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夢の中の微熱


#創作大賞2024 #恋愛小説

「もう一度、あの頃に戻ってやり直したい」、誰もが一度は思ったことがあるはずだ。あの時、こう言っていたら、あの時、こうしていれば、あの時・・・。


残念ながら人生に、「たら、れば」がないことを、分かってはいるが、最近は何気なく、あの頃に戻ってやり直したい、という想いが、虚無に包まれたシャボン玉のように、浮かんでは消える。


 


 青春と呼ばれる時代から三十年近くが過ぎ、いわゆる「不惑」と呼ばれる齢を順調に重ねてきた。社会に出て年を重ねるにつれ、余裕や自信を身に着けてきたが、内面はいまだに発想や思考が、幼稚でくだらなく、精神年齢は、青春時代と大して変わらないように思える。


第二次ベビーブームの最中に生まれた俺は、受験や就職活動で、否応なく厳しい競争に晒された。今の会社への就職も、厳しい選抜をくぐり抜けて勝ち取った、就職氷河期に正社員として入社したサラリーマンだ。


会社は、中堅企業として知られ、海外でも事業展開をしている専門商社で、課長職に就いて半年経つが、労働環境に恵まれ、有給休暇を始めとする各種休暇が、容易に取得できる。また、過度な残業もなく、年収も巷の雑誌に興味本位で掲載される、年代別平均年収とほぼ変わらない。


平日は、集中して仕事をこなし、帰宅後は、保育園に通う二人の子どもと一緒に遊び、好きな動画を見て、就寝までゆっくりと寛いで過ごしている。日本の企業戦士としては、全く申し分のない生活を送っていると自負している。


週末は、仕事から完全に離れることができ、自分や家族のために時間を使え、フットサルやサーフィンなどのスポーツもするが、努めて家族と一緒に過ごし、週末のかけがえのない家族との時間に、幸せと生きがいを感じている。


妻は、十歳年下の由香。十二年前に友人に誘われ参加した、NPOが主催するビオトープ作りで知り合い、飼っていた犬の話で意気投合し、二年の交際を経て結婚した。幼く可愛い子どもは、六歳の絢と四歳の美夏。二人とも保育園児だ。お互いを思いやる、優しく温かい家庭を持ち、公私ともに、楽しく幸せな日常生活を過ごしている。


 


 現在は、幸せに満ち充実した生活を過ごしているが、学生時代の俺は、幸福に飢えていた。なぜならば、中学生から大学生までの、いわゆる青春時代に、まともに女性と交際したことが無かったからだ。


四十代となった今では、その頃に女性と交際していることが、青春の全てだとは思わないし、幸せなことだとも思わない。


 むしろ、年を重ねた今では、「家族が病気にならず、事故や事件にもあわず健康で、日々楽しく暮らせること」が本当の幸せだと思う。


しかし、当時の俺はこの当たり前の幸せに気付けず、家族なんてどっちでもいいし、面倒くさいとすら思っていた。そのような考え方しかできなかったため、彼女と過ごす時間を可能な限り沢山持つことが、幸せの全てだと思っている青い若造だった。


 


青春の一ページでもある高校時代は、サッカー部に所属し、下手くそながらも、大好きなサッカーにのめり込んだ。全国大会に出場したことのある、輝かしい経歴を持つ同級生が何人も居たため、レギュラーにはなれなかったが、ハードな練習のおかげで、精神的にも肉体的にも強くなった。


また、高校一年時のクラスメイトと非常に仲が良く、夜中の小学校の真っ暗な校庭で、男女混合の二チームに分かれ、連発花火で相手チームを攻撃するという、危険な花火大会を行ったり、俺の親が旅行に出掛け家を空けた隙を狙い、その仲間と自宅でパーティーを開催し、夜が明けるまで飲み語らったりするなど、青春を謳歌していた。


そのため高校時代は、彼女が居ないなりにも楽しく、また、生徒の中で交際している男女の比率が極めて低かったこともあり、彼女がいないことを深刻に思い悩むことはなかった。


 


青春時代の恋愛を振り返ると、自慢ではないが、一番長く続いた彼女は大学時代に付き合った女性で、交際期間は二か月半、たったの二か月半である。しかも、一緒に過ごした期間は僅か三週間程度だ。


なぜ短命に終わってしまったかというと、付き合い始めて約一か月後に、俺が遠く離れた地元の自動車学校に通学したため、大学の長い冬休みの間、彼女を独りぼっちにしてしまったからだ。


俺が地元ではなく、大学傍の自動車学校に通っていれば、結果は違っただろう。このように、俺の青春時代を振り返ると、必ず「後悔」という二文字が付いて回る。


今思うと、沢山の出会いがあった大学時代に、現在持ち合わせている心の余裕と自信があれば、もっと上手く立ち回れていたはずだ。


もう一度、あの頃に戻ってやり直せれば、思い出よりももっと楽しい大学生活が送れていたのではないだろうか。友達が彼女とイルミネーションを見に出掛けたり、ショッピングをしたり、クリスマスデートを楽しんでいる中、一人寂しくバイトをしなくても良かったのではないか。俺もクリスマスデートを楽しめたのではないか。と思うことが時々ある。


何気なく、大学時代の写真を目にした時や、その頃流行った音楽や小説に触れる度に、その思いが強くなり、最近ではふとしたきっかけで、あの頃に戻ってやり直せたら、このように行動しているのに、と思うことが増えている。無意識か意識的かは分からないが、これが歳をとると言うことなのだろう。


 


 


 ある冬の日、美夏がインフルエンザにかかり、保育園を休むことになった。俺は休暇を取得するため、会社に連絡した。上司からは、


「お子さん大丈夫かね?傍にいて面倒を見てあげなさい」と配慮いただき、


「今日と明日休めば、大丈夫だと思います。お気遣いありがとうございます」と、丁寧に答え電話を切った。


友人の会社では、同じように休暇を取ろうとすると、必ず上司から嫌味を言われるそうだ。今の職場環境に改めて感謝し、今日一日子どもの面倒を見ることにした。美夏は高熱が出ているにも関わらず、折り紙とのりを使って、器用にちぎり絵をしている。


