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あの日の自分

2013年3月30日。カーテンすらない部屋の床に、コートを布団代わりにして眠った。部屋にあるのは、スーツケース一つと小さなバッグだけ。
あぁ……わたしって、所詮こんなもんなんだ……
そう思うと泣けてきた。
きっとわたしは、この夜のことを忘れない。
翌日わたしは、六年間を過ごした山口県を出た。

わたしが山口に引っ越しをしたのは、大学四年生の卒業式前だった。
あとは卒業式を残すのみ……という時期に、引っ越しをした。大学の同期の中でも誰よりも早い引っ越しだった。理由は、就職した会社の年度始めが3月だから。
「今年の新入社員は優秀だから」
そんなふうに言われて少し得意な気持ちを抱きながら、3月1日に入社式に出席した。就職先は、県内では大手と言える学習塾だ。入社前からハードな研修が行われ、入社と同時に即戦力とばかりに現場に放り出された。

それまでのほほんと生きていた大学生が、いきなり子どもの前で「先生」として授業する。それがどんなことか、想像できるだろうか。もちろん子どもたちに授業をするための研修は事前に受けていたけれど、研修と本番は全く違う。それまでは、大人の前でしていた授業を、生の中学生の前でする。不安と緊張の中で行われた初めての授業は、失敗に終わったと言っていいと思う。以後一年間、このクラスの生徒たちは、わたしの言うことを素直に聞くことはなかった。

新入社員の一年間は、とにかく必死だった。毎日繰り返される研修という名の模擬授業で、先輩や上司に授業の構成・やり方・進め方・話し方……ほぼ全てにダメ出しをされ、練り直し、やり直しをして本番の授業に挑む。研修中に泣き出してしまう同期や心が折れてしまい仕事を辞めてしまう同期もいた。そんな中でも気の合う仲間たちと協力したり励まし合ったりしながら、色んな山を乗り越えた。
一つ授業を終えるたびに、一つできるようになった。
授業をするたびに、生徒たちとの信頼関係も少しずつ築くことができた。
あるクラスのその年の最後の授業のとき。授業終わりで生徒たちが突然立ち上がって声を合わせて「一年間ありがとうございました」と言ってくれた。週に一度会うだけのわたしに、まさかそんなことをしてくれるとは思わなくて、泣いた。毎週教えたのはその一年だけだったけれど、その後に会ったときに「先生たちはずっと見守ってくれてるんだね」と言われて、また泣いた。

こんなふうに書くと、わたしの社会人一年目はずいぶん充実したものだったように見えるかもしれない。もちろん楽しいこともたくさんあったけれど、同じくらいたくさんつらいこともあった。なかなか生徒たちに心を開いてもらえなくて、生徒や上司の信頼を得ている同期が羨ましくて、悔しくて泣いたことも一度や二度ではない。同じような研修を受けているはずなのに、メキメキと上達をしていく同期となかなかうまくならない自分をいつも比べていた。

二年目に入ると、その差はさらに大きくなった。より大きなクラスを任されたり、上司をサポートする仕事を任されたりする同期も出てきた。考えてみてほしい。上司をサポートする同期をサポートするわたし。わたしの自己肯定感はだだ下がりだ。自分は、どんなにがんばってもあの人と並ぶことはできないんだ。そんなふうに思うことすらあった。

あるとき、全社員の集まる食事会で社長と話すことがあった。小さな会社だったので、普段から挨拶をしたりほんのちょっと立ち話をしたりすることはあったが、膝を突き合わせて話をする機会はなかなかなかった。

「最近はどげぇか」

強い山口弁で、社長はわたしに聞いてくる。

「楽しくやらせていただいています」

社長の空いたグラスにビールを注ぎながら笑顔でわたしは答えた。

「悩みはないか」

そう聞かれて、思わず言ってしまった。

「他の同期と比べて、自分が全然ダメで……」

言いながら胸の奥がぎゅっと詰まって、涙が浮かんでくる。どんなにがんばっても自分は、同期たちのようにはなれない。彼ら、彼女らのように上司の信頼を得ることもできない。自分が情けなくて、悔しくて、同期たちが羨ましくて……。
一度、そんな思いが浮かんできてしまったらもうダメだ。わたしの目からは涙がポロポロとこぼれてしまう。泣いてしまう自分も情けなくて、余計に涙が出る。

「なして比べる必要があるんか」

涙を流すわたしに、社長はきっぱりと言った。

「比べる必要なんかない。お前にはお前のいいところがあろうが」

はっとした。同時に、自分のことを知っていてくれたんだと思って、さらに涙があふれた。
確かに、同期たちを慕う生徒もいたけれど、「先生がいい」と言ってくれる生徒も同じくらいたくさんいる。わたしは、わたしでいいんだ……。

それからは、つらい研修があっても、辞めたくなるような酷いことを言われても、生徒と過ごす楽しい時間を支えに、社長からもらった言葉を胸に日々を過ごした。後輩ができて、自分が指導する立場になったときも彼ら、彼女らの良さを伸ばすことができるように心がけてた。そうしてやってきた六年目の冬。「この会社でできることはもうない」そう感じて、退職を決めた。

最後の一年間は、わたしのことをよく思っていない上司と組んでいた。必要最低限の会話しかせず、自分がまるでいないような空間で過ごしていく中で、わたしの心は徐々に死んでいった。今思うと、鬱になる一歩手前だったように思う。毎日、アパートの部屋に帰る階段を登りながら消えたいと思っていた。家の近くにある踏切の音がすると、いっそ飛び込んでしまえたらと思うこともあった。

最後の夜。一人でガランとした部屋にの転んで、夜が明けるのを待ったあの夜。自分が何よりも惨めで、誰かに声をかけたくて、でも声をかけることができなかった。そうして翌日、逃げるようにして山口を出た。

その後、わたしは実家に帰り、司書資格を取得して今に至る。あのとき、社長に言われた言葉は、今もわたしの支えの一つになっている。
何度か山口に遊びに行く機会もあり、当時の先輩から「〇〇さんが『あなたは良くやってくれていたんだね』って言っていたよ」と聞いた。そのときは、泣きそうなくらい嬉しかった。自分が死にそうな思いで過ごした最後の一年間が、その言葉だけで報われた気がした。

今、わたしは当時の仕事とは全く関わりのない仕事をしている。けれど、一年目の厳しい研修に耐えた自分、同期と自分を比べて惨めな思いをしていた自分、社長に励まされて泣いた自分、消えたくなるような日々を過ごしていた自分……そんな自分が積み重なって、今のわたしがある。

あの日の自分がいるから、今の自分がいる。

あの日の経験を糧に、これからも一生懸命日々を過ごしていこうと思う。

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