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高山樗牛「日本主義」(「日本主義を賛す」)現代語訳

 明治政府の欧化政策に対する反動として、明治20年代以降に、ナショナリズムの思想の台頭がみられた。たとえば、①徳富蘇峰・山路愛山らが、雑誌『国民之友』を発行して「平民主義」を、②三宅雪嶺・志賀重昂らが、雑誌『日本』を発行して「国粋(保存)主義」を、③陸羯南が、新聞『日本』を発行して「国民主義」を提唱したことなどがある。
 高山樗牛らの「日本主義」も、やや時期的に遅れるが、このような潮流の一つに位置づけられる。明治30年5月に、井上哲次郎・元良勇次郎・湯本武比古・木村鷹太郎・竹内楠三を発起人として大日本協会が結成され、雑誌『日本主義』が創刊された。同年6月に高山樗牛は、編集主幹に就任していた雑誌『太陽』に「日本主義を賛す」を発表した。実はこの稿には、異稿が存在する。樗牛が、明治32年1月に刊行した評論集『時代管見』には『太陽』に掲載された稿の原形にあたる「日本主義」(明治30年5月稿)が収録された。両者の一番の違いはタイトルで、それ以外は段落の設定と語句に若干の相違がみられるだけである。このことが起こったのは、大日本協会の発起人ではなかった樗牛が、実質的にこの運動の指導的役割を担うように変化したことが影響していると考えられる。
 樗牛は、33年、独仏伊の三か国に留学することになったが、出発直前に喀血し、翌年には留学を辞退することになった。樗牛は大きな挫折に直面し、結核によって自らの生に死の影が色濃く差すのを覚えたであろう。この経験の中で樗牛はニーチェの思想に救いを求めるようになっていった。樗牛の離脱により日本主義の運動は終焉を迎えることになった。

 高山樗牛の全集に収録されていることを考慮し、この現代語訳では「日本主義」をとることとし、底本として『高山樗牛集 姉崎嘲風集 笹川臨風集』(現代日本文学全集 第13篇)、改造社、昭和3年11月刊行を用いた。

「日本主義」

高山樗牛 著、上河内岳夫 現代語訳

 本邦文化の性質をよくよく考え、宗教及び道徳の歴史的関係をつまびらかにし、あまねく人文の展開の原理に徴して、国家の進歩と世界の発達とにおける特殊と普遍の相関の理法を認め、更に本邦建国の精神と、国民的な性情の特質とに照らし合わせて、我が国家の将来のために、我々はここに日本主義を唱える。

 日本主義とは何か。それは、すなわち国民的特性に基づく自主独立の精神によって、建国当初の抱負を発揮することを目的とする道徳的原理である。

 そもそも国家の真正な発達は、国民の自覚心に基づかなくてはならない。国民の自覚心は国民的特性の客観的認識を得て初めて生起することができ、しかもこのような国民的特性は、詳細な歴史的、あるいはまた比較的な考察によるのでなければ、認識することができない。我々のいわゆる日本主義は、決してかのひとえに己れを立てて他を排そうとする狭隘な主我的反動と同日に論じるべきものではないのである。我が国の歴史があってからここに二千六百年、中ごろに誤って外来の文化を過度に重視し、国民の性情を蔑視したことから、建国当初の精神は不幸にして十分な発展を見ることができなかった。今や十九世紀の人文の高潮に乗って、明治聖代の余沢を享受して、ここに中正な国民的意識の中に、我が日本主義の唱道を見るに至ったのは、我が国の文化史上において一新紀元を画したものと言えるだろう。

 我々は、我が日本主義によって現今の我が国における一切の宗教を排撃するものである。すなわち宗教を、我が国民の性情に反対し、我が建国の精神に背戻し、我が国家の発達を阻害するものとするものである。我々はもとより世界一切の民族に向かって、彼らの宗教を放棄せよと勧めるものではない。ヨーロッパの文明史上における宗教の職能は、むしろ甚だ炳然[明らか]に過ぎるのである。かの科学との衝突をとらえて宗教の有害を説くといった者は、人文発達の一面における道徳の意義を理解しない徒のみである。されども我々は次のように思う。今日の多数の宗教徒が盲信するように、宗教は決して人類に先天的なものであることを必然とはしないだけではなく、かの宗教的民族と称する者も、知識の進捗と共にようやくその迷信を取り去って、実践道徳の原理をもって超自然的信仰にかえようとするのが、今日の世界文化の大勢であると。ましてや我が国民は元来宗教的民族ではないのである。三千年の文物歴史は、明らかにこれを証明してほとんど余すところがない。かの外国の宗教を無理に取ってきて、ひとえにこれを強いるようなことは、いたずらに国性にもとり、民情にたがい、その結果はたまたま国家の発達進歩を阻害することに終るだけである。我々は各国の国民はその特質にしたがって、その発達の制約を異にすべきものであることを確信する。