子どもは本当に元気だ。「子どもは風の子」とはよく言ったもので、多少の熱では動じない。それに反して俺は体が弱く、風邪をひいても熱が出ず、治りが遅い体質持ちなので、子どもの体が羨ましく思う。おそらく、丈夫な由香のDNAを受け継いだのだろう。


昼食は、美夏の大好物であるカレーライスの甘口を作った。二人で一緒に、


「いただきます」と言うと、美夏はにっこりしながら、一皿ペロッと食べ、


「おいしい。おかわり」と言った。このような他愛のないやり取りに、大きな幸せを感じる。


食べながら、保育園での出来事を聞き、後片付けを終えると、添い寝をしながら、たっぷりと昼寝をさせた。沢山昼食を食べ、昼寝も十分に取れたからか、夕方になると熱は平熱に下がった。


時計を見ると午後六時。そろそろ由香が帰って来る。美夏もママが帰って来る時間を知っているので、玄関で由香の帰りを待ち始めた。すると、一、二分で由香が仕事から帰って来た。美夏は帰って来るなり由香にべったり張り付いて、


「だっこ」と甘え始めた。


「美夏、熱は?」と由香が聞くと、


「だいじょうぶだよ」と美夏が応える。


「おかえり、平熱まで下がったよ」と俺が付け足す。


やれやれ、俺の仕事はここまでだな。長い任務から開放され、疲れからソファーに転がりこんだ。しばらくすると


「ごはんだよ」と絢が呼びに来てくれた。どうやら三十分程寝ていたらしい。起きるとなんだか頭が痛い。その時は疲れのせいだと思った。


 


由香の作る料理は、いつも美味しい。俺は一人暮らしが長かったこともあり、料理が得意である。分厚い料理本に書いてある料理を、全部制覇したこともあるし、学生時代にお金がない時は、玉ねぎを上手く調味して炒め、ごはんに乗せて食べる、安くて美味しい、オニオンライスを考案し、それで仕送り日までやりくりしたこともある。


だが、由香は安い食材同士を上手に組み合わせ、とても美味しい料理を作る。その点、俺は創造力に乏しく、決まり切った食材でしか美味しい料理を作られない。この違いが男の料理と主婦の料理の違いなのかもしれない。


その日の副菜は、シーチキンとキャベツの味噌ドレッシング和えだった。普段なら味付けが美味しく、食感のいいこの一皿をパクパク食べるのだが、頭痛のせいかあまり箸が進まず、珍しく夕飯を半分も残した。


「亮ちゃん大丈夫?」由香が心配した。


「うん、ちょっと体調が良くないから早く寝るね。ぐっすり寝れば、良くなると思うよ」そう言うと、二階の寝室へ行き、布団に包まって休んだ。


直ぐに横になったため、しばらく消化不良でお腹がグーグー鳴っていたが、一時間ほど経ったら落ち着いて来た。温まってから寝ようと、浴室に行き、浴槽にバスソルトを入れ、湯船に肩まで浸かった。体調が悪いせいか、長く入っていられなかったので、素早く上がり着替え、体が温かい内に、布団に潜り込んだ。


普段は風呂上がりに、アンチエイジングのためフェイスケアをするが、今日は余裕がなかった。一日ぐらいやらなくても、変わらないだろう。年齢を重ねてからは、あまり細かいことに、拘らなくなっていた。布団に包まり気が付くと、深い眠りに落ちていた。


 


 翌朝起きると、頭痛と怠さそして熱があった。一人暮らしの頃から使っている、年季の入った水銀式体温計で、体温を測ると三十九度もある。普段熱が出ない体質なので、滅多に出ない数値にびっくりした。予測式より正確な実測式の体温計なので、信用できる数値だと思う。(美夏のインフルエンザをもらってしまったな)直ぐに会社へ電話をし、


「熱があるので、医者に行ってから出勤します」と伝えた。


近所にある病院まで車で五分。たった五分の運転が、凄く辛い。体の節々が痛み始めたことと、高熱で朦朧としているせいで、運転をしているという実感がない。


なんとか病院に着き、検温後インフルエンザの検査をお願いした。診察を受ける前に、鼻の奥から検体を採取すると、五分で陽性か陰性かが分かるそうだ。医学の進歩は凄い。それにしてもだるい。ボーッとしながら結果を待つと、検査をしてくれた看護師さんが戻って来た。


「陽性ですね」と言った。やはりインフルエンザだった。普段滅多に高熱が出ないので、そうとは思っていたが。その後診察を受けると、


「他の人に移すと困るので、一週間仕事を休んで、自宅で休養して下さい。外出などもせずに、ウイルスを拡散させないよう、努めて下さい」と医者に言われ、院外薬局で薬を処方された。


 一週間も会社を休まなくていけない。薬局から会社に電話し、インフルエンザに感染したことを伝え、部下への指示や上司への連絡、社会人の常識である、いわゆる「ほうれんそう」を三十分かけて行った。上司から、ゆっくり休むよう指示を受け、一週間休むことになった。


病院から辛うじて家に帰り、由香にSNSで、インフルエンザにかかったことや、会社を一週間休むこと、家の中で隔離して生活することなどを伝えた。同じくインフルエンザの美夏は、もう熱が出なくなったので、近隣の由香の実家で面倒を見てもらっていると由香が返事で伝えてきた。


無事帰宅し、少し安心した俺は、部屋を暖かくして、ルームウェアに着替えた。薬はすぐに効き、熱が下がると聞いている。インフルエンザなんて、小学校の頃に一度しか感染したことがない。胃の中に何か入れておかないと、薬で胃が荒れると思い、お湯を沸かし、カップスープを飲んでからタミフルを服用した。


速く薬が効くことを祈りつつ、寝室に行き、布団を沢山掛けて寝た。どれぐらい眠ったかは分からないが、高熱を出していることもあり、かなりグッスリと寝ていたと思う。


 


 


翌朝遅くに、やっと目が覚めた。時刻を見ようと、壁に掛けてある電波時計に視線を移すが、いつもの場所に時計がない。ぼんやり天井を眺めると、壁紙が違う。家を建てる時、寝室の天井に貼る壁紙の模様に悩み、結果、木目にした経緯があるので、寝室の天井事情には詳しい。目に入って来る天井は、白地に等間隔で太い白線が走っている。(何となく見覚えがあるなぁ)布団からゆっくり起きて、周りを見回す。「自分の家ではない」どう見ても、ワンルームと思われる、学生が住むような間取りの部屋だ。


