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北村透谷「内部生命論」現代語訳

「内部生命論」は、北村透谷を代表する評論である。いわゆる人生相渉論争の中で書かれたものであるが、この評論は、論敵である山路愛山への批判よりも、むしろ透谷自身の考えを明確に述べることに重点が置かれていること、および「人生に相渉るとは何の謂ぞ」と比べて修辞的な表現が抑えられていることが貴重である。ただし、評論の構成という点から見ると完成度は高くはない。実はこの評論は「内部生命論(一)」として「文学界」に掲載され、未完であることが明示されていた。透谷は続きを執筆する心づもりがあったのかもしれないが、(二)以降は書かれることなく終わったのである。「内部生命論」に結びに相当する記述がなく、議論が唐突に終っているのはこのためである。

現代語訳の底本としては、『キリスト者評論集』(新日本古典文学大系 明治編 26)、岩波書店、2002年12月刊行に所収のものを用いた。出原隆俊先生による校注から極めて多くのことを教えられた。先生の校注を訳文に利用させていただいたところもあることを明らかにして、深く感謝したい。

なお、以下の現代語訳において[ ]でくくられた部分は、訳者による記述である。


現代語訳 「内部生命論」

北村透谷 著、上河内岳夫 現代語訳

 人間は到底乾燥したものではない。宇宙は到底無味のものではない。一輪の花も詳細にこれを観察すれば、遠い昔の思いがあるに違いない。自然は恒久不変であるが、これに対する人間の心は様々に異なるのである。

 自然は不変である。されどこれに対する人間の心の異なることから、自然もまたその趣を変えるのである。仏教的な厭世詩人の観た自然は、ことごとく無常的であり厭世的である。キリスト教的な楽天詩人の観た自然は、ことごとく有望的であり楽天的である。あれを非とし、これを是とするのは、私の今日の主題ではない。そもそも変化しない自然を、変化あるものとするのが、果たして人間の心であるとすれば、私はどうして人間の心を間に合わせに研究することができようか。

 自然は人間を支配する、されど人間もまた自然を支配する。人間の中にある自由の精神は自然に黙従することを肯定しないのである。自然の力は大きい、されど人間の自由もまた大きい。人間は自然に帰り、一体化することのみでどうして満足することができようか。されど自然もまた宇宙の精神の一つの表現であり、神の形の象徴である。それが至大で至粋の美を籠めていることは疑うことができない事実である。これに対して人間の心がおのずから畏敬の念を生じ、おのずから精神的な経験を生じるのは、決して不当なことではない。この場合には、私といえどもいささか汎神論的な感覚を持つのである。

 人間は果たして生命を持つ者であろうか。生命というのはこの五十年の人生を指して言うのではない。いわゆる生命の源泉は、果たして我々人類が具有するものだろうか。この疑問は人が常に思い至るところで、そうして人が常に軽視するところである。五十年のことを経綸するのは、到底五十年のことを経綸しないことに及ばないのである。明日があることを知らずに、今日のことを計画するのは、到底真に今日のことを計画するものではないのである。五十年の人生のために五十年の計画をするのは、どれほどその計画が大いに緻密で精妙であるとしても、到底その計画がないのに及ばないのである。二十五年を労作に費やし、他の二十五年を逸楽に費やすとするならば、極めて面白い胸中であるだろう。人間の多数はこのような夢を見て月日を送るのである。されど実際の世界は決してこのような夢想を受け入れる余地を備えていない。我が心が、私に五十年の人生以外はすべて夢であると告げるとすれば、私はむしろ勤労をやめ、事業をやめ、逸楽と安眠をもって残りの人生を送るだけである。

 私は人間に生命があると信じる者である。今日の思想界は仏教思想とキリスト教思想との間における競争というより、むしろ生命思想と不生命思想との競争であると言える。私が思想界に向かって微力を献げたいのは、キリスト教の用語で仏教の用語を奪おうとすることではなく、外部のキリスト教文明で仏教文明を倒そうとすることではなく、キリスト教の知識で仏教の知識を破ろうとすることではない。私は生命思想をもって不生命思想を消滅させようとするのである。彼の用語のような、文明のような、学芸のような、これらの外部の物は、自然の陶汰で自然の進化を経ていくべきである。私の関係する所はここではなく、生命と不生命すなわち東西思想の大衝突、ここである。