 そもそも宗教とは何か。要するにこれは、現実生活の自然的経過によっては到達することができない一種の超自然的理想を思慕し、あるいは超理論的方法によってこれに到達することができるとする所の一種の信念ではないのか。このような信念が、哲学上容認できるものかどうかについては、我々はここでこれを説明しない。また一つの社会的現象として、ある民族間における人文の進歩に裨益する所があったことは、もとより疑いを入れない。されども人種の異同を分けず、特性の差別を顧みず、建国の精神がどうであるかを考察せずに、彼に施した所を直接に我に当てはめて、彼と一様の結果を収めようと要求することは、無謀も甚だしいのではないか。インド・ヨーロッパ民族は、元来宗教的な熱情が豊富な点において、世界に多くその比類を見ない所で、形而上学と超自然的宗教を抱合する彼らの古神話は、ずっと以前からまさに来たらんとする後代文物の性質を予告していた。あるいは宗教が、彼らの文学、美術から社会的生活、はたまた国家的生活の上に及ぼした勢力が、至大で至深なことになると、我々がほとんど思い及ばない所である。我が国民にあっては、すなわちそうではない。古事記の一篇は、むしろ歴史であり、神話ではないのである。よしんばいわゆる日向人種[古代の日向神話に登場する人]がインド・アーリア族のために駆逐されたドラビダ人[ドラビダ語族]もしくはドラビダ人と交渉したある一派のツラン人種[ウラル・アルタイ語族]であるとしても、ヴェーダ的神話と古事記との比較は、ますます明らかに我が民族的性情における非宗教的な同化力の強大さを証明するものではないか。もとより多少の迷信の、我が国の習俗の間に存在するものがなかったわけではないが、されども一つも宗教的発達を遂げることができたものはなかった。仏教はこれら幾多の迷信を吸収して、国家の権力の下にほとんど強制的に伝播されたけれども、すでに大陸ツラン人の間にその特殊性を失うことが少なくなかったインド・アーリア的な超世、虚無の宗教観は、果たしてどのくらいの根拠を我が国土の中に持つことができたのであろうか。顕密二宗の幽玄な教理は、祈祷修法の現世的行事を別にして、何ごとを我が邦人に教えることができたのだろうか。浅薄な厭世思想と冷淡な形式主義とによって我が文化の発展を妨害した事実を別にすると、仏教の勢力は果たしてどこにあったとするのだろうか。一双の活眼を打ち破って、上下二千五百年の歴史を通観してくると、必ずやこのような非日本的文化の強固な牽制に対する、国民の意識的、あるいは無意識的な反抗を至る所に発見するであろう。

 西洋人は、ややもすると我が国民を仏教徒とする。されども私たちは疑う、真に仏教の精神を奉じて人生の理想とする者が、果たしてどのくらいいるだろうかと。かの黒い法衣を着て、経を手にする者と言っても、果たしてこの信念を持つ者はあるだろうか。一種の衝動的な迷妄に駆られて、いわゆる浄財を木偶売僧に献じるのをこととする者は、未だもって仏教信者と言ってはならない。一種の社会的形式に束縛されて、祖業を継承してその頭を丸くして、その衣服を黒い法衣にし、口に仏教を唱え、手に仏典を持つ者は、未だもって仏教徒と言ってはならない。あわれ今日仏教と呼ぶものは、ほとんど空虚な形式主義ではないのか。仏教徒と呼ばれる我が国民で、真に仏教の信仰に依拠して、その思想行為を規定する者は、果たしてどのくらいいるのか。形式は無を変えて有とする。しょせん仏教は決してこの国民的性情の中に根拠を持つものではないのである。

