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ギラギラしろよ、つまんねぇから

「寒いの嫌なんだよね」

この冬の寒さを非常に感じる朝、さぁ仕事を始めようとするときの一言だった。寒いと身体が固まり、動くのが億劫になる。体感する温度も低く、暖房がついている部屋と言えど、朝の仕事場は寒い。外ではないが、どことなく吐く息が白くなりそうなくらい。そんな状況で、彼はそう言った。同じ仕事場で働く彼は、どうも寒さに弱いのか普段から体調も良くない。そんな彼は、それほど仕事に対する熱はない。うわべだけでも仕事をしている雰囲気は重要である。そして、ましてややる気のなさや意欲が低下している発言は聞いている人の気持ちにも少なからず影響を及ぼす。さて、どうしたものだろうか。と、思っているときにどうやら僕自身もこの発言を少し気にし過ぎて振り回されていたような気がしてきた。なぜ、こんなやる気も微塵に感じなくて、嫌々仕事をしている人のこの発言を自分は気にするのだろうか。別に放っておいてもいいはずなのに。どことなく気になる感じ、気にしてしまっていた。さて、この答えはどこにあるのだろうか。それはおそらく、僕自身がこの嫌々仕事をするということや、誰かの士気を下げるような発言を自分自身が心の底からしたくないと思っているからではないだろうか。そもそも、僕自身は仕事は嫌ならやらなくてもいいと考えている方だからかもしれない。そして、仕事の文句や周りの人の文句を言っている人間と時間をともにしたくないからだろう。かつての僕自身も周りの嫌な所に目が付き、ついイライラするようなこともあったような気がする。しかし、今はそれがどことなく嫌である。しょうがないからやる仕事を続けている人の未来はおそらく大したことがないだろう。とまぁ、そんな予想は簡単だが、それは予言でも占いでもないこともあり、あくまで当たることが確実であるわけではない。僕らの仕事は実はブルーカラーのようにもなりうるし、ホワイトカラーにもなりうる。そして、単純な事務作業をただ淡々と繰り返していくような誰にでも替えの効くような仕事にも変化したりすることもあるのである。もちろん専門的な仕事であり、その専門性をしっかりと理解し、自分の持っている技術を与えられた仕事の中で、自分の頭の中で考えながら構築していくことが出来れば、それはベターである。しかしながら、そうもいかない人もいるのは事実である。ただやっていればいい、ただ働いていればいい。それでも十分生きていくにはいいのである。そんな気持ちにならないわけではない。ときにはそちらの世界に行った方が楽なのかもしれないという気持ちもある。しかし、そこに充実している日々を感じられるのだろうか。今野、そこに愛はあるんか。と、大地真央ばりに自分自身に問いかけてみるといい。おそらくその楽な世界には、充実も愛も微塵も感じられないのではないだろうか。

さて、仕事も嫌々、やる気もない、やらなくていいならやらない、このスタンスで仕事に臨む彼を見て、やはり僕は仕事を含め自分のやっていること、望んでいることには目をギラつかせるようでありたいと。じゃないと、おそらく退屈な毎日がこれから先の10年、20年、そして老後も続いていくのではないかと思うからだ。退屈な未来を想像しただけでゾッとする。やることはない、テレビを観るだけ、庭をいじるだけ。でも本当はそれがやりたいのではない。けれども今の自分にはそれしかないと、勝手に思い込んで少しずつ自分という器も能力も自らの選択で縮小していく毎日。そこにはもう輝かしい過去の仕事をしていた姿はない。そこにあるのは、老いて退屈な日々に死を待ちながら細々と過ごす自分。誰がこれを望むだろうか。人生最後に後悔は必ず残るとはいうが、後悔を充実の比率を少しでも充実に傾けることは出来るはずである。それだけは絶対できると、今の行動次第で可能だと言い切ることができる。

だからギラギラしろよ、つまんねえから。

~fin~

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