見出し画像

23歳ふがいないや

1年前に書こうとしたもの。
タイトルはこの通りで、それから私は1つ歳をとった。


とても久しぶりだけど、投稿してみようかなぁと思いまして。

ずっと下書きに残ってた、この場所を言葉で埋める。
「思いつくままに書く」、なんて、こんなこと一年前の私は出来なかった気がするなぁ、

やっぱり誰かの「視線」を感じるものっていうのは、言葉とか態度とか選んじゃうことが多いですよね。

noteを書くことに関してもそうです。
下書きを書いては直して、やっぱりこれ投稿するのやめよ、みたいなことが私は多くて。
でも今はそのハードルは低く感じてます。

明日はどう感じるか分からないけど、
とりあえず今は。

一年前、何を感じて「ふがいないや」と思ったのか、それは自分自身に対して、だったはず。

私は、年上は敬う、年下には優しくみたいな模範的な、常識的な考えを優先するタイプ。
ところが、
模範的に振る舞わないといけない、と思うのけっこうしんどくないですか?

必要としてくれる場所を求めてしまう。
そのためには周りの上手くやってる人たちの真似をして「こういう風にやればいいんだ」って安心して、色々なルールを守って、「形」を固めていかないとって焦っていたんだと思います。

 なんか違う気がする、って思えた頃は救われた気がしました。
ここからいなくなってしまいたくなる気持ち。
負の感情にふいに引っ張られると落ちるとこまで落ちてしまうので、いつも気付かないふりをしてきたのですが。

そんな日もありますよね。しんどくて、周りに対して優しく出来なかったなぁって落ち込む日です。

その時も日記を書いてました。
自分の感情に蓋をして閉じ込めてはいけない、と改めて思う。
吐き出せる場所、大切です。
少なくとも私にとっては「書く」ことがそれでした。

そして、
これまでの自分の考え方に対して
「何か違う気がする」と言葉で書けたのは、大きな一歩だったと思います。
けっこうビビりだし、頑固なところもあるから、自然な流れ(?いや、まぁまぁ追い詰められたけど笑)で気付けたのは成長と呼んでもいいかな。

言葉にできて良かった。
今までの自分が嫌いなわけでもなくて良かった。
シンプルに「こういう考え方も私のためになるよね、きっと」って思えて良かった。

自分が今何を感じてるのか言葉にしにくかったり、「感情」を表現することに関して不器用だなと思うことも多いけど、
怖がらずに外に出してみる、
たまには許してあげてください。

意識しすぎて、苦しまないように。
「気付ける」あなたは、本当は愛情深い人です。

何か長々と書いてしまったけど、この話にオチは無いです。
この一年で「できるようになったこと」、それを誰かに話したかった、それだけです。

ちゃんと伝わらなくてもまぁ良いか、と思えるほど、気軽に言葉を吐き出すことができるようになった。
たぶん、良い方向に向かってる、と信じて生きていくしかありませんね。

未来の自分にとって、ではなく、
今の私にとって、そう信じることが大切なのかもしれない。です。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?