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綱島梁川「枕頭の記」現代語訳

綱島梁川は「予が見神の実験」によって知られる明治時代を代表する宗教思想家である。「枕頭の記」は、彼自らの思想遍歴について述べた評論であり、明治39年6月に海老名弾正による雑誌「新人」(第7巻第6号)に発表され、その後若干の修正を加えて、『病閒録』の続編にあたる宗教的な評論集である『回光錄かいこうろく』(金尾文淵堂、明治40年4月刊)に収録された。

この現代語訳の底本としては、『綱島梁川集』(安倍能成編 、岩波文庫 、昭和2年9月刊)に所収のものを用いました。これは『回光錄』に収録された版に基づくものです。

現代語訳「枕頭の記」

綱島梁川 著、 上河内岳夫 現代語訳 

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 私は身体がなお健全であった時から、長夜の悪夢に襲われるように、しばしば死を恐れる念に襲われていたことを思い出す。私は真の永遠の生命は意義のある生活を送ることにあるのを見、そうしていわゆる意義のある生活は、神があって初めて存在できるものであることを見た。そうであるから私が目の当たりに神を見、神に接しようと思った最大の動機は、言うまでもなくそれによって人生生存の根本の原理をつかみ、それによって不動の信念を樹立しようという一念にあったのである。一切の形式・因習・伝説を他にして、真に確実な見神の心証を握らなければ、私は一日も安んじて生活を続けることができないように感じたのである。私は神のない所に人生はないと感じたのである。文明も、真善美も、向上の努力も、道徳の完成も、人道の発展も、神がなければすべて空の空であると感じたのである。見神か、そうでなければ「皆空都滅」か[みな空ですべてが滅びるのか]、一切をただこの一つの問いの解釈を究極のものとして、また他に出る道を知らなかったのである。私の見神の動機は、いわゆる恍惚忘我の浄楽[仏教で言う「常楽我浄」]を得るためではなく(それはむしろ獲信の一つの結果、一つの恩寵であり、動機ではなかったのである)、閑人の不急の好奇の念に駆られたからでもなく、あるいは単に神秘を神秘としてこれに耽溺するためでもなく、それは最も厳粛な道徳的な要求から生じてきた言わば命がけの大事であったのである。
 
 そうではあるが、私の見神の要求には、なお他に一個の重要な動機があったのである。すなわちそれによって神人キリストに対する一層の正しい理解と一層の深い同情とを勝ち取ろうとすることにあった。私はかつてどのようにキリストを見たのか。今はどのように見つつあるのか。あるいは僭越せんえつのそしりもあるだろうが、私は今このことに関する私の内的な生活史の一節を略述して、いささか読者の観省に資する所があるようにと思うのである。

   2

 「四福音書」[『新約聖書』の中のマタイ・マルコ・ルカ・ヨハネの4つの福音書]に現れたキリストの人格に対する私の見解もしくは態度は、これまでおおよそ3段階の変遷を画してきたようである。第一は、何らの自覚も定見もなく、ただ幼稚な素直な心で一筋に、伝説そのままのキリストを信受していた時代。第二は、キリストの人格における神秘的・超自然的な方面を一切排除し抽象化してしまって、ただその倫理的・実践的な方面だけをとって行動の規範とした時代。第三は、ともかくも自覚的に一種の理解と同情をもってキリストの完人を見ることができたとする時代。以上である。第一をキリストに対する「無差別的な盲信時代」と言うことができれば、第二を「二元的な懐疑時代」、第三を「調和的な正信時代」(もしそう言うことをゆるせば)とも言えるだろう。
 