寝具も、いつもの分厚いマットレスではなく、パイプベッドに蒼い敷布団と、タオルケットが敷かれていた。室内には、ブラウン管のテレビや一時期流行った、重低音が売りのCDラジカセと黒い机、本棚が置いてある。


「CDラジカセなんて、今時使っている奴いるのかよ」と呟きながら、更に部屋中をよく見まわしてみる。俺が大学一、二年の頃に住んでいた、横浜市内にあるアパートの部屋にそっくりだ。


嫌な予感がして、慌ててカレンダーを探し始めた。部屋にもキッチンにもなく、本棚の周りを物色すると、学生時代に使っていた、黒い牛革のシステム手帳が出て来た。


この時、インフルエンザにかかっているにも関わらず、何故か身体が軽い気がした。システム手帳を広げると、ウイークリーカレンダーがあり、日付は一九九四年となっていた。(今年は二〇二三年だよね。このリフィールは何だろう?)と思いながら、様々な情報を得るには、テレビを付けるのが一番だということに気付いた。


現代に比べ、やけに太く長いリモコンを押し、テレビを付けると、フジテレビでは、笑っていいともを放送していた。タモリが若い。(笑っていいとも?笑っていいともは終了して、別の番組に変わっているはず)


明石家さんまが、タモリと二人でトークをする、笑っていいともの名物コーナーが始まり、そのまましばらく見ていると、エンディングで出演者が勢揃いした。いいとも青年隊が若く、全員がバブル期の名残を感じさせるような服装や、メイクをしている。特に太い女性の眉毛が特徴的だった。テレビから分かったことは、今日は金曜日。しかも一九九四年、三十年近く前の金曜日だ。


 


ここまで状況が揃ったら嫌でも分かる。先程から思っていたが、身体もインフルエンザとは思えないぐらい軽く、頭痛や倦怠感も無い。四十代では実感できないほど、生命がみなぎると言えばいいのか、幾らでも形容できるが、一言でいうと若さに満ち溢れていた。


この部屋のトイレに鏡があったことを思い出し、急いで鏡を見てみる。ほっそりとした体に鋭い目付き、白髪の無い真っ黒な髪の毛。当時お気に入りだった紺のTシャツと、グレーの短パンを着ていた。


鏡の前の俺は、十九歳当時の俺だった。記憶や精神面などはそのままに、タイムスリップして来たのだ。


(バック・トゥー・ザ・フューチャーのように、タイムスリップって前振りがないのかよ)


 


 この世では、いつ何が起こるか分からない、と常々思っている俺は、常に冷静だ。もちろん、タイムスリップしてしまった今も。


たしか、台所の戸棚に当時はティーバックをストックしていたはずだ。やかんで沸かしたお湯に、リプトンのティーバックを入れ、紅茶を飲みながらゆっくりと考える。


どうやったら元の時代に戻れるのか。それが分かるまでは、十九の俺として生活してなくてはならない。周囲に本当のことがばれると、SF小説にしつこいほど出てくる、「時空のゆがみ」とやらで、未来が変わってしまうかも知れない。


物理の方式や、数学の公式などは直ぐに忘れるが、記憶力には絶対の自信を誇る俺にとって、当時の記憶など、一生懸命頭を捻って思い出すまでもなく、今でも鮮明に覚えていた。だから、友人への立ち回りについてはおそらく問題は無いだろう。ただ、大学の講義の時間割や、テスト日程などは、学生だった当時から良く覚えていなくて、一度テストを寝過ごして受験しなかったこともあり、全く自信は無い。(そういえば)その時の対処法を思い出した。


 


テストを寝過ごす学生は沢山居るので、救済措置がある。そのようなヘマをした場合、医者に行き適当に診断書を書いてもらう。次にその診断書を大学の窓口に出す。診断書は公文書のため、正式に受理され、問題なく追試を受けることができる。


こういった救済措置が、「学生の間で」きちんと用意されていた。公式に用意されている訳ではない。当時の学生の大多数が、生ぬるい大学生活を送っており、俺も当然ながらその一員だった。そのため、大学を卒業し、社会人になった一年目は、世の中の厳しさを嫌と言うほど味わった。


 


 今日は、一九九四年の何月何日なのか、確認することにした。この時代には、学生が使えるような安価な携帯電話は無く、当然インターネットに繋がるパソコンも無い。スマホという当時で言うと、青い猫型ロボットが、ポケットから出してくれるような、便利な代物もなかった。しばし物思いに浸っている間に、笑っていいともが終わった。


チャンネルをNHKに変えると、午後一時のニュースが始まった。ニュースは冒頭から日時を教えてくれる。


「七月十六日金曜日、午後の一時のニュースをお伝えします」とアナウンサーが伝えた。大学時代の記憶をたどってみると、七月下旬までは前期のテスト期間だ。今日が七月十六日ということは、今はテスト期間の真最中ということになる。慌てて机の上に置いてある雑多な紙の中から、テストの実施日程表を見付けた。今日は四限、つまり午後三時からのテストが一つあった。


テレビを付けたままシャワーを浴び、新しい服に着替えて、再びテレビに表示される時刻を見ると、四限まではあと一時間半もあった。とにかく今は、テスト勉強をしなくていけない。(直ぐに現代に戻れれば、単位なんてどうでもいい。でもしばらく戻れないとなると、やることをやっておかないとまずいな)


我々のような不真面目な大多数の学生が行うテスト勉強は、講義を最前列で聞いている、一部の真面目な学生(通称まじめくん)が書きとった、ノートのコピーのそのまたコピーを、大学生協で行列を作って、A3からB5まで、様々な大きさでコピーし、その内容を頭に叩き込むことだった。テストで一番大変なのは、大学生協でのコピーの順番待ちと暗記。その頃の大多数の学生は、そうやってテストを凌いでいた。


机に向かい、集中してノートのコピーを暗記し、ひと通り内容が頭に入ったところで時計を見ると、二時三十分だった。急いでキャンパスに向かう。部屋を出る前に、手帳で今日の予定を確認すると、十九時バイトと書いてあった。


