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悪魔に墜ちた男

※「悪魔と呼ばれた男」のネタバレを含みます。
※「悪魔を殺した男」初版限定に付属したショート・ストーリーです。

     1

 穴を掘った――。

 スコップを地面に突き立て、土を掻き出す。

 汗が滴り落ちる。

 筋肉が張って、持っているスコップが異様に重く感じられた。

 本当は人の背丈ほどの深さの穴を掘りたかったのだが、もうどうでもよくなった。表面上見えなければ、見つかりっこない。

 これくらいでいいだろう。

 おれは、スコップを地面に突き立てると、その場に座り込み、乱れた呼吸を整えるように深呼吸を繰り返した。

「面倒臭い」

 思わず声が漏れた。

 ふと傍らに目を向けると、十代前半の少女が仰向けに寝ている。

 息はしていない。

 それはそうだ。おれが殺したのだ。

 別に、この少女に恨みはない。ただ、欲求が抑えられなかった。白く、柔らかい肌にナイフを刺したら、いったいどんな感触がするのか? どれくらい血が流れるのか? どんな風に痛がるのか? 

 いわば、知的な探究心を満たす為の実験だった。

 少女が死んだあと、しばらく死体を家に置いていたのだが、すぐに腐敗が始まった。その臭いは強烈で、肉がずくずくと崩れていく様を見て、耐えられなくなった。

 生ゴミの日にでも捨ててしまいたいところだが、それをすれば、騒ぎになることは明らかだ。

 また、警察に連れて行かれるのは避けた。

 何度も、何度も、同じ質問を繰り返されるかと思うと、心底うんざりする。

 まあ、死体さえ見つからなければ平気だろう。もう少しで、少女を土に還すことができる。

 気持ちを奮い立たせ、スコップを掴んで立ち上がる。

 腐敗しかけた少女の死体を足で蹴って穴の中に落とすと、その上に土を戻していく。

 同じ作業の繰り返しに、言いしれない退屈さを覚える。だから、歌を歌った。誰かの曲ではない。今、思いついたメロディーと言葉を吐き出すだけの瞬間の歌――。

 一時間ほどして、少女の姿はすっかり土の中に隠れた。

 ――これで良し。

 後片付けをして、家に帰ろうと思ったのだが、そこで忘れ物に気がついた。

 ナイフだ。

 少女を刺したナイフも、一緒に埋めようとしたのだが、すっかり忘れていた。

 放置しておく訳にもいかない。近くの柔らかそうな地面にスコップを突き立てると、土を掘り起こし、そこにナイフを埋めた。

「これで良し」

 呟いたあと、空に目を向ける。

 赤みを帯びた月が浮かんでいた。その姿は、どこまでも神秘的だった。

     2

 インターホンの音で目を覚ます。

 穴を掘ってから三日経つが、未だに筋肉痛が取れない。その上、疲労も残っていて、ずっとベッドの上で過ごしている。

 どうせ、宅配便かセールスの類いだろう。頭から布団を被り、無視を決め込んだ。

 もう一度、インターホンが鳴った。

「早くどっか行けよ」

 芋虫のように、もぞもぞとしながら立ち去るのを待ったが、三回目のインターホンが鳴った。

 すぐさま、四回目が鳴る。

 ――しつこい。

 苛立ちに任せてベッドから出ると、廊下を抜けて玄関のドアを開けた。

 そこには、一人の男が立っていた。年齢は三十代くらいだろう。背が高く、彫りの深い顔立ちをしている。

 笑みを浮かべるでもなく、冷え切った目で、真っ直ぐにこちらを見ている。

 男の持つ異様な存在感に飲み込まれそうになったが、気圧されてはいけないと、睨みつけてやった。

「何の用? 何度も何度も、うるさいんだけど。あんましつこくするなら、警察呼ぶよ」

 苛立ちに任せて口にしたが、男は眉一つ動かさなかった。

