シャングリラに捧ぐ。(読書感想文)

どうしてもどうしても、感想(という名の強い幻覚)が書きたくて色々すっ飛ばしての1回目の記事です。
よかったら暫しお付き合いください、よろしくお願いいたします。

「流浪の月」にて本屋大賞を受賞した凪良ゆう先生の受賞後第1作
「滅びの前のシャングリラ(中央公論社刊)」

機会をいただいていた筈なのにチャンスを逃しプルーフは読めずじまいで、店舗に届いた試し読みの小冊子を読んでは発売日を心待ちにしていた…仕事そっちのけの読者のひとりでした。

試し読みの小冊子を開いた1ページ目の言葉とあらすじに目を見張るものがありました。

「明日死ねたら楽なのにずっと夢見ていた。
 なのに最期の最期になって、
 もう少し生きてみてもよかったと思っている。」
「1か月後、小惑星が衝突し、地球は滅びる」
荒廃していく世界の中で、四人は生きる意味を、いまわのきわまでに見つけられるのか。
滅びゆく世界の中で、幸せについて問う傑作。


なるほどそういう話なのね、把握把握。と軽い気持ちで理解したつもりの当時の自分を平手打ちしたいと今なら思う。
そして、小冊子を手にした当時の率直な感想に加えるなら、
そりゃ1か月後に地球が滅びるというならそう思いもするだろう…なんて、この部分だけを見てそう思った、に留まるけれど、その後に続く凪良先生の問いかけは、本が発売するまで…否、本が発売してからも私の中で深く考えさせられるひとつのテーマになっている。
小冊子の中の、先生の直筆メッセージを引用させていただくのですが、
(これアウトだったら申し訳ありません…。)

「死」は本当に「絶望」とイコールなのでしょうか。
そこに「光」はないんでしょうか。
見つけた「光」は本当に「光」なんでしょうか。
それは「欺瞞」ではないんでしょうか。
「欺瞞」だとしても、それがなんなんでしょうか?


初見では、私はこの言葉の意図するものが何か全く分かっていなかったし、未だに理解は出来ていないと思う。
滅びゆく世界の果て、抗うことなど不可能で絶対的に迎えなければならない「死」が絶望以外の何者になるのか、そもそも「光」とは?「欺瞞」とは??
登場人物たちはその世界の中で何を見つけ、手にし、手離すのか…そして、最後はどうなってしまうのだろうか。
(凪良先生の話だから、地球消滅は間違いなく免れられないんだろうな…)
そんなことばかりは試し読みができる冒頭本編33ページに目を向ける前から変な確信があったけれど…結末がどうなるかは、まだ読んでいない人はその目でしっかりと確認してほしい。

現在、今のところ私たちが住んでいるこの地球は小惑星がぶち当たったりして突発的に滅びる予定は無さそうだけれど、その代わりではないけれど、私たちはコロナという病の下、これまでにない事態の中でしんどさや疲れを抱えながら生きている。
冒頭の、「明日死ねたらー…」あの言葉のようなことを思いながら生きている人は少なくない筈。
でも、この話を読んだとき、ほんの少しでもきっと今見ている世界への見方が変わる…変えられてしまうと私は思っている。(押しつけは良くないけれど、私はそうだった。)
是非、手に取って読んでほしい。
あなたの目で、終わる世界で生き抜く四人の姿を確かめてほしい。
彼らが、彼女たちが終わり行く世界の中で何を見て何を掴んだのか、あなたの目で確かめてほしい。






さて。
ここから先は、ネタバレを含みながら、上記の先生の問いかけに対して私なりに考えたことを書き綴っていくだけなので、もし暇な時間がありましたらもう少しお付き合いください。


「滅びの前のシャングリラ」
読み終えてまず私がしたことは、オタク故の?調べてみるというところからだった。…いや、何となく意味合いを知っているだけ実は勘違いして言葉の意味を憶えているということは往々にしてあることなので、シャングリラの意味から改めて調べてみまして。

シャングリラ
意味:理想郷、桃源郷

世界が滅ぶ前の理想郷…?滅ぶことが前提なのに、理想郷ってあるのか…?と、単純に思ったワード第一位でした。
滅ぶ前の理想郷と書きながら、頭に思い描いていたのは世紀末なのですが…いや、この世界には北斗神拳の使い手は出ない筈。など一瞬でも脱線して思ってしまったなど口が裂けても言えない。(そもそも彼の地が理想郷なのかどうかという話であり。)
でも、世界が終わるというならばやはり世紀末のか…。

…話が脱線しましたので元に戻りまして。
滅びの前に、理想郷があるとするならば、その理想郷とは一体何なのだろう?
これこそ、凪良先生が語ってくださった、

「死」は本当に「絶望」とイコールなのでしょうか。
そこに「光」はないんでしょうか。
見つけた「光」は本当に「光」なんでしょうか。
それは「欺瞞」ではないんでしょうか。
「欺瞞」だとしても、それがなんなんでしょうか?

この言葉に帰結するものなのだと思う。
これは、究極の問いかけではないだろうか?
もしかしたら、もしかしなくても自分の人生観や価値観をひっくり返されるのではないか?って私は思ったのです。
言い換えるなら、これは

「死」から「希望」は見いだせないものなのか、
「死」は「闇」でしかない?
生きる中で見つけてきたもの、手にしてきたものは本当にあなたの「光(生きる意味)」だった?
それは「(自分を納得させたいだけの)イミテーション」ではなかった?
だとしても、それがあなたを生かす意味だったなら、それって一体どういうことだろう…あなたがこの世界で掴んでいるもの、掴もうとしているものって一体何だと思う?