 


 アパートの部屋から外に出ると、盛夏一歩手前の日差しと、熱気にゲンナリした。まだ梅雨明けしていないので、当然ながら蒸し暑い。


アパートからキャンパスまでは歩いて十分。キャンパスが高い丘の上にあったため、その内五分間は、斜度がきつい坂を上らなくてはいけなかった。住んでいるアパートは、エアコン完備で築十一年。ベランダからは、夜に星が見え日によっては、風に乗って近所の牛舎の匂いがした。住宅地に僅かに残された現風景の中に建ち、非常に条件のいいアパートだったが、唯一の難点は通学だった。


ふと思い出した。右も左も分からず入学したばかりの頃は、この道を真面目に歩いて通っていた。しかし、大学生活に慣れ二年になると、友達から原付バイクを安く譲ってもらい、その後は通学を始め、主な移動手段がバイクに変わった。バイクは風を切って走り、キャンパスまでの通学は、非常に快適なものへと変わっていった。


駐輪所を見ると、ヤマハの原付が置いてある。(そうだった、原付で通えばいいじゃんか)早速部屋へ戻り、キーを探すと本棚の脇に掛けてあった。駐輪所に戻り、エンジンをかけ、スロットルを回すと、静かなエンジン音と共に、原付が滑り出していく。風を切りながら走る内に、ジトっとした背中の汗が渇いていった。


 約二、三分でキャンパスに着くと、大学の顔である正門ではなく、一人暮らしの学生が多く住む、アパート街への抜け道となっている、いつもの小道を歩いて、キャンパスのメインストリートに出る。メインストリートは広く長く、正門から一番奥まで五百メートルあった。


テスト会場は、メインストリートの突き当たり右手にある5号館。三十年ぶりに会う、同じ経済学部経済学科の友達と、あの頃と変わらぬよう接することができるか。不安と緊張で心臓が飛び出しそうだったが、平然と接するしかない。友達は5号館の505号室に先に来て着席していた。俺を見て手を振ってきたので、俺も手を振り返し、友達が確保してくれた席に座る。


「亮介、遅かったじゃん」懐かしい呼び名だ。


俺は、大学二年頃までは苗字ではなく、名前で呼ばれていた。これまで親以外の人から、名前で呼ばれることは無く新鮮で、これが首都圏でのスタンダードなのだと思った。親元を離れて、新生活を始めた俺にとって、一種のカルチャーショックだった。


「悪い、寝坊して、暗記に必死だった」と謝ると、そうだろうという顔をして皆が笑った。(よし大丈夫だなこの調子だ)杞憂はすぐに吹き飛んだ。この感触なら、バレずにすみそうだ。


テストが始まるまでの間は、テストの話で持ちきりだった。友達も俺と同じで、日頃から勉強をしていない。ごく一部を除いた大多数の学生は、テスト前のドキドキ感が半端ではない。ノートのコピーに書いていない問題が出たらどうしようかと。


テストが始まった。おおよそ暗記した内容と同じ問題が出たので、見直しを含め、時間をフルに使って、テストを終わらせ、友達と談笑しながら5号館から出ると、誰かが俺の名前を呼ぶのが聞こえた。友達に手を挙げて、「また来週」と伝えると、声のする方に向かって歩いた。


「テスト終わった?どうだった?」そう問いかけてくる声の主とすぐに目が合い、ハッと気付いた。「神田美香子」だ。


 


彼女は、今年の五月に開催された、倫理学の特別合宿中に知り合った、同い年の女性で、国際学部国際学科の一年。アメリカ帰りの帰国子女だった。経済学部二年の俺の方が先輩だったが、知り合って直ぐに敬語からタメ口で話す仲になった。


「うーん、まあまあかな。単位に問題は無いと思うけど」メインストリートの中央にある、テラスに向かって一緒に歩き出した。


 彼女のことは、今でも鮮明に覚えている。合宿中のグループ分けで初めて見た時は、髪をアップにし、白いシャツを着て、ベージュのタイトなパンツを履いていた。シャツをパンツの外に出す、ラフなスタイルで着こなし、清楚で素敵な女性だと思った。


合宿中の会話で、他にも同じ講義を受けていることが分かり、合宿後もランチを一緒に食べ、講義を抜け出して、江ノ島に遊びに行くなど、少しずつ距離を詰め、付き合う一歩手前まで行った女性だ。忘れるはずなどない。しかし当時の俺は、人生で初めて付き合った彼女のことを完全に忘れ去ることができず、神田美香子と付き合いたいという願望があったにも関わらず、本気で付き合うための行動を、起こすことができなかった。


 


 


俺は、一九九四年三月に佐々木祐美に振られた。大学に入学したばかりの四月上旬、たまたま最初に加入した、スキーサークルの新入生歓迎コンパ、略して新歓コンパの会場で、偶然同席となった高校の同級生、それが佐々木祐美だった。まさか同じ高校から同じ大学に進学し、同じサークルに所属したとは夢にも思わず、


「佐々木さんだよね?」


「亮介くんだよね?」


「この大学に入っていたんだ?」


「亮介くんは、推薦入学だったっけ?」とお互いの身元確認をし、驚いていたが、高校の同級生ということから、すぐに打ち解けた。


当時俺達が通っていた高校は、第二次ベビーブーム世代のため、一学年にクラスが九つあった。一クラスに学生が四十五名程度いて一学年で約四百人。多数の学生を抱える高校だったため、二人とも高校時代の接点は皆無だった。


お互い顔と名前は知っていたが、俺は、彼女がバスケットボール部に所属し、背が高く色白で美人なこと。彼女は、俺がサッカー部に所属していること。その程度の認識しかなかった。しかし俺は、新歓コンパで出逢った時、「三つの共通点」という偶然に、少しだけ運命を感じていた。


新歓コンパから夏前までは、友人達と一緒に飲みに行くなどして、仲良く接していた。お互い最初に入ったスキーサークルを直ぐに辞めた後、俺はサッカーサークルを友達と立ち上げ、彼女はアメリカン・フットボールサークルのマネージャーになっていた。お互い、初めて迎える大都会での夏を、謳歌していたこと、サークル活動が忙しくなってきたことから、次第に連絡を取り合わなくなっていた。