 明治世界の思想界で、新領地を開拓したキリスト教一派の先輩の事業の跡をよくよく尋ねると、宗教上の言葉で言う生命の木を人間の心の中に植えつけた他に、彼らはどんな事業をなしたのだろうか。洋服を着用し、山高帽子を冠ることは思想界の人を労せずとも、自然にこれをなすのである。およそ外部の文明が裨益するのに、どうして思想界の練達の士を煩わすことを必要とするだろうか。外部の文明は内部の文明の反映である。そうして東西二大文明の要素には、生命を教える宗教があるのと生命を教える宗教がないのとの差異があるだけである。優勝劣敗の起因するところは、ここ以外にはないのである。平民的道徳の率先者も、社会改良の先覚者も、政治的自由の唱道者も、誰がこの民に生命を教える者ではないのだろうか、誰がこの民に明日があることを知らせる者ではないのだろうか、誰がこの民にさくさくと今日にのみ拘束されていることを覚醒する者ではないのだろうか。宗教としての宗教とは何か。哲学としての哲学とは何か。宗教を説かなくても生命を説けば、すでに立派な宗教ではないか。哲学を論じなくても生命を論じれば、すでに立派な哲学ではないか。生命を知らずに信仰を知る者があるだろうか、信仰を知らずに道徳を知る者があるだろうか、生命を教える他に道徳の根源があるだろうか。およそ生命を教える者はすでに功利派ではなく、およそ生命を伝える者はすでに曖昧派ではなく、およそ生命を知る者はすでに高踏派ではない。高尚な言葉が流行する今日、世間の人が自ら惑うことのないことを願うのである。

 私に次に移って、文芸上における生命の動機を論じさせよ。文芸は宗教もしくは哲学のように正面から生命を説くことを必要としていないし、またできもしないのである。文芸は思想と芸術とを抱き合わせたものであって、思想があっても芸術がなければすでに文芸ではない、芸術があっても思想がなければすでに文芸ではない。華文妙辞[華麗な文、美妙な辞]のみでは最上の文芸には達しがたい、だからといって思想のみでは決して文芸とは言えないのである。この点では私は非文学党[山路愛山]の非文学的な見解に同意することができない。先覚者[徳富蘇峰]はさておいて、末派[愛山]のポジティビズムで、文学をポジティブな事業とする余りに、清教徒の誤謬を繰返すようになることを恐れるのである。

 戯文世界の文学は価値ある思想を持っていないことを、私といえども、見ないわけではない。されど戯文は戯文である、どうしてこのことで今の文学をことさらに責める必要があるのか。私から見れば、過去の戯文が華文妙辞のみに失したのは、華文妙辞の罪ではなく、文学の中に生命を説く道を備えていなかったがゆえである。徳川氏の美文学について、この点を少し言わせて欲しい。

