風の谷のナウシカ(漫画版)を読んだ感想

「おいおいアニオタのくせにナウシカ読んだことないのかよ」

脳内の片隅から入るセルフツッコミが大変やかましいが令和3年になってナウシカ原作を読んだ。アニメ版はテレビで散々観た。ジブリ美術館は一回だけ行ったことがある。

徳間書店のアニメージュで連載されてた本作品、私は本誌上でやってたアニメキャラクター人気投票(月間)で毎月ヒロイン一位をとっていたことしか知らない。

今回びっくりしたのは全七巻のナウシカ原作版が、一冊あたり500円だったこと。1500円くらい取ったらどうか。誤字がちょいちょい残ったままなのは雰囲気を残しているからか(1巻は150刷)

さてともあれここからネタバレ有りの感想。

映画と全然違うやん!アニメ観たときに、これ全然話解決してないよ?と思ったことはやっぱりそうだったというか。トルメキアは出てて土鬼が出てない時点でナウシカって物語はもしかしてあんまり始まってないですよね。何かいい話だなあとは思ってましたけど。アスベルとナウシカ接点めっちゃ薄かった。

昔のツレが「あれはオープニング」って言ってたのマジだった。正月に放送してたナウシカ歌舞伎を観た時に「こんな話なのかぁ~」と思ってたけど本当にそんな話だった。歌舞伎めっっちゃ頑張って舞台化してた。土鬼の雰囲気とかめちゃめちゃいい雰囲気出てたよ!?歌舞伎アレンジのサントラ出たら買いますので売ってください。

思った以上に割とずっと戦争してた。途中、戦争にうんざりして5巻あたりで「もう人類大海嘯に飲まれて滅亡すればいいのに」って思ってました。

戦争ってナウシカも言ってましたけど「敵と味方」みたいに分けると燃やし尽くすしかなくて、本当に難しいけど憎しみを自分の身のうちで止めないと連鎖が止まらないんですね。虐殺とか略奪を普通にやってるのとで文明としては今我々が生きている時代からすればヨーロッパの中世とかそんなところだと思われますが…(エンジンとかは発掘できても作れないし。辺境では家内制手工業が主体で、工房都市ではもしかしたら工場制手工業ではあったかもしれない)。

そんで、人間の寿命って(恐らく作中では)40~50代がメイン寿命で、なんとかして連鎖を止めるためにその考え方を新しい命(時々作中にも出てくる血気盛んな若い衆)に引き継いでいかないといけない。人の寿命が短くて情報の伝達が限られるところほど年寄りの存在と言葉の意味が重くなるのはそれもあって。生き続けてきたこと自体が説得力になってる。

腐海が千年単位で地球を浄化してることを思うと、たかだか長くて百年でやんややんやと領土の奪い合いをする人類がやらかすことって急ですよね。きっと前の人類がやらかした汚染も、あっという間だったんでしょう。思い切ったら壊すのって簡単なので。スクラップアンドビルドでこの国はのし上がってきたんだ…なんて某作品の名台詞がありますが、人類のしぶとさがあるからこつこつビルドが出来るんですよね。

作中で過ぎた年月(トルメキア戦役)ってどれくらいの長さでしょう。お父さんの病気の進行やチコの実がかなり長い間残ってたことから、半年~1年ないくらい?(戦争の用意はすぐにはできない)

作中ではナウシカがその後どうなったかを知るすべはほとんどありません。後語りだとか作者の言葉だとか設定資料をひもといて、理解を深めることはできても、それは物語の続きでははないからです。あくまで我々が想像するしかない。ある意味、想像する自由は我々に残されています。希望と言い換えてもいいかもしれません。

個人的にはナウシカとクシャナ様が生きてるうちは影響力があって平和が続くと思うんですけど、その後はナウシカは宗教的シンボルになって神話になってしまうだろうなと思います。宗教は解釈によって派閥を生むので、まあそのうちちょっとした争いみたいなものが起きて…風の谷に新しい風を読むお嬢さんが生まれたみたいに、もしかしたら新しい風が生まれるのかもしれません。

作中で生きている人類が汚染に適した存在になってるから浄化がおわったら全部死ぬ件については、ナウシカは自然にあるがままに死ぬ話をしていて、これからも嘘をついて隠していくと言っています。そりゃあそうだろうなあと思いますが(全く意味のない混乱になってしまうので)、個人的には数千年をかけて浄化していくというのであれば、腐海が生まれて1000年の今から、今度は汚染された世界以外にも生きていけるよう適した人間になっていけばいいと思います。