 


季節は過ぎ十一月、都内の大学に進学していた同じ高校のサッカー部仲間、坂上武が泊りがけで俺のアパートに遊びに来た。疎遠になっていたが、せっかくだからと、同級生の祐美に、


「サッカー部の坂上武が泊りがけで来ているから、遊びに来ない?」と電話をかけた。


「坂上武くんもいるの?私、話したことがないけど・・・。わかった、今から行くね」と言い、三十分後に部屋のチャイムが鳴った。


「いらっしゃい」


「遅くなってごめんね。いろいろと準備していたら、時間が経って」大学に入り、女性は支度に時間のかかる生き物だと、分かり始めた頃だったので気にもしなかった。


「どうぞ」と、久しぶりに祐美をアパートに招き入れた。武と祐美は初対面だったが、親元を離れ大学に進学し、それぞれ自由を満喫している者同士、気軽に何でも話すことができた。俺も祐美も夏に恋をしたが、すでに二人とも終わってしまったこと、武はバイトでお金が貯まったら、今乗っている原付バイクを売り払い、SR400という、ヤマハの中型バイクを買うつもりでいることを話した。


若い学生達の話は尽きず、気付くと深夜零時近くになっていたため、俺は祐美をアパートまで送った。十分程で戻って来ると武が聞いてきた。


「亮介は、佐々木さんのこと、どう思っているの?」


「綺麗で背が高くて、いい人だと思うよ」


「おまえ、付き合う気はないの?」


「『今は、彼氏欲しくない』って言っていたし、同級生だからなぁ」


「ふーん」武はそう言ったきり、もう聞いてこなかった。


 


 その日、久しぶりに会話を楽しんだことが、俺と祐美の距離を近付けた。時々ランチを一緒に食べ、友達を誘って東京ディズニーランドに遊びに行ったり、クリスマスパーティーをしたりして楽しんだ。


更に、お互い年末年始は、実家に帰らず、アパートで過ごす予定だったので、俺のアパートの隣にある神社で二年参りをした後、俺の部屋で一緒に年越しもした。


新年が明け、一九九四年一月になり、二人で横浜に買い物に出かけた時、やっと俺は気付いた。無印良品でコートを眺めている彼女、HMVで好きな洋楽を視聴している祐美。様々な表情を見せ彼女が、キラキラと輝いて見えた。前々から想っていた祐美への好意が、実は恋愛感情であることに気付いた。


俺は、そのような素振りを一切見せず、買い物を終えて、一緒にJR東海道線で最寄り駅まで移動し、駅のバスロータリーで、何気なく市営バスを待っていた。


隣に立っている祐美が、周りを気にしながら、ふいに俺の耳元で告げた。


「最近、夜中になると電話が鳴るの。出ても、向こうは何も喋らなくて、怖いの」


「警察に言った方がいいんじゃないの?」


「公衆電話から掛けてくるの。だから、相手の特定が難しいと思うし、話を大きくしたくないの」


「分かった。しばらく様子を見て、それでも掛かってくるようなら、教えてね」


「うん。ありがとう」一緒にバスに乗り、祐美をアパートまで送ってから帰った。(気持ち悪いな。彼女に何もなければいいけど・・・)


 


 一九九四年一月十日の夜、今夜も祐美と、何気なく電話で会話をしていた。


「ごめんね。ちょっといい?」


「うん。どうした?」


「昨夜も、例の電話が鳴ったの。怖くて」


「今夜も鳴りそう?」


「分からないけど、怖いの」


「じゃあ、俺がこれから佐々木さんのアパートに行くよ。電話が鳴ったら、俺が彼氏だって言って、追い払ってやる」


「いいの?迷惑じゃない?」


「全然、気にしなくていいから。気持ち悪いじゃんか」


「ありがとう。何時頃に来られる?」


「今から十分後には行くから」


「ありがとう、待っている。じゃあね」電話を切ると最低限の支度をし、心の準備をした。これから彼女の部屋に行ったら告白しよう。恋愛感情のまま終わらせたくない、祐美と付き合いたい、ずっと好きだったと伝えたい。


俺は自転車で祐美の部屋へと向かった。


「ごめんね、遅くに。ありがとう」彼女は俺を部屋へ招きながら言った。部屋は、以前来た時と雰囲気が違った。模様替えしたようで、変わった部屋には、彼女のセンスの良さが光っていた。


こたつに座ると、祐美の不安をかき消すために、バイト先で起こった面白い出来事や、高校時代の失敗談をしたが、胸が高鳴っていて、何を話したのか全く覚えていない。俺にとって、無言電話男の撃退はどうでも良く、「如何に告白を成功させるか」に全神経を集中させていた。


 他愛のない話を一時間ほど続けてから、俺は意を決した。こたつに入っている祐美を後ろから抱きしめ、


「ずっと前から、佐々木さんが好きだった」と精一杯、声を絞り出して告げた。


「亮介くん、最近、私と一緒に居るから、そう思うだけだよ」


「違う。武が来た時も、ディズニーランドに行った時も、クリスマスパーティーの時も、ずっと佐々木さんだけを見ていた」


「同じ高校出身だから、話し易いだけだって」


「そうかもしれないけど、俺は、佐々木さんが好きだ。あの時、サークルで偶然出会った時から、運命を感じていたんだ、好きで好きで仕方ない」と言うと、祐美は何も言わなくなった。


俺は我慢が出来なくなり、彼女の顔を引き寄せキスをした。祐美は抵抗もせず、何も言わなかったので、そのまましばらくキスを続けた。


「抱きしめたい。ベッドに入ろうよ」


「恥ずかしい・・・。でも、いいよ」部屋の電気を消し、抱き締め合いながらキスをした。


「キスだけだからね」と祐美に釘を刺された。


「プルルルルル プルルルルル プルルルルル」その時、電話のベルが鳴った。時刻は午前零時過ぎだった。


「俺、出るね」


「いいの、このままでいて」


「でも、せっかく来ているんだから」


「いいの。傍にいて欲しいの」


「わかった」電話は十五回ほど鳴ってから切れた。その後も、五分おきに二回程鳴ったが、俺は、祐美を抱きしめ、彼女の髪を優しく撫でながら、電話のベルを遠い国の出来事のように聞いていた。