 私は14、5歳のころ、郷里の組合派の一キリスト教会に籍を置いてから以後、20歳前後のころまで、いわゆる正統的なキリスト教の一信者であった。今から当時の私がキリスト教に入った動機もしくは理由というものを回想すると、それはキリスト教そのものに対する何らの正確な理解に基づいたものではなく、むしろもっぱらそれが文明国の宗教であること、それが何とはなく道徳的な調子の高い一節を持っていたこと、ないしはこれを説き伝える者の思想と品性と態度がはるかに従来の僧侶・神官に立ち優れて立派なものがあったこと、などの点にあったようである。当時まだ中学の課程をも履修していなかった一人の子供が、どうしてキリスト教が何たるかを理解できるだろうか。ただこのようなとりとめもない漠然とした外形的な異彩に、幼心が何とはなく心惹かれて、この新来の宗教を一筋に慕わしいとのみ思うようになったのである。こうしてひとたびキリスト教界に入ってからは、私は自ら信じてキリストの無二の忠臣となった。私は教会が伝える所、牧師が説く所の一切をその通りに信受し、抱懐し、長養して、またいささかの疑う所・惑う所もなかった。後になってひとつひとつが理性のつまずきの石となった教理・信条・儀式も、当時の私の意識には何らの障害ともならず、流れる水が跡をつけることもなく、とても滑らかに透過したのである。当時の私は、いわば一人の被催眠者のように、ほとんど全くキリスト教という大魔力に吸い込まれた観があったのである。私はこの大魔力の支配下に、祈祷をも捧げ、讃美歌をも歌い、晩餐をも守り、奇跡をも信じ、ないしは贖罪の秘儀をも化身の幽旨[奥深い趣]をも、復活説をも、三位の神をも、インスピレーション説・聖書無謬説をも、旧約聖書の6日創造説をも、人類堕落説をも、その他の教会の所伝の一切を、何らの批判も何らの検討もなく、一気に嚥下したのである。哲学上・宗教上に何らの素養も眼識もなかった者が、このような絶対的な他律信に支配されることは、思えばあやしむには足りないことである。私の当時の理性は、なお幼稚な信仰の揺籃の中で安らかに眠っていたのである。信仰と理性、客観と主観とは、言わば幻のように抱懐しあって、また何らの矛盾的な意識をもひき起こさなかったのである。けれども、このような他律信は、どうして長続きすることができるだろうか。私の当時の信仰は、例えればちょうど霊魂の窓に外から貼付された怪しげな色紙のようなものであろうか。私はこの霊魂の色窓を通して、おぼつかなくも天地・人生をうち眺めつつ6年ほどを過ごしたのである。けれども外から貼付されたものは、やがてまた剥落し破壊されざるを得ない。果せるかな、数年が経たないうちに懐疑の雨・煩悶の風が、暗澹あんたんとして横ざまに、わが霊魂の色窓をたたいたのである。