 キリスト教といったものもまたその通りである。宿悪と言い、贖罪と言い、霊魂不滅と言い、神の国と言う、その超自然的あるいは無差別思想は、まさに我が国民の性情と相反する。我が国民の思想は、元来現世的であって超世的ではない。多少は幽界の観念がないわけではないけれども、これをその活発発地である現世的思想に比べれば、もとより言うに足りないものに過ぎない。こういうわけで我が国固有の神道はすっかり現世教である。かのもっぱら未来死後を説き、もしくは超絶の世界に心を奪われるインド・ヨーロッパ的宗教の比ではないのである。

 我々は現世に生息する。諸々の改善進歩は、ことごとくみな現世についてなすべきことのみである。世間をいやがって逃れる所はなく、現世を他にして人生はあり得ない。もし世に理想というものがあるとすれば、それは現実世界の自然的経過によって到達されるべきことだけである。いやしくも我々の現世の幸福に貢献する所がなければ、一切の事物は、我々がそれを尊ぶべきゆえんを知らない。このような考えが我が国民の根本的思想ではないのか。我が国民はこの実際的な傾向を持つ点において、中国民族に類似しているけれども、しかも彼らのように保守的あるいは回顧的ではない。その国民的抱負が偉大なことは、以前から天孫降臨の事績に照らして、百代の臣民がその遺業を奉体[うけたまわってよく心にとめること]して怠らない所である。その思想はドイツ的純粋理論哲学の高遠さに乏しいけれども、アングロサクソン的常識の発達は、もっとも我が長所とする所である。その社会的生活を尊び、国民的団結を重んじ、君民一家、忠孝無二の道徳を維持するのは、現世的国民として皇祖建国の宏図[大きな計画]を大成すべき運命を担うゆえんではないのか。各国国民は各々その到達すべき理想を異にする。このようなことは実に我が国民の建国当時における一大抱負ではないのか。

 今日の宗教は、このような民族と少しも行えることがないのである。こういうわけで我が国は初めから一つの宗教を持たず、二千年の歴史はついに宗教と抱合させることができなかった。かのキリスト教徒が、はるかにその母国を離れ、その古くからの付き合いをやめて、万里の波涛をしのいで、平等博愛の教理を私たちに伝えようと考えたこと、その信じる所に忠実なことは、もとより深く多とすべきであるけれども、その無謀で無識であるに至っては、むしろ憐れんで黙殺するにしくはないだろう。

 国民的性情に一致しないものは、ついにその完全な発達を望むことができない。しかももし国民の福祉を増進する上で、多少裨益するところがあるとすると、我々は、我々の自由意志によって、これを人びとの間に広げることをよくないとはしない。されども宗教は結局国家の利益と互いに背戻するのを、どうすべきだろうか。国家は現世に立ち宗教は未来を尊ぶ、国家は差別を立て宗教は平等を説く。その間におのずから物事がかみあわないものが存在している。仏教の涅槃は、一切煩悩を解脱して、不生不滅無為寂滅の妙境であるという。たとえこのような消極的観念にとどまらず、光明大悟と言うような積極的意義があるものが存在するとしても、人生の成立に必須な実利を憎み、人欲を排して社会国家をもって仕事としないことは、もとより明らかである。キリスト教のいわゆる神の国は、一体これはどこにあるのだろうか。神の造った天地をいっさい平等無差別であるとして、国をもって民を分かたず、等しく神の子であるとなす者、あるいはまた一国の差別に執着して忠君愛国を説くことをもって、迷妄で笑うべきこととする者は、どうして国家の目的と両立することを望むことができるだろうか。今のキリスト教徒が、自教と国家主義との調和のためにしきりに弁明する所は、一切が牽強付会の説のみである。