「捜査一課の阿久津と申します。朝早くからすみません。近隣で起きた事件について、捜査をしています」

 男は、警察手帳を提示しながら名乗った。

 どうやら本物らしい。

 一瞬、どくんっと心臓が脈打つ。

 昨日になって、河原から少女の死体が発見されたというニュースが流れていた。おれが埋めた少女が見つかったのだ。

 だが、凶器のナイフの方は、まだ見つかっていない。

 死体がいつか発見されることは、最初から分かっていたことだ。想定より早かったが、だからといって、どうということはない。

 おれには、最後の手段がある。強力な味方がいる。

「おれ、何も知りませんよ」

 それだけ言ってドアを閉めようとしたが、阿久津が割り込むようにしてドアを押さえてそれを阻んだ。

「何っすか? ドアから手をどけてくださいよ」

「少し、お話を伺うだけです」

「だから、何も知らないって言ってるでしょ」

「いいえ。あなたは、知っているはずです」

「は?」

「少女は、塾から帰宅する途中に拉致されました。道が分からないから教えて欲しいーーそう声をかけたんです。そして少女の親切心に付け込んで、強引にアパートの部屋に連れ込みました」

 阿久津は、無表情に淡々と語る。

「何の話だよ。出てってくれ」

 阿久津を押しのけようとするが、もの凄い力で、びくともしなかった。

「そして、犯人は少女を殺害しました。何か目的があった訳ではない。ただ、興味本位に未来ある命を奪ったのです」

「おれには、関係ないだろ」

「いいえ。関係あります。あなたが、殺したんですから――」

 阿久津は、ドアから手を放し、おれの手を掴んだ。

 肌が触れ合った瞬間、電気が流れたような、嫌な感覚があった。

 不快だ。とてつもなく不快だ。

「放せ! 証拠もないのに、犯人だとか決めつけやがって! 訴えてやる!」

 叫びながら阿久津の手を振り解いたあと、その胸を突き飛ばした。

 おれは湧き上がる怒りに任せ、玄関先にあったサンダルを阿久津に向かって投げつけてやった。

 顔面にサンダルの直撃を受けた阿久津は、さすがに面喰らっていたようだ。

 ――いい気味だ。

「さっさと消えろ!」

 唾を吐き付けた後に、勢いよくドアを閉め、鍵をかけた。

 そのまま退き下がるかと思っていたが、阿久津はトントンとドアをノックしてくる。

「すみません」

「消えろって言ってんだろ!」

「サンダルをお返ししようと思いまして」

 阿久津は親切心で言っている訳ではない。それを口実に、再びドアを開けさせようとしているだけだ。

「そんなものは、くれてやる。ゴミ箱にでも捨てておけ」

「分かりました」

 意外にも、あっさりと応じると、ドアの前から阿久津の気配が消えた。

「何なんだ……」

 ドアに背中を預け、長い息を吐く。

 昨日、死体が発見されたばかりだというのに、もう捜査の手が伸びてきている。あまりに早過ぎる。

 しかも、あの阿久津という刑事は、おれのことを犯人だと断定した口ぶりだった。

 それだけではない。少女を拉致した状況まで仔細に語っていた。まるで、その場で見ていたかのようにーー。

 いや。焦ることはない。まだ証拠はない。仮に見つかったとしても、どうにかなる。

 前のときがそうだった。逮捕はされたものの、不起訴処分になっている。今回も同じだ。例え何かしらの証拠が見つかろうと、逃げ切ることができる。

 なぜなら、おれは、そういう血筋に生まれたからだ。

 そのことを実感すると、腹の底から歓喜が沸き上がってきた。そう。おれは、特別な人間なのだーー。

     3

 凶器と思われるナイフが発見されたことをニュースで知った。

 あのナイフの柄は拭き取ってあるので、指紋が発見されることはない。だが、それで安心していいのだろうか?