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 このような信仰の危機は、誰でもおおむね一度は経過すべき所であろうが、私もまた一時全く懐疑・不信の狂瀾きょうらんに巻き込まれるに至った。理性が自家独立の要求をようやく意識してきたのにつれて、楽しかった昔の信仰もまただんだんと破れやすい空虚な夢をはぐくむようになったのは、是非もないことである。こうしてしばらくは持続していた私の惰力的な信仰も、ダーウィンの進化論・ヒュームの懐疑説・カントの批判哲学・その他の私が当時修得した多少の哲学的な造詣のために、あわれ、最後の一撃を受けたのである。私の理性はその傲慢な知力的な自大の態度に立って、一切の信仰を無根拠の迷信であるとして排除してしまったのである。どのようなものが正信であり、どのようなものが迷信であるのか、何を背理といい何を超理というのか、合理的な信仰とは何を意味するのか、そもそもまた信仰的な意識に占める理性本来の位置はどのようであるかなどの問題については、当時何らの明確な解釈をも下すことはなく、いやしくも私の未熟で幼稚な理性の力をもってしては解決しがたいこと、もしくは理性に何らかの衝突(ショック)を与えるものであれさえすれば、私は軽佻至極にも、直ちにこれを迷信または無根拠として払拭してしまったのである。昔の盲信は翻って今日の懐疑となった。先に信仰に過与されたものは、今はかえって過奪されようとした。私の理性は越権にもその暴慢な破壊力をほしいままにして、単に聖書の奇跡をいなみ、復活をこばむだけではなく(これは、あるいはいいのである)、さらに神そのものの実在ないしは「神人父子の神秘的な意識」さえも、一括して払い去ったのである。当時の私は、どうして神秘と迷信との区別を正しく解釈することができただろうか。私は神秘をやがて迷信と同一視してしまった。私が後にキリストの信仰および人格の唯一の秘訣であり、また実に一切の偉大な宗教的な意識の中心動力とまでに高唱し、重視するようになった前述の「神人父子の自覚」をさえ、当時は一つの迷信もしくは無意義・不可解として、軽く投げ捨てて顧みなかったのである。このようにして私の信仰は蕩然とうぜんとして[心に思うままに]流れたのである。残ったのは何物であろうか。言うことは、倫理だけ、道徳だけ、ないしは正義・人道という漠然とした感情・抽象的な理想だけである。キリストは単に一人の偉大な道徳的な天才になり、『聖書』は単に一巻の修身書・道徳経となった。私は孔子やソクラテスに対するのと同じ眼をもってキリストを見、『論語』やエピクテトス[『語録』]を読むのと同じ心をもって「四福音書」を読んだ。そうして自らこれが最も健全で合理的な態度であると考えた。当時密かに自ら説をなして、神はキリスト教が説くように人格的な存在者として客観的に実在するものではなく、世の中にもし神というものがあるとすれば、それはただ私たちの主観こころに潜在する道徳的な理想としての「真我」であるべきであると考え、人生の意義は、ただこの形式的な原理として私たちの心の奥に潜在する道徳的な理想を一歩一歩無限に充填していって、これを客観的な現実のものとする向上の活動そのことを他にしてはないだろうと考えた。このような純然たる道学的な見地に立った当時の私が、『聖書』に一種の格言集以上の意義を付すことができなかったのは、また当然の道理であったのである。私は当時なお折々に一種の興味を保持して「四福音書」をひもといた。そうではあるが記録せよ。私の当時の「四福音書」は、その神秘的・超自然的・霊覚的な文字がことごとく理性の暴殄ぼうてん[乱暴に取り扱って消耗すること]にむしばまれて、随所に斑々はんぱんとした空白を残しとどめたものであったことを。何という荒涼とした光景であったことか。

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 けれどもこのような知力的・道徳的な自大の夢は、長くは続かなかった。それから3、4年の星霜を送迎する間に、次第に私がこれまで固くとって「合理である、健全である」とした学究的な倫理生活にも一種の言い尽くしがたい寂寞が深く深く潜んでいることを感じ始めたのである。幼かった往時の他律的な信仰は一度去ってもう戻らない。そうであるのに奇しくもわが心は、しばしば平和であった当時の信仰生活に一種の追憶の涙を落したのである。ああ、これはなぜだろうか。ただ「なくてぞ人の更に恋しき」[会えなくなると恋しさがこみ上げる]思いこそが、私の当時の内面の動静を描いた唯一格好の言葉であったことを記しておく。私は顧みて私の現在の地位を自覚して、そうして戦慄した。私は天地の間に独りさびしくいて、また祈るべき訴えるべき温情無限の神を持たないのではないか。私の理性は先にこのような神を迷信の塊として、一擲いってきしてしまったのである。しかも私の心の中の至情には、このような神でなければしょせん埋め尽くすことができない深奥・無限の空白があるのをどうするのか。神のない世界と人生とは、究極の意義と価値とがない大きな荒塚あれづかであることをどうするのか。私の自覚がなかった昔の時期には、かつて一度このような神を持っていたのである。そうして自覚がある今日は、さらにさらに痛切にこのような神を慕い求めざるを得ないのではないのか。私は言いがたい孤独の嘆きをもって、昔の神を呼び求めたのである。けれども神は死んでしまった。どうやってこれを復活させることができようか。
 