ナウシカは心根はすごく素敵なんですけど感性で生きてる感じがするので、技術的なものはこれから人類が頑張っていけばいいんですよ。森の人が森の中で暮らすすべを得た例があるように、時間の猶予は沢山あります。ほうっておいても皆死んでしまうなら、しぶとくあがけばいい。人類が自然の中の一つであるなら、それもまたあるがままの姿なのではないでしょうか。それでも無理なら諦めて自然に還りましょう。

ナウシカの心意気が光の存在すぎて特に最初は理解できなかったんですが、巨神兵のオーマに「母の振りをして死を望んでいる」って思うシーンでちょっと分かった気がしたんですね。人間ぽさがでるというか。ナウシカでもそんな風に思うんだと。都合のいい相手に都合のいい顔してしまうこと、人生には何度かあるよねえ。

クシャナ様の存在の分かりやすさって何だろう、と読みながら思っていたのですが、多分クシャナ様は立場が明確だからじゃないでしょうか。ナウシカは姫様なんだけどどちらかというと命と風そのもののあり方を表した存在で、「結局君は何なの(姫様なの)」という自由さがあるんですが、クシャナ様はトルメキアの王女で、自分の立場を武力で示す人で、部下の信任が厚く、最終的に指導者的存在(≠王様)になります。

ナウシカは教祖になれても政治はおそらく出来ませんが、クシャナ様は権力を執行して人類が進む方向性を示すことが出来ます。思想と権力がバランス良く一体化すれば上手く行くことが見込まれます(バランスよくいけばね…)上手く行って欲しいですね。

ともあれ、全編通して思ったのはナウシカで育った人はそりゃあこんな性癖コンテンツを頭から浴びたらそれは楽しいことになりますよ。昨今で言うところのママみですよ。小さき母ですわ。

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以下蛇足

オタクの文化を取り沙汰するにあたり、1995年以降のインターネットの大攻勢と、1998年を境に誕生したレンタルホームページ=個人サイトの存在は避けて通れない。そして、数多の個人サイトは、ここ数年のレンタルホームページのサービス終了とともにまるっと消えた。管理用パスワードをすっかり忘れて消すことすら出来なかった黒歴史が消えたことを喜ぶ人もいたはずだ。いたやろ。

そんなわけで、グーグル等で検索してみると案外古い情報は取れないことに気がつく。当時の熱狂も風の谷のジジたちが語り継ぐような伝説になっている。インターネット上ではクソつまらないキュレーションサイトの「ナウシカのラストはどうなった?まとめてみました!」的な記事ばかりがUPされている。

映画の公開の1984年に20歳だったオタク(アニメマニアというべきか)は60代になろうとしている。今検索してみたらファンサイトっていうフレーズをみた。懐かしい。

ここからはさらに蛇足。クソ生意気ですみません。

漫画として読み進めていくと、一番興味深いのはコマ割りの変化だと思う。正確に言うと、コマの中に含まれる情報の違いというか。1巻2巻あたりに顕著なんだけど、1コマごとにアニメのコンテを見てるみたいな情報量になっている。アニメだとカット割りで細かい動きを伝えることがあるけど、漫画でそれをやると無限にコマ数が増える。

1巻の某シーンでは、攻撃→避けるために攻撃しかえす→敵が死ぬ→背後の柱に当たる→穴が空く→更に敵が迫る→攻撃をかわしてそこに逃げ込む という一連の場面をコマを細かく割って(B5の紙面を4段に割って12コマで表現している)描いている。アニメだったら見事なシーンなんだろうなあ…と感じた。このシーン、一番大きいところで縦が5センチちょいしかない。迫り来る蟲の迫力が出せないのだ。

一方7巻あたりになってくると、合間合間をいい感じに抜き出したコマが増えて、(7巻自体がかなり駆け足なせいもあり)展開がスピーディーになってくる。漫画ではいいときにアップにしたりでっかくしたりするコマを魅せゴマと呼ぶそうだが、魅せゴマがいい塩梅に使用されて印象に残るシーンが多い実感がある。漫画は絵と絵の間を読んでもらうメディアなんだなあと感じた。つくづく駿氏はアニメを作る人なんだなあって思いました。



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