…当方強めの幻覚をキメているため、こんな風に受け取ったりしました。
解釈違いかもしれないけれど、もしこうだとしたら自分の人生いろいろ疑いたくなりません…?自己肯定感が低すぎて考えているうちに胃酸が沸き上がってきた人がいたら私と握手しましょう…人間という仕事を与えられて結構な時間が経っていますが、自分の人生、何なんだろうと久々に真剣に考えたかもしれません、うん。
(否、この本に出会うまで、あることをきっかけに割と希死念慮が強まっていたので、本当に深く考えさせられました。)
凪良先生の言葉の示すものが何なのか、考えながら読むのもまた一興だと個人的には思います。

そしてもうひとつ、私がこの話を読みながら感じたのは、ふわっと聞きかじっただけの「パンドラの箱」の物語でした。
あらゆる災厄が詰まったパンドラの箱が開き、人々は絶望に暮れる…そんな話だったよなー…くらいの、本当にふわっとした記憶だったためこれも簡易ですがWikipedia先生に聞いてみました。
気になる方は下記リンクをご参照ください。(多分先に書いた内容の解釈は間違いではない…かと…)

もうひとつイメージしたのは、ノアの箱舟ですが…ちょっと割愛します。
(私の語彙力が足りないのと、ちょっと解釈違いを起こしそうなので…)

何故、この話を思い出したかといえば…この話を知っている方はピンとくるかもしれませんが、パンドラの箱が開いてあらゆる災厄が溢れ出た後、箱の隅に残っていたのは…「エルピス」
諸説あるようですが、これを「希望」と意味するのが有力なのと私もう解釈しています。

小惑星が落ちてくるということは、まさにパンドラの箱が開いたという状況なのではないだろうか?…もしくは、地球がまるごとパンドラの箱に飲み込まれてしまったような、そういう状況では無いのか?と私は想像しました。
ただ、その中で…作中の彼ら、彼女たちは自分たちにとっての「エルピス」をどんな状況であれ見つけ、掴んだのだと思いました。
…でもこれは、パンドラの箱が開かなければ、小惑星が地球にぶつかることが確定しなければ巡り合えないことで。
そうなると、考えますよね。

これは果たして「悲劇」なのか。
それとも「喜劇」なのか。

どう捉えるかはひとそれぞれだと思います。


でも、私はこの事をただ悲しい、お涙ちょうだいで締めくくるのだけはしたくないなぁ、と感じています。
だって、それだけではなかったじゃん。
最期の最期、彼らの眼差しは絶望に染まってなかったよね。

友樹は好きな女の子と、その女の子が好きなアーティストのライブではしゃいでいたし
もう殺さなくてもいいという人を手違いで殺してしまった信士は、奥さんの隣でビールとおつまみ片手にその二人を見つめていて
女手ひとつで子どもを育てる反面、人並みの幸せを与えられなかったと心のどこかで悔いていた静香は旦那に息子…その息子の未来のお嫁さん(仮)と家族団欒の中にいた
そんな彼らの視線の先で歌うLocoは…路子は、自身の音楽の始まりである地元で、大事なひとたちと共に音を奏で、命が尽きる絶望よりも歌うことの歓びを声に託した

これを希望と呼ぶのはおかしいだろうか。

そんなことは無いと、私は思う。
限りある時間、限りある命の中でそれを(そう思ってはいなくても)全うするって、自分らしく生ききるって…そうできることではない気がするから。
やっぱ、すごいと思う。

でもね、どうしても涙は出てしまうんだよね。
見たいと、願ってしまうのだ。
「エルピス」を得た彼らが歩む、未来を。
(話中に起きた出来事を思えば、現実問題アレとしても…そこはちょっと、目を瞑って。)
涙が出るのは、彼らの選択を否定してしまうことなのかもしれないし、こっちの世界に住んでいて彼らの姿を傍観させてもらっているが故のエゴなのかもれないけれど、その中には悲しみと悔しさが混じっているとも感じている。
物語を前に、私はいつも無力だなと。(いや、そうなんだけどね)

彼らの生き方は、選択は、
小惑星が地球に衝突でもしなければ、選ぶことも得ることも在ることも出来なかったのだと思う。

でも、だけど、彼らはようやくそこに辿りつけたんだ…頼むから小惑星、軌道を変えて元居た場所に帰ってくれないかな…おまえはここにいていい子じゃないんだよ…とか、スーパーサイヤ人でもワンパンマンでもドラえもんでも誰でもいいからこの小惑星どうにかしてくれよドラえもん道具だしてよ…頼むよ……って、駄々っ子みたいにこねてしまうのだ、わがままを叫びたくなるのだ。

でも、それだけでは前に進めないことも知っている。
だから、私は彼らとの出逢いを糧にさせてもらおうと思う。
私は、こっちの世界で生きているのだ。
恐らく、1か月後に小惑星が地球にぶつからない世界で。

そんな世界も、今は色んな事が起きていて、そうでなくても個人的には儘ならない毎日を過ごしている(仕事とか仕事とか仕事とか私事とか)…だからこそ、彼らの生きた様を思い浮かべ凪良先生の綴られた言葉への答えを、自分なりの答えを探しながら生きてみようと、この世界で生きることが彼らへの餞になるのだと、思い込みたい。

もしかしたら…もしかしなくても、
私が生きている今日は、彼らが生きたかった明日かもしれないから。



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好き勝手書き散らかしました楽しかったーーー!!!
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