 すべての倫理道徳は、必ず多少とも人間の生命に関係するものである。人間の生命に関係が多いものは人間の役に立つことが多いもので、人間の生命に関係が少ないものは、人間の役に立つことの少ないものである。徳川氏の時代にあって、最も人間の生命に近かったのは儒教道徳であったことを誰も疑わないにちがいない。されど儒教道徳は実際的な道徳であり、未だもって完全に人間の生命を教え尽くしたものとは言うことはできない。煩雑な礼法を設けて種々の儀式を備えるが、形式主義(formality)に陥ること、貴族的に流れることを到底免かれなかったのである。これを要するにその教えが、人間の根本の生命の琴線に触れなかったからである。その時代のいわゆる美文学を観察するに至って、私はさらにその甚だしいことを見る。彼らのように人間の生命の根本を愚弄することは、私が常に痛惜するところである。彼らで儀式的に流れた儒教道徳さえ備えた者は稀である。彼らの多くは下卑た人情の写実家である。人間の生命は、彼らには諧謔をたくましくすべき目的物に過ぎなかったのである。彼らは愛情を描いた、されど彼らは愛情を尽くさなかった。彼らが書こうとした愛情は肉情的な愛情のみであった。肉情から恋愛に入るより他には、愛情を説く道はなかった。プラトンの愛情も、ダンテの愛情も、バイロンの愛情も、彼らには夢想することすらできなかった。彼らは忠孝を説いた。されど彼らの忠孝は、むしろ忠孝の教理があるがゆえに忠孝を説いただけで、今日の曲論家が、教育勅語があるがゆえに忠孝を説こうとするのと大差がないのである。彼らは人間の根本の生命から忠孝を説くことができなかった。彼らは節操と道義を説き、善悪を説いた。されど彼らの節操と道義も善悪も、むしろ人形を並べたものであって、人間の根本の生命の琴線に触れたものではなかったのである。いわゆる勧善懲悪も、これが善でありこれが悪であると定めて、それに対して勧懲を加えようとするもので、未だもって真正の勧懲であると言うことができない。真正の勧懲は心の経験の上に立たなくてはならない、すなわち内部の生命の上に立たなくてはならない。ゆえに内部の生命を認めない勧懲主義は、到底真正の勧懲とは言えないのである。彼らは世道人心[社会道徳と人の心]を説いた、なすべき目的のために文章を書くべきであると説いた、世の役に立つために文章を書くべきと説いた。されど彼らの世道人心主義も、到底偏狭なポジティビズムの誤謬を免かれなかった。未だ根本の生命を知らずに、世道人心の役に立つのは正鵠を得るものではない。要するに彼らの誤謬は、人間の根本の生命を認めなかったことに起因するのである。読者よ、私が五十年の人生に重きを置かずに、人間の根本の生命を尋ねるのを責めてはいけない。読者よ、私が眼に見える「的」の事業に心を注がずに、人間の根本の生命を暗中模索する者を重んじるのを責めてはいけない。読者よ、我々の中にあるいは唯心的に傾き、あるいは万有的に傾く者があることを責めてはいけない。私は人間の根本の生命に重きを置こうとする者である。そうして私が不肖を顧みずに、明治の文学に微力を献じようとするのは、この範囲の中にあることを記憶していただきたい。

 明治の思想は大革命を経なければならない。貴族的思想を打破して、平民的思想を創り興さなくてはならない。私が敬愛する先輩思想家で、すでに大いにこのような種類の事業に鉄腕を振るった者がある。私が年少の身分でこれより進もうとして、どうして彼らがすでに進んだ道から外れることができようか。どうして私は人情以外に出てバベルの塔を築こうとする者になれるだろうか。もし人間の根本の生命を尋ねて、あるいは平民的な道徳を教え、あるいは社会的改良を図る者を、バベルの塔を砂丘に築く者であると言うことができるならば、私もまたバベルの塔を築こうとする人足の一人であることに甘んじるだけである。

 文芸は議論ではないことは、何度言っても同じことである。議論の範囲で、根本の生命を伝えようとするのは、議論の筆をとる者の任務である。文芸(純文学と言ってもよい)の範囲で、根本の生命を伝えようとするのは、文芸に従事する者の任務である。純文学は議論をしない、ゆえに純文学というものはないと言うと、誰がその極端なことを笑わないだろうか。議論の範囲で善悪を説くのは、正面からこれを語るのである。文芸の範囲で善悪を説くのは、裏面からこれを語るのである。

