「面白いから」で、リスクを選択すると、大抵失敗するよね。という話なのか
なんやかんや、マジョリティに染まることをカッコ悪いと感じる世代の私ですが、
そんなパンクな精神を持ってても、やっぱり、「王道に敵うものはない」というか、
「みんながそうだと言ってるんだから、そうなんだ」ってもんは、あるんだと思うのです。
それが、命が関わる選択なら、さらに。
大衆側の意見を採用すべきなのだ。
という話であります。
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もう、何歳の頃の話なのか、記憶は定かではないのですが、私が小学生の頃
母親と、四つ上の姉と、私の3人で、小旅行に出かけたのです。
地元の青森を離れた岩手まで。
うちの母親は、平野レミをそのまま写し紙で模写したような人なので、
なんでも反射神経で決めてしまう人で、その小旅行も、なぜ急に行ったのか思い出せず。
そして、そんな母親は、その旅行中に、「山に登りたい!」と思いついたのでしょう。
車でドライブ中に、突然、岩手の「早池峰山」という山に登ることになりました。
その時、姉は、六年生か中学生だったか、そのくらいだったように記憶してます。
すでに思春期を迎えてるわけで、そんなお年頃の女の子は、登山をしたいわけもなく、「車で待ってる」ということで、
早池峰山へチャレンジするパーティーは母と息子の2人になります。
しかも、その場の思いつきで決めたことなので、着替えも、飲み物も、疲れた時に食べる甘いものも、何もありません。
それでも、母と息子は、意気揚々と登り始めます。
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登山を開始してまもなく、息子は言いました。
「どちらが早くテッペンまで登れるか競走しよう」
母と息子は、そろって、ふと見上げると、周囲に比べて、一際、岩がそそり立っているところが遠くに見えます。
息子は続けます。
「あそこが頂上に違いない」
「僕はこっちの道を行った方が近いと思う」
その道は、順路を外れた獣道です。
母は、「まぁ、今日は、晴れてるし、頂上ももう見えてるから大丈夫だろう」と、タカをくくっています。
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「じゃあ競走ね!よーいドン!」
少年は、順路を守る母を置き去りに、走り出します。
獣道であっても、なんのそのです。
「絶対、先にゴールするんだ!」
少年は元気です。
少し行くと、急な坂になります。
それでも、少年は、元気に走り続けます。
坂はどんどん急になって、手をつかないと登れなくなりました。
でも、それは、頂上が近い証拠です。
最後の難関さえ乗り切れれば、1番を取れるのです。
少年は、手で地面を掴んで踏ん張り、足を蹴り上げて登り続けます。
よし!よし!
もうすぐで、あの遠くに見えたテッペンまでいけるぞ!
勝った実感がある!
絶対こっちの方が速い!
少年は一気に駆け上がりました。
駆け上がったのですが。。。
そのテッペンについて見上げると、更に上に、山がありました。
そして、そのテッペンから見下ろすと、少年が来た道は、、、
いや、もはや、それは「道」ではなく。
崖でした。
少年は、足がすくみ、ことの重大さを知ります。
ここは、人が立ってはいけないところだ。
。。死。。
という感覚が襲ってきます。
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さて。
晴れて立派な遭難者となった少年(つまり私)でしたが、
それでも、今来た崖に向かって駆け降りる勇気はありません。
当時はスマホなどありませんでしたから。
その場で「おかーさーん!」「たすけてー!」と叫んでも、その声が響くのみで、返事もなく。
泣き叫びながら、切り立った崖を、比較的ゆるやかな場所を選びながら、植物の蔦を握りしめ、登っていきました。
登った先が、たまたま、順路に近かった地点だったのでしょう。
他の登山者を遠くに見つけ、大声で助けを求め、駆け寄りました。
その方に事情を説明すると、熱いお茶を恵んでもらい、
また、その親切な方は、おそらくその順路を通るであろう母に向けて、メッセージを書いた手紙を岩にくくりつけてくれました。
「シゲアキは山頂にいます」
というような内容だったと記憶してます。
わたしは、その親切な方と一緒に登頂しました。
登頂後には、管理人(という呼び名が正しいのかわかりませんが)のいる山小屋に連れて行ってもらい、
そこでその親切な方とは、お別れしました。
そこから先は、よく覚えていません。
なんやかんやあってから、管理人の方と一緒に下山をはじめ
少し降りた先で、ぶじ、母親と出会うことができました。
まだ、雲が下に見えるほどの高さだったと思います。
2人とも泣きながら抱き合ったと思います。
その後、母親は、管理人から、ずいぶん叱られていたと思います。
「かがみで山に登るなんて」
というようなことを言われていたのをずっと覚えています。
これは、後年になって、登山をする知人に、このことを話しした際、「空身(からみ)」(何も持たずに登山すること)であったと、発覚します。
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かの大震災の際、津波被害を免れた集落の話があります。
昔の人の建てた石碑に刻まれた「此処より下に家を建てるな」という教えを守ったのだと言います。
思春期には、大人のいうことを聞きたくないものだと思います。
ここぞという決断の時、選択を迫られた時には、「リスクがあっても、面白い方を選ぼう」ということも人生を送る上では大切なチャレンジかもしれません。
ただ、私は声を大にしていいます。
山に登りたいなら、前もって準備しよう。
決められた順路を守ろう。
安牌で行こう。
リスクヘッジして行こう。
自分の身は自分で守ろう。
幼い頃に選択を失敗した経験があるからこそ。
これは、私の人生の教訓になりました。
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最後に。
あの日あの時、私を救ってくれた親切な方。
本当に感謝しています。
管理人の方にも、名も名乗らずに去っていったと聞いています。
もし、あの時出会わなければ、私は、一か八か、崖から飛び降りて下山すれば母親に会えるかもしれないと考えて、血迷った選択をしていたかもしれません。
この場を借りて、お礼申し上げます。
本当に、ありがとうございました。
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