 DNA鑑定に回されたりしたら、思わぬ痕跡が残っているかもしれない。

 いや、だとしても焦る必要はない。

 DNAが採取されたとしても、それで個人が特定される訳ではない。比較するDNAがあって、初めてその人物だと判明するのだ。

 仮にDNAの提出を求められたとしても、同意しなければそれで済む話だ。

 思考を遮るようにインターホンが鳴った。

 ビクッと身体が過剰に反応する。自分は大丈夫だと分かっているのに、どうしても不安が拭えない。

 再びインターホンが鳴る。

 ドアスコープから外を覗くと、阿久津という刑事が立っていた。

「しつこい男だ……」

 今、阿久津と会うのは避けたい。

 他の刑事はどうか知らないが、阿久津はおれのことを犯人だと決めつけている。厄介な存在だ。

 三度インターホンが鳴ったが、徹底して無視を決め込んだ。

 諦めて帰るかと思ったが、阿久津はずいっと身を乗り出して、ドアスコープを覗き込んできた。

 目が合った――。

 いや、それは錯覚だ。ドアスコープを介しているのだから、向こうからこちら側は見えないはずだ。

 それでも、見られているような感覚に陥る。そういう、不気味な目だった。

「そこにいらっしゃるのは分かっています」

 ドアの向こうから、阿久津が声をかけてくる。

 息を止めてドアから離れた。いったい何なんだ。阿久津は、刑事というより、もはやストーカーだ。

 返事をしていないのに、阿久津はさらに続ける。

「今日は、ご報告にあがりました。凶器が発見されたことは、もうご存知ですよね。これから、DNA鑑定に回されます」

 ――だからどうした。

 内心で呟く。お前らが何をしようと関係ない。

「私は、既にあなたのDNAを採取しています」

 ――え?

 思わず声に出しそうになり、慌てて口を押さえる。

「先日、頂いたサンダルも一緒に鑑定に回すことになっています」

 ――あっ!