 「人間性に上下なく、人情に古今なし」とは観察論の著者[徳富蘇峰]の名言である[徳富蘇峰「観察」、『国民之友』、一八六号(明治二十六年四月)]。実に詩人哲学者の言うところは、人情が自ら筆を執って万人の心に描いたものに他ならないのである。善と言い、悪と言うものも、もとより道徳学上の製作物ではないことは明らかである。つまり善悪正邪の区別は人間の内部の生命を離れて立つことができず、内部の自覚と言い、内部の経験と言い、いちいちその名は異なるけれども、要するに根本の生命を指して言うことに他ならない。詩人哲学者の高尚な事業は、実にこの内部の生命を語るよりほかに、出ることができないのである。内部の生命は千古不易で、神の他にはこれを動かすことができないのである。詩人哲学者のなす所が、どうして神の業を奪うものになることがあるだろうか。彼らは内部の生命を観察する者でなくて何であろうか。されど彼らが観察するのは、沈静不動な内部の生命ではない。内部の生命の「百般の表顕」を観るほかに彼らが観るべきことはないのである、すなわち人間性、人情の Various Manifestations(多様な発現)を観るほかには、観るべきことはないのである。観はどこまでも観である、されどこの場合には観の中に知の意味があるのである。すなわち観の終りは知に落ちるのである。そうして観の初めもまた知から出るのである。人間の内部の生命を観るのが、その多様な発現を観るゆえんであり、霊的な知覚と観察とが互に離れないのは、これをもってである。霊的な知覚のない観察が真正の観察ではないことは、これをもってである。

 そもそもヒューマニティー(人間性、人情)とは、人間の特有性という意味である。詩人哲学者は無論ヒューマニティーの観察者でなくてはならない、されど私は、民友子[蘇峰]の観察論の読者には、あるいは詩人哲学者を単なる人間性、人情の観察者であると誤解する者があることを恐れる。観察論を読んだ人は、必ずまた『インスピレーション』も読まなくてはならない。そうでなければ私は民友子に対する誤解が生じることを危ぶむのである。詩人哲学者は、到底人間の内部の生命を解釈(ソルブ[solve])する者であることに他ならないのである。そうして人間の内部の生命は、私がこれをどのように考えても、人間が自ら造ったものではないことを信じないではおれないのである。人間のヒューマニティーすなわち人間性、人情が他の動物の固有性と異なる理由の根源が、すなわちここに存在することを信じないではおれないのである。生命! この語の中にどれほど深奥な意味を含むことか。宗教の源泉はここにあり、これなしに教えはなく、これなしに道はなく、これなしに法はない。真理! 世間でいう真理は、果たして何を意味するのだろうか。ソクラテスも霊魂不朽を説かなければ、一人の功利論家をでることができなかった。孔子[正しくは孟子]も「道は近きにあり」と説かなければ、一人の藪医者であるに過ぎなかった。「道は近きにあり」と言った者は、すなわち人間の秘奥の心宮[心中の宮殿]を認めた者である。霊魂不朽を説いた者は、すなわち生命の源泉は人間が自ら造ったものではないことを認めた者である。内部の生命なくして、どうして天下に人間性、人情というものがあるだろうか。インスピレーションを信じる者ではなくして、真正の人間性、人情を知る者があるだろうか。五十年の人生をもって人間性、人情を解釈すべき唯一の舞台とする論者の誤謬は、多言を用いなくても明白である。

 文芸上でこれを論じると、いわゆる写実派は、客観的に内部の生命を観察すべきものである。客観的に内部の生命の多様な発現を観察する者である。この目的の他に賞賛すべき写実派の目的はないのである。世道人心の役に立つという一派の写実論も、この目的を外れると何らの功も益もないのである。勧善懲悪を目的とする写実派も、この目的を外れると何の勧懲もないのである。なすべきことがあるためと言い、世の役に立つためと言っても、真正にこの目的に適わせるより他はないのである。いわゆる理想派は、主観的に内部の生命を観察すべきものである。主観的に内部の生命の多様な発現の現象を観察する者である。いかに高尚な極致を唱えても、いかに美妙な理想を歌っても、この目的の他に理想派の賞賛すべき目的はないのである。

 理想とは何か。理想派とは何か。私はこの小論文で、理想とは何かを説くつもりはない。されどここで一言しなくてはならないことは、文芸上で言うアイデアは、形而上学で言うアイデアとは、同名であるが異なるものであることである。形而上学でアイデアリスト(唯心論者)という者は、文芸上でアイデアリスト(理想家)という者とは全く別物である。

