーツのルールみたいなもの。手も使っていいのならサッカーにはならないのと同じ。

ただし

それが反社会的であったり、人を騙したり傷つけたり、リーダーの方向性は集団を破滅に向かわせている、そう思ったのならその場を去ることも当然考えないといけない。

そして集団のルールを破ることが普通になり、それを上層もやる様になると確実に集団は破滅する、という事は付け加えておく。

2024年4月1日








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