 脇からすうっと冷たい汗が流れる。

 この前来たとき、阿久津にサンダルを投げつけた。そればかりか、「くれてやる」と言ってしまった。

 あのサンダルから採取したDNAと、凶器から採取したDNAは必ず一致する。

 そうなれば、言い逃れが出来なくなる。

 何としても止めたい。あれは、間違いだったと回収したいが、今、ドアを開ければ、余計に厄介なことになる気がした。

「あなたは、決して犯した罪から逃れられません。私が、必ず裁きを受けさせます」

 予言めいたことを言い残して、阿久津の靴音が遠ざかって行くのが聞こえた。

 これは拙いことになった。

 逮捕は時間の問題だろう。こうなったら、すぐにでも逃亡を図った方がいいかもしれない。

 窓から外を見ると、アパートの前の道路に阿久津が立っているのが見えた。

 いや、彼だけではない。確認できるだけで、四人ほどの刑事がアパートを取り囲んでいる状態だ。

 これでは、逃亡どころか外出することすら困難だ。

 だが、まだ万策尽きた訳ではない。

 おれには、まだ逃げ道がある。とっておきの切り札だ。

 携帯電話を取り出すと、登録されている番号に電話をかけた――。

<何の用だ?>

 電話に出た男は、不機嫌に告げた。

 まるで、おれの存在そのものを嫌悪しているかのような態度だ。だが、どんなに拒絶しようが、この男は血の呪縛から逃れることはできない。

「そんな態度を取っていいのか? 秘密を暴露されたら困るのは、あんたの方だろ」

 露骨に舌打ちをされた。よくそんな態度が取れるものだと思う。

 己の野心を満たす為に、大物政治家の娘と結婚したくせに、欲望を抑えられずに愛人を作って子どもを産ませた。

 その子どもがおれだ。

 現在、内閣官房長官という職に就く男にとって、隠し子であるおれの存在は、いつ爆発するとも分からない爆弾なのだ。

<金なら振り込んでおく>

 冷ややかに言って、男は電話を切ろうとしたが、おれはそれを繋ぎ止めた。

「金じゃない。少し助けて欲しい」

<また問題を起こしたのか。自分の尻くらい、自分で拭え>

「ずいぶん、冷たいじゃないか。本当に、それでいいのか?」

<何が言いたい?>

「何日か前に、河川敷で女の子の死体が発見された事件を知っているか?」

<お前、まさか……>

 察しがよくて助かる。

「そうだよ。あの事件の犯人はおれだ。もし捕まると、隠し子の存在がバレるだけじゃ済まない。あんたは、殺人犯の父親になるんだ――」

 口にしながら、自分でもおかしくなってきた。

 人生とは、実に面白い。

 母が生きていたときは、貧しい暮らしを強いられていた。自分の人生に希望も持てず、地面を這いつくばるしかなかった。

 自分の境遇を呪いもした。

 だが、母が死に、その遺品を整理しているときに、自分の出生の秘密を知った。

 そこから人生は一気に逆転した。

 今は、血縁上の父親である男から、定期的に金が振り込まれる。働く必要もなく、好きなことだけをして、悠々自適な暮らしができている。

 それだけではない。多少の問題を起こしても、父親がその権力を総動員して揉み消してくれる。

 前回の事件が不起訴処分になったように――。

 そこに罪悪感を抱くことはない。これまで、おれは何もしてもらえなかった。それくらい当然だと思う。

 これから先も、この男が死ぬまで搾り取ってやる。

     4

 この前とはうって変わって、晴れやかな気持ちで、夜のテレビのニュースを見ていた。

 警察が、DNA鑑定に回す直前の証拠品のナイフを紛失した――という内容のものだった。

 これで、警察は自分に繋がる証拠を失ったことになる。

 思わず笑いが漏れた。

 警察のミスで証拠品が紛失した訳ではない。あの男の指示により、誰かが動き、証拠品の紛失という結果をもたらしたのだろう。

 これで、証拠はなくなった。

 たとえこの先、新しい証拠が出たとしても、またあの男に揉み消してもらえばいい。

 まだまだ自由に遊べる。

 正直、少女を一人殺しただけでは物足りない。ほとぼりが冷めたら、また新たな少女を誘拐して、色々と実験してみよう。

 リモコンでテレビのスイッチを切る。

 風呂に入る気はしない。今日はもう寝よう。部屋の電気のスイッチを切り、ベッドに潜り込んだ。

 今日は、いい夢が見られそうだ。

 うつらうつらとし始めたところで、玄関の方から物音がした。

 ――何だ?

 身体を起こしてみたが、暗くて何も見えない。

 だが、その暗がりの中に、何か――いや誰かがいるような気がした。ドアの鍵は閉めておいたはずだ。

 誰かが部屋に入って来ることはないはずなのに、不気味な影が蠢いているような気がする。

 再び眠りに就こうと思ったが、どうにも気になってしまう。

 何も無いことを確認すれば眠れるだろう。ベッドから起き出し、部屋の電気を点け、玄関の前まで足を運び確認してみる。

 やはり思い違いだったようだ。

 振り返ってベッドに戻ろうとしたとき、その進路を塞ぐように、目の前に何かがた立ち塞がった。

 一人の男だった――。

 見覚えのある男。おれに付きまとっていた刑事、阿久津だった。

「お、お前! ど、どっから……」

 叫ぼうとしたが、黒い皮の手袋を嵌めた阿久津の手が、おれの口を塞いでしまった。

「言ったはずです。あなたを必ず裁く――と」

 ――何を言っている?

 証拠はなくなった。裁くことはできないはずだ。そもそも、勝手に家の中に入ってくるなんて、違法捜査だ。

 主張しようとしたが、口を塞がれていて言葉にならない。

「あなたが法の目を逃れるなら、私自身が法となって、あなたを裁きます」

 そう言った阿久津の顔は――まるで悪魔のようだった。

 それを見て、ようやく悟った。

 きっと、これから、おれは阿久津に――いや悪魔に殺されるのだろう。

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