あの冬、私たちはギブアップすることの大切さを学んだ。
中学高校と通った学校には、夏服と冬服があったのだけれど、衣替えの時期は明確に決められていなかった。
だいたい、みんな寒くなってくるとぱらぱらと冬服に移行しだして、気がつくと生徒たちは濃紺色の群れになっていくのだった。
あれはたしか高校1年だか2年だかのこと。
ちょうどいまくらいの時期。9月の終わりだか10月の初めだか。そんな季節のことですね。
そのときたまたま居合わせたI藤とI谷とわたしの中で、だれが言いだしたんでしょう。
「だれがいちばん長く半袖でいられるか」
そんな話になりました。どうしてそんな話になったのか覚えていない。(いや、わたしじゃなかったと思うんですよ)
しごく軽いノリでした。ジュース1本(90円だった)賭けて、そのゲームは開始されたのです。
たぶん3人とも負けず嫌いだったんでしょうね。
10月が過ぎ、たしか11月に入っても、だれも冬服になりませんでした。
(でも風邪もひかなかった)
3人とも電車通学です。
学校は都心にありました。
寒風吹きすさぶなか、半袖で登校している女子高生を見る大人たちの視線も心なしかひんやりしていたように思います。
家を出る際には家族にも「いったいなにをやっているんだ」と声をかけられました。
学友たちにも不評でした。見ているだけで寒い、と。
わたしは大変寒がりです。
寒いのはきらいです。寒いだけでかなしくなってしまう。冬はお布団から出たくありません。
11月に半袖で生活するなんて、正気の沙汰とも思えません。
正気じゃなかったんじゃないですかね。
秋が深まり、冬が近づいてくるころ、3人ともなんとなく気がついていました。
だれもギブアップしそうにないってことに。
わたしは寒がりですが、ぜったいに負けるものか、と熱い気持ちを抱いていました。
それはもう、「エイリアン」のリプリーのような、「ターミネーター」のサラ・コナーのような、「バイオハザード」のアリスのような、それくらいの決意の度合いだと思っていただければ大丈夫です。
一体全体、おまえはなにと戦っているんだ、と思われるかもしれませんが、なにと戦っているって、自分と戦っています。
技術や体力や知力のせいで負けるのはわかります。鍛錬の足りなさで負けるのは納得できます。が、同じ条件で、あとは意地だけが勝敗を左右するのなら、それはもう負けられない。
わかります?
だから寒空の下、半袖で元気に登校しました。
道行く人に二度見されようとも、友人に「見てて寒い」と苦情を寄せられようと、先生方に「冬服にしなさい」と言われても。
今年はもう冬服の出番はないかもしれないな。半袖で年越しか。
…………と、思い始めたころ、
I藤とI谷とわたしは先生に呼び出されました。
そして、
「明日から冬服を着てくるように」
というお達しが正式に下されたのです。
学校命令? はじめての呼び出しの内容が「半袖やめなさい」なんていう馬鹿らしいやつ??
いまならわかる。先生たちだって、そんなくだらない用件で生徒を呼び出したくなかったに違いありません。ごめんよ、先生。
(そして、これを書いているときに思い出したんですが、呼び出した先生はわたしの高校3年のときの担任だった方なんですが、これはもしかして高校3年生の時の話なんでしょうか。1年や2年じゃなく? 高3の受験間際にこんなことしてたんですか? いや、まさかね。はは)
翌日、冬服を身にまとった我ら3人は、それぞれ自分のお金でジュースを買いました。
冬服は暖かかった。
やっぱりね、冬には冬の、夏には夏の装いってものがありますよ。
季節に沿った装いは大切です。
小学生の体育の時間では冬でも半袖半ズボンの体操着着せられてましたけど、あれなんなんですかね。寒かったです。
子どもがみんな風の子だと思ったら大間違いです。
風邪の子になっちゃいますよ、あれじゃ。
ちなみに、翌年から新たな校則が加わりました。
「10月1日にすべての生徒は冬服に衣替えすること」
後輩に、「えっ、あれ先輩のせいなんですか?」と責められました。