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南野陽子さん、クリス松村さん、『注文の多いレコード店』

なんとなく観た動画でしたけど、南野さんも松村さんも歌は編曲家(プロデューサー)の方が作ったようなものだと尊敬の気持ちを込めて話されていて、対談内容とてもよかったです。有名なシンガーソングライターやバンドの多くも編曲家(プロデューサー)の力無しでは売れなかった方がほとんどではないかとさえ思えます。

今はYoutubeなどSNSを使えば誰でも自身の判断のみで曲を発信できてしまいますし、販売も簡単ではあるのですが、アナログ的な競争と言う段階を踏んできたような泥臭い曲とは根本的に中身が違っていて当然ではあるのでしょう。今こうしたことは音楽だけではなくいろいろな事にも当てはまることなのだろうと思います。

音楽で言えば編曲家(プロデューサー)となりますが、今は個人の自由が得られたと同時に、そうした厳しい目で評価してくれる存在や環境や本物の作品(人生であったり)が得られなくなった時代とも言えるのかもしれません。ゆるくぬるく自由や選択肢が増えたことがはたして本当に良かったことなのか、個人や組織、大小に関係無く、少し疑問に思ったりもしてしまいます。

しっかりとした競争する場がありそして難しく、自由や選択肢が少なかったからこそ、1つにしぼらなければいけませんでしたし、しぼることができました。無かったからこそ手で作り工夫することを覚え楽しむこともできました。なぜだか満たされている今よりも、アイテムが整っている今よりも、その過程がはるかに楽しかったような気がします。

ある中でやっていることっていうのは、つまりその程度のことであってどうしようもなくつまらないことなのかもしれません。無ければ無いでそれはそれでつらいことではあるんですけど、いろいろ考えてみると実はこっちじゃないのかなってそう思うのです。

不自由、不条理、そして不幸、それらはドラマチックなことであり必ずしも不幸とは限らないはずです。


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