「キス以上のことをしてもいいかな?我慢できないよ」


「えっ、うん。恥ずかしいけど・・・いいよ」嬉しかった。祐美は、既に経験しているようだったが、俺にとっては、生まれて初めてのセックスだった。上手に彼女を抱くことは出来なかったが、お互いの気持ちを強く結び付けることができた気がした。その後二日間は、着替えのために自分の部屋へ一回だけ戻り、それ以外の時間は祐美の部屋で彼女を抱き、眠くなったら抱き合いながら寝るという日を過ごした。


 


 その日から、俺達は交際し半同棲生活を始めた。祐美は、東急東横線の菊名駅前にある、叔母の営む居酒屋で、バイトをしていたため、帰宅が夜の零時近くになる。若い女性の一人歩きが怖かったことと、少しでも一緒に居る時間を作りたかったため、自転車で最寄り駅まで彼女を迎えに行っていた。


祐美が改札から出て来ると、バイト中にお酒を飲み、軽く酔っ払った彼女と手を繋ぎながら、駅の階段を降りた。自転車を俺が押し、その脇を酔っぱらった祐美が歩く。テンションの高い彼女のトークに笑いながら、俺のアパートまで帰った。


部屋に戻ると、祐美はシャワーを浴び、俺のスウェットとクライミングパンツを、パジャマ代わりに着てそのまま泊り、翌朝になると、自分のアパートに帰ってから、大学に通った。しかし、この甘い生活もそう長くは続かなかった。


 


俺は祐美と付き合う前に、冬休みの間、自動車の運転免許を取るため、実家のある佐渡が島で、教習所に通うことを決めていた。祐美と付き合うことになり慌てて、


「今年の夏休みまで延期できない?」と親に頼んだが、同じ集落の教官に既に頼んであることから、


「無理だ」とあっさり断られた。当たり前だ、そこまでこの世の中は甘くない。


いつものように、祐美と部屋で寛いでいる時に、偶然、佐渡が島の話になった。すると突然、彼女が方言交じりで泣き始めた。


「亮介くんがいなくなったら、私どうせばいいの?ねえ、どうせばいいの?」


「二月四日から一か月で帰ってくるから。たったの一か月だよ」直ぐに祐美の頭を撫でながら言った。


「でも一か月もあるんだよ」


「あっという間だよ。本当に頑張って直ぐに帰ってくるから」


「お願い、絶対に早く帰って来てね」祐美はそう言うと黙りこんだ。俺は、その夜彼女を抱くことが出来ず、細く狭いパイプベットの上で、祐美をきつく抱きしめた。


翌朝以降、彼女は俺が実家に帰る日まで、努めて明るく振る舞ってくれた。そして実家に帰る二月四日の朝、俺は沢山の荷物をボストンバックに積め、


「行って来るね。絶対早く帰って来るから」


「いってらっしゃい」と玄関でお別れのキスをして手を振り、部屋の扉を閉めた。扉は「ギー、バッタン」という、いつになく重く圧し掛かるような音がした。


 


 一路、佐渡が島へ向けて移動した。東海道線を終点の東京駅で降りて、上越新幹線に乗り継ぎ、二時間半で新潟駅に着いた。新潟駅から佐渡汽船新潟港まではバスを利用し、新潟港から、また二時間半カーフェリーに揺られないと、佐渡が島へは辿り着けない。


冬の日本海は大いに荒れる。その日も例に漏れず、波高が四メートルもあり、船酔いするほど揺れた。大きく揺れる時は、必ず船底に波が当たり、「ドーン」いう大きな音がする。冬の荒れた夜の航海、乗客を不安にさせる嫌な音が鳴り響いた。


時化で二十分遅れ、佐渡汽船両津港に着くと、母親が迎えに出ていた。


「揺れただろう?」


「揺れた。酔ったよ」


「昨日の方がもっと揺れたって」


「ふーん、昨日じゃなくて良かったわ」


親と他愛のないやり取りをしている間に実家に着いた。


俺が高校を卒業すると同時に、父親は単身赴任になり、母親と小学生の弟が、祖母のいる実家に引っ越した。俺は、小学一年生の時に、父親の異動で佐渡に来て、小学校卒業まで、実家で暮らしたことがあった。(ここで約一か月過ごすのか。何もないから暇しそうだな)着いてすぐに祐美に電話をした。


「もしもし。佐渡に着いたよ」


「船、大丈夫だった?」


「凄く揺れた。船底が『ドーン』って大きく鳴ったよ」


「疲れたと思うから、今日はゆっくり休んでね」


「ありがとう、ゆっくり休むよ。おやすみなさい」


「おやすみなさい」電話を切ると、教習所の書類に一通り目を通してから寝た。


 当日こそ緊張したものの、自動車学校と実家を往復する日々にすぐ慣れた。四月から東京の短大に通うという、女子高生とも仲良くなり、また、教習所の傍にある図書館で、空き時間を有意義に過ごせたため、冬の佐渡が島での生活は、思っていたよりも居心地が良かった。だが、教習では想定外のことが起こった。


この時期は田舎とはいえ、進学や就職が決まった、高校三年生の多くが、教習所に通い、学科の単位は簡単に取れたものの、生徒数に比べ教官と実習車が圧倒的に少ないこともあり、路上教習の空きが無く、空車待ちの日々が続いた。(このままだと早くても、祐美の元に帰ることができるのは、三月下旬だな。何とか急がないと)


俺は教官に頼んで、土日返上で路上教習を行ってもらうなど、様々な手段を尽くした。教習中も、祐美とは週に二回ほど電話でやり取りをしていた。ある日祐美が弾んだ声で、


「冬休みに、実家に帰ろうと思うんだ」


「いつ?」


「三月の初旬にしようかな?」


「親も喜ぶよ」


「亮介くん、新潟市内で逢えるでしょ?」


「あのね。実は言いにくいんだけどさ。今、路上教習が混み合っていて、一日通わないだけで、そっちに帰るのが最悪一週間も遅れそうなんだ」


「それって、逢えないってこと?」


「俺は、早く終わらせて帰り、そっちで祐美に逢うことを優先させたい。ダメかな?」


「それだと、何のために実家に帰るのかわからない・・・」


「ごめんね。一日でも早く帰るから」


「わかった。もういいから」それ以上、彼女は何も言わなかった。散々横浜の俺の部屋で独り待たされ、新潟市内でも逢えないと言われた。「俺が帰る」ことが、祐美の中でゴールになってしまった決定的な瞬間だった。だが、俺はそんなことも知らず、とにかく急いでいた。