 この差し迫った真面目な問題に接触して、私の傲慢な理性は、ようやく謙譲の態度をとるようになった。こうしていわゆる宗教的な信仰が、全くの迷信・不合理なものではないことに着想し、そうして虚心に信仰の合理的な根拠を分析・研究しようとするに至った。当時の私の研究が精到であると見ることができないことは、もちろん言うまでもない。そうではあるがとにもかくにも、私は当時「信仰 対 理性」の問題に関して、粗雑ではあるが大略以下のような一種の結論を下すことができたのである。その言うことは、いわゆる宗教的な信仰という意識状態を無根拠・不合理な迷信の沙汰であると見ることはできない。信仰意識には純理性の見地だけからはとても批評し尽くすことができないある一種の直覚的・具象的・神秘的な要素がある。信仰の対象であるべき神は、概念として理解すべきものではなく、むしろ主として「心情」をもって触れ味わうべきで、全人・全霊をもって直観し自証するべきものなのである。そうしてこのような意識の直証の事実としての信仰の圏内には、純理性をして軽々しく立ち入らせることを許さない、ということである。さらに加えてそもそも理性の意義は、単に推論的な純理性と理解せず、さらにこれを解釈して、私たちに事実そのもの・理想そのものを付与する直覚的・立法的な理性という意義であるとすると、このような意味の理性は、私たちに信仰を与え、神を与えこそすれ、断じてこれを否定し、空にしてしまうものではないのである。そうであるならば要するに、信仰には純理性をもって時に取り払うべき不合理な要素が混在することがあるとともに、また到底、純理性をもってしては批評し去り、突破し尽くすことができない深奥・不可抜の根拠を人心の神秘性に託していることは明らかであると考えたのである。このようにして私は信仰を理性の僭越せんえつで無法な侵食から擁護することができたと信じたのである。
 
 私はともかくも信仰の合理性を証明することができた。けれども悲しいかな、私はまだ「信仰そのもの」を獲得することはできなかったのである。聖龕せいがん[礼拝対象を納める厨子]はしつらえられたけれども、ここに安置し奉るべき神体は、まだ発見されていないのである。このためか、私の研究・思索の態度は、急転直下して自ら抑圧することができない思慕の声となり、あこがれの情となった。そうして一面において、私の肉体上の病[結核]はますますこの心情の要求を痛切にならしめたのである。私はもはや回顧することができず、躊躇ちゅうちょすることができず、直ちに私の心情をもって宇宙の心情に迫ったのである。私の寂寞たる霊魂は、渺茫びょうぼう無辺の空に、ただ頼む一つの木陰を探し求めたのである。わが一念のあこがれの心は、天涯に傷つき、地角に倒れ、ある時は美的な空想の花野に欺かれ、ある時は自分を圧する「存在」そのものの事実に震えおののきつつ、こうして疲れ果てた翼を収めて再び我に返ったのである。そうしてそこで忽然として内在神秘の「我は汝が求める汝のそれである」という声を聞いた。その時、大歓喜が潮と涌いた。けれども悲しいかな、私が聞くことができた声は、なお薄明の心があるのを免れなかった。自分は再びたって神を呼び求めた。そうして再び「神はいましぬ」の声に活きたのである。こうして歓喜と、失望と光明と闇黒と、どれだけかその心上の波瀾を数えつくして、ついにある朝最も沈痛かつ明確な意識直証の声を聴取することができたのである。見よ、わが神はもはや理心・模索の灰色の神ではなくして、生命の流れが活発な「緑色」の神であるのではないか。私が見た神は、世俗のいわゆる「夢枕に立つ」錯視・幻覚の神ではない。私が見た神は、かのモーゼが見られるとした憤怒・嫉妬の煩悩の神ではなく、ミカエルが描いた諸天の万軍を左右に打ち従えた神ではなく、あるいはダニエルのいわゆる白衣・白髪の神でもなく、エゼキルが想像した火の神でもない。みなそうではないのである。私が見た神は、直ちに「霊をもって霊に触れた霊の神」である。それならば私の見神に何らかの客観的な確実性があるかというと、それは見神という事実そのものを他にしてはないのである。否、あることができないのである。真理は真理自らを照らしてまた他に待つ所はなく、見神の客観的な確実性はまたこの通りである。それは私の意識が直接に自証する所、すなわちいわゆる冷暖自知の境地である。これらのことは、かつてしばしば記したことがあるので、今また必ずしも必要以上の言葉を付け加えることはせず、ただ今日こんにちから冷静に私の当時における見神の刹那の光景(ことに『びょう閒録かんろく』に第三の場合として記したもの)を回想すると、それは自意識の「拡大」といい、「高挙」といい、もしくは「恍惚」というような、その種類の言葉をもってしては、到底説き尽くしがたい「或物あるもの」、すなわちむしろ「見神感」とも言うべきある特別の感(センス)が新たに付与されて、一種未踏の新光景が啓示されたと言うことが、さらに適切に私の意識経験の一分を説くことができたと感じざるを得ないのである。思うにこのようなことが、この類いの神秘的な経験を持つ人の心に響くべき最も確実な意識的な事実ではないだろうか。