 確かに国家は、人類発達の必然の形式である。人は一人では生息することができず、ここに必ず家族をなす。家族にして生活することができず、ここに必ず社会をなす。社会の上にさらに統治の主権を確定して、これを制御する。要は民衆の最大の幸福を企図することにある。このような理由で国家は自己の権能によって、外に対しては一国の独立を全うして、その勢威を大いに拡張し、内に対しては国民の秩序を維持して、その福利を増進させることに務める。これが人類発達の必須の条件である。かの人道、もしくは人類的情誼なるものは、今日の人文の進歩に伴う諸般の交通の連合によって、やや発達してきたけれども、これはやはり国家の完全な成立とともに初めてその萌芽を発したもので、国家的道徳を他にして別に人類的情誼といったものはないのである。かの人類的情誼の最高の標章として認めるべき国際公法といったものも、これを執行する主権がないことから、所詮は各国民の高尚な道念に訴える他はないのである。そうしてこうような道念は、国家の完全な統率の下においてするのでなければ、決してその発達を見ることができないのである。

 これを要するに、現実界における一切の活動は、それが国家的であることにおいて最も有効であるとする。国家は人生を寄託する必然の形式であって、またその主上の権力である。今日において世界的王国の成立の望みがないことは、なお「神の国」( Civitas Dei )を現世に見ることができないようなものである。もし平等というものが、現われる日があれば、それは万物の発達の原理である、差別の中においてであろう。結局のところ国家は我々の生活における道徳の標準でなければならない。このような国家的主義に背戻する宗教は、国家のために排撃しないわけにはいかないことは、もとより言うまでもない。

 我々は、人文の発展が確実な道義的信念に負う所が、甚だ少なくないことを確認する。ただこのような事実を確認するがゆえに、その国民性情と国家主義とに対する利害の適否について深く心配する所があるだけである。もし今日及び将来の我が国の道徳を仏教、もしくはキリスト教の手に一任することが甚だ危険であることを認めるとすれば、我々はいったい何をもってこれに代えるべきだろうか。我々が主唱する日本主義が、すなわちこれである。

 それならば、我が日本主義の目的綱領は、どのようなものだろうか。

 君民一家は、我が国体の精華である。これは実に我が皇祖皇宗[天皇の始祖と当代に至るまでの歴代の天皇]の宏遠な鴻図[大きな計画]に基づくもので、万世にわたり臣民が永く景仰[敬い慕うこと]すべき所である。ゆえに国祖[国家を築いた人]及び皇宗は日本国民の宗家として無上の崇敬を注ぐべき所である。日本主義は、これゆえに国祖を崇拝して常に建国の抱負を奉体することに務める。我が国民は公明で快活な人民である。有為進取の人民であり、退嬰保守と憂鬱悲哀は、その性ではないのである。このゆえに日本主義は、光明を旨とし、生々を尊ぶ。このゆえに謙譲を重んじ、禁欲を教え、厭世無為を鼓吹する諸々の教義を排斥する。万民が一つの姓から出て、上下がその心を一つにし、内に臨んでは仲のよい兄弟が互いに親しみ、外に対してはつねに国威を拡張して、古来いまだかつて外国から侮りを受けないことは、我が国民が万邦に冠絶する所である。このことから日本主義は、平時にあって軍備を怠らず、ますます国民的団結を強固にすることに務める。されどもみだりに己れを立てて他を受け入れないものではなく、国内を修めて海外に臨み、与国とともに永遠の平和を享受することを希求する。このゆえに日本主義は、世界平和の維持に務め、進んで人類的情誼の発達を期す。そうして要は我が国の建国の精神を発揮し、我が国民の大抱負を実現しようとすることにある。

 そもそも信仰はこれを内に啓発するべきで、これを外から襲用[受け継ぎ用いる]するべきではない。日本主義は、今日我々が創造したものではなく、国民の三千年の歴史的検証に基づく確実な自覚心の最も明瞭な発表に他ならないのである。その由来する所は、深く国民の特性に根拠をもち、遠く建国の精神に淵源があり、牢として抜くことができない。その漫然と外国の宗教を借りてきて補綴したものと、もとより同一に論じるべきものではないのである。日本主義は、大和民族の抱負及び理想を表白したものである。日本主義は、日本国民の安心立命の地を指定したものである。日本主義は、宗教ではなく、哲学ではなく、国民的な実行道徳の原理である。

 我々は、以上の確信によって日本主義に賛同する。請い願わくは、最も健全な国民的道徳の確立を望む者、建国の精神を発揮して大和民族の偉大な抱負を実現しようとする者、及び人道の最も忠誠な伴侶になろう思う者は、我々と共に来れ。来てそうして我々と共に日本主義を賛唱せよ。

(明治三十年五月稿)

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