 


緊張して行った卒業検定の後、待合室で教官に言われた。


「合格です」予定よりも半月遅い三月十八日だった。(やった、これで晴れて横浜に、祐美の元に帰ることができる)その日の内に、佐渡が島から新潟市に渡り、夜は地元の大学に通う高校のサッカー部仲間の部屋に泊めてもらった。


翌日、友人の車で免許センターまで送迎してもらい、免許証の交付を受け新潟駅まで送ってもらうと、友達に別れを告げ、新潟駅から上越新幹線に飛び乗った。二時間半の移動中、車窓から景色を眺めていたが、美しい風景も、脳裏に焼き付かなかった。


 上越新幹線から東海道線に乗り継ぎ、アッという間にアパートの最寄り駅に着いた。いつもならバスを利用するが、今日はタクシーに乗る。一秒でも一瞬でも早く、君の待つ部屋へ。


「ピンポーン」


「はい」玄関で祐美が返事した。


「ただいま」


「亮介くん、おかえり」玄関に入り抱きしめた後、キスをした。部屋に上がって着替えて寛ぐと、一か月半の間のお互いの生活を話した。俺は色々と話すことがあったが、彼女「特に何もなかった」と言っていた。日付が変わった頃、久しぶりに祐美を抱いた。幸せだった。翌朝、以前と変わらぬ様子で帰って行く彼女を見送り、疲れから二度寝をした。


 俺はその翌日から、祐美との間に違和感を覚えるようになった。彼女と電話をしていても、以前とは何か違う感じがする。その違和感を抱えたまま三月二十三日、俺の誕生日、つまり、生まれて初めて、交際している彼女と過ごす、誕生日になった。


恋人同士であれば、当然お祝いをしてくれるだろうと、ワクワクしながら一日を過ごしていた。(どんな風にお祝いをしてくれるのかな)しかし、幾ら時間が過ぎても、電話も鳴らなければ、アパートに彼女が来る気配もない。ワクワクが徐々にイライラに変わった頃、時計の針は午前零時を指し、俺の誕生日は過ぎてしまった。当然、何もなかった理由が聞きたくて、彼女に電話を掛けた。


「もしもし」


「亮介くん?」


「あのさ。今日、俺の誕生日だったんだけど」


「あ、ごめん。忘れていた・・・」


「もういいよ」思わず電話を叩き切った。


 


その時の俺は、一時的な怒りから感情的になっていたものの、例え彼女が誕生日を忘れてしまったとしても、時間が経てば、また元の鞘に収まると思っていた。だからその日からしばらくは、祐美から電話が掛かって来るのを待っていた。俺が怒ってしまい電話を切った以上、俺から電話をかけるのも気が引けた。


しかし、何日待っても、祐美からの電話は鳴らず、業を煮やした俺は、彼女に電話した。


「もしもし」


「あ、亮介くん。どうしたの」


「俺に全然電話をよこさないから」


「亮介くん、怒ると怖いんだもん」


「ごめん、それは謝るよ。ごめん」


「実はね。言いにくいんだけど・・・。私の中では、『亮介くんが帰って来た』ってことで終わっちゃったの。帰って来て帰って来て、ってずっと思っていたから。帰って来たら、それで想いがスッと抜けちゃったの」


「・・・」


「あと秘密にしていたけど、亮介くんがいない間、クリスマスパーティーで一緒になった川崎君と、八景島シーパラダイスに遊びに行ったんだ」


「でも、何もなかったんでしょ?だったらいいよ」


「川崎君は、二人で会ってみたら、思っていた人とは違った。でも、亮介くんがいない間に、そういうこともしていたの。それは事実だから」


「この前怒っちゃったけど、俺とはやり直せないの?」


「ごめんね。嫌いとかじゃなくて、もう糸が切れちゃった。ずっと待っていたから。『亮介くんが帰って来た』それでおしまいになっちゃって」俺は返事をせずに電話を切った。


 


俺が実家で、教習所に通わなければ、


あの時、新潟市内で逢っていれば、


アパートから徒歩十分の教習所に、通っていれば、


俺の心を満たしていた心地よい温もりは、後悔から濁水になり、それが次から次へと外へと溢れ出て、遂には、心が枯れ果ててしまった。


 


 


 追憶から我に帰り、腕時計を見ると時刻は四時三十分過ぎだった。その辛い別れがあったからこそ、何かの運命で、この時代のこの時期に戻って来たのであれば、神田美香子との時間を、あの頃以上に楽しく過ごしたいと強く思った。


テラスに着くと、いつも俺はお茶を買いに行く。


「美香子は何を飲む?」


「お茶でいいよ」スリムな美香子は、いつもお茶を飲んでいる。アメリカでは、コーラなどのジュースをよく飲んでいたせいか、帰国してからは、以前にも増してお茶を飲むと落ち着くと言う。


「じゃ、買って来るから」俺は、テラスの裏手にある、いつもの自動販売機で、コーラと十六茶の三百五十ミリリットル缶を買った。


「これでいい?」と、ワザと聞いてみる。美香子は十六茶が好きだったこともきちんと覚えている。


「ありがとう。このお茶おいしいよね」


「そう言うと思ったよ」


「亮介くんは、いつテスト終わるの?」


「俺は、来週の木曜日で終わるけど、美香子は?」


「私も木曜日」


「ひょっとして同じ倫理学?」


「国際政治学だよ、残念でした」と美香子が笑う。


「じゃあ、お互い二十三日に、テストから開放されるんだね。テストって本当にウザイ。テストの代わりに、レポート提出にしてくれないかな?」(本末転倒なことを良く言えたなと思う)


