世の中には絶対はないが、俺の中にはあると

「これめちゃくちゃ的を得た言葉」

この言葉を見た時、僕は瞬時にそう思った。漫画宇宙兄弟の主人公ムッタの言葉である。と思ったが、忘れた。たぶんこの漫画に出てきた言葉と思うと言っておこう。ただ、この言葉、なかなかの力があるように感じられる。確かに僕らの生きているこの時間に絶対と保証されているものは1つしかない。それは誰もがご存知の通り『死』というものである。これから先の未来には、この『死』というものの捉え方も変わるだろうし、『死』を受け入れないという選択肢も常識になる時も来るかもしれない。もはや、人間いや生物にとって『死』が絶対ではなくなるときが来るかもしれない。しかしながら、今のところ、現代の時間においてはこの『死』のみが唯一無二の絶対と呼べるものだと思う。だからこそ、そのほかにこの世で万人に受けるような絶対のものは存在しないはずである。しかしながら、その絶対が存在する場所が他にもあることを知ったのが、冒頭の言葉である。

『俺の中の絶対』

確かに、自分の中の絶対というのは誰もが持っている。それは先ほど述べたような絶対を世間一般の絶対という解釈で使うのではなく、あくまで個人的な経験や体験の中から導かれた、触れてきた多くの計算から自分自身がその答えを解き明かした、そう数学でいう証明問題のような感じ。その証明問題の解を証明したものが『俺の中の絶対』という存在である。これは非常に頼もしく聞こえもするが、一方で物凄く安売りをすることができる。わがままな子どものように自分が絶対と言えば絶対なんだと、泣いて相手を納得させるような『絶対』は最低レベルと言ってもいいくらい信頼も信用もないような『絶対』である。このレベルでは、相手にしてはならない。自分の中での理論が確立されており、論理的に説明のつくものであれば信頼や信用も高いはずである。ここでも一般論としては、絶対というものは存在しない。あくまで信頼や信用が高いという表現のみで留めることになる。しかしながら、ここにも信頼や信用が高いということをもう少し精神論的な意味で証明することもできる。それが、本人の中での絶対的に確信を得た状態。おそらくその確信を持っているのであれば、目も顔も声もその人間から溢れてくる何かしらの高揚感のようなものが出ているような気がするのである。

「間違いねぇ……」

と、額と頬の横から汗が滴るような場面を想像して欲しい。あの感覚である。漫画で出てきそうなやつ。

『俺の中の絶対』というのは、そのくらいその人間から溢れ出すようなものを感じられる場合に信用と信頼が高いと言えるような気がするのである。もちろん個人的な意見ではある。

今まで書いてきたが、俺の中の絶対はあくまで俺の中の話である。誰かにその絶対を強要することはできない。

ただ思う、自分の中の絶対があるってかっこいいじゃないか。

~fin~

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