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 そうではあるが、私がこのように熱心に見神の一事に心を傾けた理由は、他に動機がある。それは前にも言ったように、私の一面でキリストの人格に対する真の理解と洞察と同情とを得たいという要求である。私は先にキリストを見ることが徹頭徹尾、論理的・常識的になり、キリストをもって一人の絶倫の道徳的な天才とし、『聖書』をもって一つの卓絶した修身書とした。このことを正確で無謬な見解であると信じたが、私の神に対する熱烈な思慕の情が新たに起こってくるとともに、キリストに対するこのような枯淡な常識的・倫理的な見解が、ついに支持できない謬見であることを悟るようになった。キリストの道徳的な偉大さは、とこしえに世界の驚嘆・敬慕であるけれども、単に倫理的にのみ見たキリストが私を動かす力は、かつて因習的・奇跡的もしくは迷信的に見ていた私の旧時のキリストよりも、ずっとずっと薄弱であるのではないか。私が幼時に見たキリストは、いわば活人いきにんぎょう同様の、もとよりまがいものであったけれども、なおそうは言うものの血肉があるとの観を備えて、とつとつと私に迫るという威厳を持っていたが、今見る所のキリストは、いわばわら人形の枯痩こそうで[やせ細っていて]少しの生色さえない。私は悟ったのである。私が先に奇怪とし、迷信とし、もしくは茫漠・曖昧・無稽むけいであるとして投げ捨ててしまった一味の神秘的・超自然的・霊覚的な方面こそが、まさしくキリストの人格と事業がほとばしり出る尽きることのない活きた源泉であり、この一つの方面を除外してまたキリストを正しく解釈することができる真の秘密の鍵は存在しないのであると。このように思い続けるとともに、従来あまり意をとめなかったキリストの神秘的な自覚、すなわちその常に親しく心の中の神と交わって遊泳自在を極めた「神子霊交の自覚」が、いまさらのように新しい光輝のある重大な意義を持つものとなって、私の心を打ってきた。そこで考えたのは、キリストの絶倫な人格と事業とは、その主な原因をこの「無類・特絶な神秘的な霊交の一自覚」に持っていたのではないのかということである。彼の生涯を通じて、人の子は枕する所さえないという世にも痛ましい不断の健闘生活の裏面にはまた、神とともにある個人という一種の平静で悠揚な神秘的な生活が不断に流れるということがあって、彼は常にこの平静・神秘な「緑のみぎわ」にいこい、そうしてまたここからその世に並ぶもののない力を得てきたのではないだろうか。彼の神秘的な一面の自覚はなんと尊いことだろうか。私たちはかつてキリストの道徳的な偉大さを見て、しかもその秘訣の源泉であるこの平静で崇高な神秘的な霊交の一面を見落としたのではないだろうか。いな、これを見ることがあまりに因習的・外形的な不透徹に失していたのではないだろうか。私たちがキリストのこの一面を見ることは、他の尋常一様のことのように、ほとんど何心なくその伝説そのままに受け入れていなかったか。真にまだ新鮮な意識と深奥な洞察をもって、しみじみと身に体してこの一事を味わわなかったのではないか。そうして真に自ら味わわないことを、すでに味わったように自分で決め込んでいなかったか。少なくても私自らが、この悲しむべき大誤謬に陥った者であることを発見した。そうして自ら考えたのは、真にキリストを正しく解釈しようとすれば、その「神人父子の神秘的な霊交」の自覚に深く分け入って、これを「我有」とする遊泳親切な技量がなければならない。自分自らが直接にキリストの見た神を見、自分自らが直接にキリストの遊泳自在な神子の自覚を握らなければならないということである。私はキリストの人格を信じた。そもそも他人の人格を信じるのは、その一切を信じることである。私はキリストの人格と意識とを通して、その神を信じ、その神人霊交の自覚を信じた。けれども私はなお不幸にも、このような第三者の媒介に拠ることを十分であるとはしないで、端的にわが内なる光において神と対面することを要求したのである。これが不遜であるか、冒涜であるか、あるいはまた『聖書』の歴史的な権威を無視した挙であっか、それはすべて知らない。当時、私はただただこのやみがたい一個の要求に駆られて、ここに至らざるを得ないことを知るだけであった。それなのに私の欣求ごんぐは空しくなかった。私は親しくわが内なる光において天地の大霊に接し、そうしてこの心証の直接の一つのしょう[仏教語では修行により悟りの果を得ることをいう]として、いまさらのようにしみじみと、強くかつ明瞭に「私たち衆生はみな神の子である」という先覚の所証の一つの自覚を握ることができたのである。そうしてこの「神子の自覚」、これがすなわち私自身の不壊の生命の源であり、世の中の一切に勝ち得てあまりのある力であるが故に、私はこれを神に感謝する。私の当時のしょう[仏教語で悟りを開くこと]の内容が、機根とともに浅いことは言うまでもない。ただわたしのような煩悩具足の身をもってして、なおかつ神子の自覚にあずかることができて、初めて私たち人類が天地の間に存在する尊厳・無上の意義を悟り、そうしてまたひるがえって一切の人生問題・道徳問題・社会問題を解釈すべき最も根本的な原理が、一つにつながってここにあることを悟ったのである。そうしてこのようにしてまた自然は輝き、同胞はみな第二の自分となった。(それならば神子の自覚は、どのような意味、どのような方法において、前述の諸問題を解釈することができる秘密の鍵であるのかが、おのずから次に来たるべき提案であるが、これらの実際問題に関しては、自ら推し量らずに、おもむろに他日を期して卑見を開陳しよう。)
 