「学生だから仕方ないんじゃない?テストがあるのは当たり前でしょ」と、笑いながら軽く窘められた。この笑顔が大好きだ。美香子と一緒にいる時間はいつも楽しく、その笑顔は、祐美と別れ暗く沈んでいた俺の心に、眩い光を照らしてくれた。(いつ現代に戻れるか分からないけど、限られた時間を彼女と楽しく過ごすため、何か行動を起こさないと)


「来週月曜日の予定は?」何気なく俺は聞いた。


「一限から二限までテスト。午後は受講自由の講義」


「じゃあ、俺も午後から空いているから、その講義サボって、一緒に海に行かない?」


「いいね、私も海が大好き」即答だったので、逆に少しだけ躊躇った。


「海で遊ぼうよ、江ノ島でもいい?」


「もう夏だもんね。江ノ島かー、気持ち良さそう」と、海を想い浮かべ、遠くを見つめる彼女を見ていると、うっかり抱きしめたくなる。


 しばらくラウンジで談笑し、時計を見ると五時だった。ちょうど七時から、横浜でのバイトがあったので、時間調整も兼ね、キャンパスから最寄り駅までの長い下り坂を、二人で歩いて帰った。


俺は、友達から譲ってもらった原付を押しながら並んで歩いた。(駅前に駐輪場があったよな。バイクはそこに停めよう)俺は美香子と一緒に居るだけ、いや、無言で歩いているだけでも十分愉しかった。


当時の記憶を思い出しながら、脳をフル回転させて会話をした。でも、彼女が隣に居たので、不思議と疲弊しなかった。


「笑っていいともは、金曜日が一番面白いと思うよ」


「深夜番組の『とぶくすりZ』って知っている?あの前身の『とぶくすり』は、もっと面白かったよ」


「夏だから、白いサンダルが欲しい」など、どうということのない話を沢山した。若者の会話は、シャボン玉のようだ。口から浮かんでは消えゆく会話が楽しくもあり、これが若さだなと思った。


 


 最寄り駅に着き、東海道線に乗る。この路線も他の路線と同じように、ラッシュ時には通勤・通学で混み合うが、俺達が乗った電車は、珍しく席が沢山空いていて、ボックスシートに向かい合って座ることができた。来週月曜日の江ノ島行きの話で盛り上がり、気付いたら、アッという間に横浜駅に着いていた。


「じゃあ月曜日ね。楽しみにしているよ、気を付けて帰ってね」


「私も楽しみにしているね。じゃあね」と、別れの挨拶を交わして降りた。バイト先は、横浜駅構内にある相鉄ビルの地下二階にあった。JR改札を出て相鉄ビルまで五分歩き、ビルに入ると、地下三階にある更衣室で着替えてから、


「おはようございます」と元気よく店内に入る。このバイトは、店が大して混まないおかげで、バイト仲間と会話出来て楽しかったが、先輩がクスリをやっていることが判明してから怖くなり、直ぐに辞めた。


この日も、何か特別なことが起こる訳でもなく、適当にバイトをこなし帰路に着いた。下りの電車は、仕事帰りのサラリーマンやOLで混んでいて、行きとは違い、座ることが出来なかったが、若い体のおかげで、座れずとも疲れを感じることは無かった。


 


同じ日本でも、太平洋側の夏は蒸し暑いと思う。俺は、初夏の暑さですら辛く感じた。(原付を駅まで持って来て助かった。これで蒸し暑さから逃れられる)いつもなら、自転車を十五分も漕いで家路に就かなくてはいけない。


俺は、推薦で入学したため、一般入試が行われている最中の二月、つまり選択肢がある内にアパートを決めた。しかし、初めて借りるアパートだったので、公共交通機関へのアクセスの良さ、スーパーやコンビニの有無などを、十分に考慮して借りたわけではなく、周辺の自然環境を優先させてしまった。その結果、駅からバスで十分、徒歩二十五分、自転車で十五分という物件を契約した。入学後たった数か月で、大学と駅の間にある物件を借りればよかったと、激しく後悔したものだ。


 原付で快適にアパートまで着き、部屋に入ると、モワッとした空気が充満し、即座にエアコンを付けて、窓を開け換気した。アパートはちょっとした丘の上に建っていて、部屋は三階にあり、そのベランダからは、遠く江ノ島花火大会や、鎌倉花火大会の打ち上げ花火を見ることができた。


「もうすぐ江ノ島花火だな」そう呟くと、冷蔵庫に入っていたキンキンに冷えたビールをグビッと飲んだ。


ベッド兼ソファーで寛ぎ、時計を見ると、午後十時半を過ぎていたので、手帳を見て今後の予定を確認する。七月十七日に「あ」と書いてある。(何のことだろう?)その先の予定はしばらく無いが、七月二十四日金曜日に「江ノ島花火」と書いてある。大学時代の俺は、行く予定がなくても、開催される各種イベントを、手帳に記す癖があった。ひょっとしたら、彼女ができて一緒に行けるかもしれない、というほのかな期待を込めて。


 


手帳を確認し終わると、現代に戻る方法について考えた。布団に入って眠っている間に、タイムスリップしたのだから、同じように布団で寝ると、元に戻るのではないか。ひょっとしたら、インフルエンザがこの出来事のキーで、この時代でインフルエンザにかからないと、戻れないのかも知れない。何がキーなのかは分からない。とりあえず、今晩寝てみれば何か分かるだろう。


「プルルルルル」と、突然電話が鳴った。


「もしもし」


「亮介くん、亜子だけど。明日の約束忘れていないよね?」いきなり約束なんて言われても、今日タイムスリップして来た俺に分かるはずもないが、話を合わせた。


「もちろん、ごめん、何時にどこで待ち合わせだったっけ?」


「相鉄横浜駅の改札だったでしょ、時間は十時。もう、しっかりしてよ」と窘められた。


「そうだったね、ごめんごめん。大丈夫、予定は空けてあるから」と適当に合わせる。


「無印良品とビックカメラを見たいから、よろしく」


「了解。じゃあ、また明日ね」そう言って受話器を下ろした。亜子・・・、山川亜子か。


 


山川亜子は、大学に入って直ぐに仲良くなった女友達の一人で、一時期は、このまま付き合うかもと思うほど、非常にいい関係になった女

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