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想いを乗せて

「想いってどれだけ乗せていけるのだろう」

どんな時にこの言葉を思い浮かべたのか思い出せない。ただどこか重要で大切な何かに触れて、この言葉を残そうと思ったはず。ただどうしても思い出せない。思い出せないくらいなら大したことがないのかも知れないと僕は良く判断しがちだが、どこかそれで済ませてはいけないような気がしている。そもそも想いを乗せるということはどういうことなのだろうか。自分の気持ちを相手に伝えるのであれば、口で言えばいいし、手紙に書いても、LINEで送るのもありだ。もちろん間違ってはいないはずなのだが、なんとなく想いを乗せるのではない気がする。やはりこれだと、想いを伝えるということではないかと。想いを乗せるのではない。乗せるということは、どういうことだろうか。何か乗り物に乗っていくという意味で使っているわけではない。何か目に見えない風や空気、香りや音など形のないものとともに存在するように思う。直接的な言葉ではないが、なんとなく伝わるような感じ。言わなくても分かるようなもの、空気感というのだろうか。その空気感を伝って、言葉ではなく、相手に感覚として伝わる。これが伝える側にとっての想いを乗せて届けたということなのだろうか。どことなく思考がぐるぐると回っていく。果たしてゴールにたどり着けるのだろうか、と考えながら。自分の中では、自分なりのゴールは既に決まっていて、すでに結論は出ているような気もする。言葉や動き、見た目や視線、僕らが表現するその全ては誰かに何かしらの想いを乗せて発信されている。その受け手が受け取るのかは相手の自由になるのだが、少なくとも僕らは日々誰かに何かしらの印象や影響を与え、中には届けという強い思いを持って行動している人もいる。

僕らの表現の全てには想いが詰まっている。その想いを誰かに届けるために僕らは表現をし続けるのである。いつか届け、あの人に誰かに届けと。

想いを乗せた自己表現はきっと今日も誰かの役に立っていると思いながら。

今日もまた僕らは生きながら表現し続けるみたいだ。

~fin~

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