こどもはかわいい、のだけれども。(暗い話です。ご注意ください。)
こどもをかわいいとおもいますか?
はい。
こどもを大切におもいますか?尊いとおもいますか?
はい。
こどもは社会で育てるべきだと思いますか?
はい。
なんだけれども、Instagramのストーリーズを眺めていたら唐突に出てきた友人の出産報告を、両手放しで喜べない自分がいた。
どうしても、辛く厳しい側面をもつこの世界において、こどもを産む。こどもをもつ。という選択を全肯定できない自分がいる。
応援はしたい。している。(全然納税できていないので、とくに金額的な側面においてサポートできているとは言い難いが。)
こどもがいる同世代、友人、先輩、知り合いも増えてきた。応援はしている。1歳位になる友人のお子さんたちと遊んだこともある。飲み会の席に同席した3歳位の子と遊んだこともある。従姉妹にも第二子が産まれた。応援はしたい。
応援はしたい。のだけれども、今のところ「こどもがほしい」とは思えない。
以前交際していたパートナーの方とも、「こどもはのぞまない」という前提でお付き合いをしていた。
性交渉も、相手方が毎日低用量ピルを服用し、こちらはコンドームをし、かつ、妊娠の可能性が比較的低いとされる安全日に限って性交渉していた。
人生が辛い、苦しいと言っているのに、「こどもがほしい」というあの方の気持ちがわからない。
そう思えないのは、過去に何度も消えたい、無くなりたい、と私が思ったことがあるためか。
こんな私でもいつか「こどもがほしい」と思える日が来るのだろうか。
そうでなくとも、「こどもの誕生」「生命の誕生」に素直に両手放しで祝福できる日は来るのだろうか。
「子は鎹(かすがい)」という言葉がきらいだ。
(追記:低用量ピルは割勘してました。)
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