 文芸上で言う理想派は、人間の内部の生命を観察する途上で、極致を事実(リアリティー[reality])の上に具体的な形とする者である。絶対的アイデア[イデア]を研究するのは形而上学の唯心論であるけれど、そのアイデアを事実の上に加えるのが文芸上の理想派である。ゆえに文芸上では、ほとんどアイデアと呼ぶべきものはないのである。そのアイデアがあるのは、理想家がしばらく人生と人生の事実的な現象を離れて、何ものかに冥契[末尾の訳者注を参照]する時にあるのである。されどそれは「瞬間の冥契」である。もしこの瞬間を連続した瞬間にさせるならば、詩人はすでに詩人ではないのである、必ず組織的な学問を研究する哲学者になるのである。どうして詩人は、このような者になるだろうか。

 「瞬間の冥契」とは何か、インスピレーションがこれである。この瞬間の冥契がある者をインスパイアド[inspired]された詩人というのである。そうして私は、真正な理想家という者はこのインスパイアドされた詩人の他にはいないことを信じようとする者である。インスピレーションを知らない理想家もあろう、宗教が何であるかを確認しない理想家もあろう、されど私は各種の理想家の中で、このようなインスピレーションを受けた者を最も純粋な者と信じようとするのである。インスピレーションとは何か。必ずしもこれを宗教上の意味で言うのではない、一つの(組織としての)宗教がなくてもインスピレーションはあるのである。一つの哲学がなくてもインスピレーションはあるのである。つまるところインスピレーションとは、宇宙の精神すなわち神なるものから、人間の精神すなわち内部の生命に対する一種の感応に過ぎないのである。私がこれを感じるのは電気の感応を感じるようなものである。この感応がなくして、どうして純聖な理想家があるだろうか。

 この感応は人間の内部の生命を再生するものである。この感応は人間の内部の経験と内部の自覚とを再生するものである。この感応によって瞬時の間、人間の眼光は感覚世界(sensual world)を離れるのである。私が「肉体を離れ、実を忘れ」と[「人生に相渉るとは何の謂ぞ」において]言ったのが、これに他ならないのである。されど夢遊病患者のように「我」を忘れて立ち出るものではない。どこまでも生命の眼を、再生された生命の眼をもって、超自然のものを観るのである。

 再生された生命の眼で観る時に、いったい自然万物で極致でないものがあるだろうか。されどその極致は絶対的アイデアではないのである。何ものかに具体的な形を顕在化させたもの、すなわち何ものかの極致である。万有的な[汎神論的な]眼光では万物中にその極致を観るのである。心理的な眼光では、人心の上にその極致を観るのである。

 (明治二十六年五月、「文学界」五号)


訳者注

「冥契」は、冥交契合ということもある。この言葉は、北村透谷の独自の用語であろうか、寡聞にして透谷以外の用例を見ない。その定義を「松島に於て芭蕉翁を読む」の中にもとめると、「「我」を没了し」「恍惚としてわが此にあるか、彼にあるかを知らずなり行く」こととなるのではないか。当該評論の関連する部分を以下に掲げる。

 われ常に謂へらく、絶大の景色は文字を殺す者なりと。然るにわれ新に悟るところあり、即ち絶大の景色は独り文字を殺すのみにあらずして、「我」をも没了する者なる事なり。絶大の景色に対する時に詞句全く尽るは、即ち「我」の全部既に没了し去れ、恍惚としてわが此にあるか、彼にあるかを知らずなり行くなり。彼は我を偸み去るなり、否、我は彼に随ひ行くなり。玄々不識の中にわれは「我」を失ふなり。而して我も凡ての物も一に帰し、広大なる一が凡てを占領す。無差別となり、虚無となり、糢糊として踪跡すべからざる者となるなり。澹乎たり、廖廓たり。広大なる一は不繋の舟の如し、誰れか能く控縛する事を得んや。ここに至れば詩歌なく、景色なく、何を我、何を彼と見分る術なきなり、之を冥交と曰ひ、契合とも号るなれ。
 冥交契合の長短は、霊韻を享くるの多少なり。霊韻を享くるの多少は、後に産出すべき詩歌の霊不霊なり。冥交契合の長き時は、自ら山川草木の中に己れと同様の生命を認め来つて、一条の万有的精神を遠暢し、唯一の裡に円成せる真美を認め、われ彼れが一部分か、彼れわれが一部分か、と疑ふ迄に風光の中に己れを箝入し得るなり。

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