 こうして翻ってキリストを見ると、彼はもはや昔のように歪曲されず、隠蔽されず、抽象されず、分裂されず、直ちにその神人の全面目・全人格を露呈してきて、「光顔巍々ぎぎ」[お顔が気高く輝いて、『大無量寿経』による]私の前に輝き立つのではないか。先に伝説的・倫理的な高所から、その驚くべき不可解な偉大さをもって当面に私を圧していたキリストは、今や崇高・無限の威厳を、その子供のような温顔・怡容いよう[喜び楽しむ姿]につつみつつ、親しく私の手を取って、私の「病を負い」、私の「悲しみを担い」つつ歩まれるのではないか。私は再び『聖書』を繙いた。そうして見よ。先に無残にも自大な理性にむしばまれた神秘・霊覚の文字の「あるもの」は(私は「あるもの」という。私はなおある種類の奇跡や肉体の復活などについて一種のつまずき(ショック)を持つからである)、さらに新しい意義を持つ金の煌々こうこうとした文字となって、ひとつひとつ紙上に立っているという趣があるのではないか。それは単なる道徳経という以上に、永遠の神の言葉を伝える「生命いのちふみ」に変わってきたのではないか。私は今にして親しく、キリストが「私を見た者は、父を見たのである」といい、「父の他に子を知る者はなく、子の他に父を知る者はない」といい、もしくは「私は父におり、父は私におる」というような一種特絶な神秘的な自覚の消息に分け入ることができて、やみがたい同じ心の響きがひとつひとつ鮮やかに自分に応符するものがあることを感じたのである。ああ、キリストが自分を去ることは遠くなく、キリストは近くわが一念の内にある。わが心の内なる人はキリストを照らし、キリストは翻ってまたわが心の内なる人を照らした。このようにしてキリストと『聖書』とは、私のためにさらに深奥な意義・光明を着けて復活してきた。そうして私もまたきたのである。

   6

 私は以下筆を洗って、さらに詳らかに私の見神の内容・意義・価値・影響及び方法などについて陳述し、かつこれに関する世の中の誤解についても述べたかったが、思う所があって一切を沈黙に付することとした。読者は、あるいはこれを了解していただけないだろうか。私は黙した、けれども活きる神は、その偉大な沈黙をもって、永遠から永遠に語られるのである。

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