50歳超えの大学院留学(オンライン)‥コロナが始まって、勉強どころではなくなった

入学はしたけれど、あまりの能力不足でもがいている最中にコロナの騒ぎが始まって、これが私にとって壊滅的だった。仕事が在宅でになったとか、やり方が変わったのではないし、仕事量や収入が減ったのでもない。
だけど私生活は大きく変わった。

遠くの故郷で特別養護老人ホームに入っている母親には、それまで月1回飛行機で飛んで行ってミサに連れ出していたのに、老人ホームから面会禁止の知らせが来て一切、会うことも出来なくなった。
お稽古事も中止になった。

そして一番変わったのは、これまでの友人知人の多くや、これまで信頼していた事が信じられなくなったことだ。
自分の生活感覚というか皮膚感覚では、そしてしばらくすると行政などから日々出されるようになった数字からは、よく言われるように季節性インフルエンザより怖いウイルスだとは、どうしても思えなかった。
だけど友人の殆ど、仕事上の付き合いのある同業者、お稽古事で会っていた人たちはコロナを極度に恐れて、マスクをし、外出を自粛し、ワクチン接種が始まると率先して受けた。

修道院での集まりやお泊りもなくなった。シスターたちのことをそれまでは、自分のアタマで判断せず教えられた通りに信じ込んじゃってる(私からみた)ザ・宗教者ではなく、合理的なものの見方をするんだなぁと思っていたが、彼らもコロナ教信者だったかとガッカリした。
‥もしかするとコロナ自体が怖いのでなく、陽性者が出ると老シスターを介護しているヘルパーが来なくなるという現実的な理由だったかも知れないけど、実際にはどう思ってるんですかというように親しく本音で話すということも出来なくなった。

お稽古も中止になった。代表からは、今は国難です、お稽古をやっている場合ではありません、皆でココロを一つにしてコロナに立ち向かいましょうというようなメールが来た。
錚々たる大学を出た人だ、専門は違うけど。お稽古の一芸に秀でた人だ。
そんな人でも、コロナをデータから評価しないのか⁉︎  先人の知を、どのように受け渡しする人なんだろうか‥。
もうこの人に教わるのは無理だと思った。

SNSではそれまで尊敬していた学者たちが、口々にコロナの恐ろしさや政府の無策への批判を語っていた。
とくに社会学の研究者がそうだったのには衝撃を受けた。自分の専門分野と違ったら数値を見ないのか?、他の国、他の死因、過去の数値と比較しないのか? 生活の自由が制限されることに、何でそう無頓着なのか?

足下の地面が崩れるとはこの事だと思った。
コロナ騒ぎで日常生活が大きく変わったから、友人知人と話せばその話題が出る。これまで気心が知れたと思っていたのに、物の見方・考え方が相いれない人だったのか‥。
そして同業者や、他の分野の研究者が論理をすっ飛ばして、怖いという感情のみからコロナを判断しているのにも幻滅した。学問て、やっても意味ないよねって‥自分の学業が上手く行ってなかったから、酸っぱい葡萄にしちゃったのもある。

今まで安心して受け入れてきた生活上のあれもこれもが崩れたのだから、大学院の勉強どころではなかった。
学期が始まっても放置していたら、学校から連絡が来て、休学することになった。学校の健康管理センターが提供するカウンセリングも受けることになった。

‥コロナ騒ぎのために休学することになった経緯は、この通りです。長くなってしまったので、休学とカウンセリングについては次に書こうと思います。

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