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【読書日記】8/25 続・旅行の余韻。科博大好き。「博物館のファントム/伊与原新」

博物館のファントム 箕作博士の事件簿
伊与原新 著 集英社

国立科学博物館(科博)を巡りながら思い出していた一冊です。
※見出し画像は、科博のスタンプ(ガチャガチャ)。ハチ公とかフタバスズキリュウ辺りが当たりなのかな、一般的には。

何しろ、本書の冒頭の一文がこれ。

玄関ホールで「Futabasaurus suzukii」の出迎えを受ける。吹き抜けの天井から吊り下げられた全長七メートルの骨格レプリカだ。

博物館のファントム 冒頭。

本書の舞台となるのは「国立自然史博物館」ですが、部分的に「科博」をモデルにしているのです。宙を泳ぐ「フタバスズキリュウ」の威容にはこどもならずとも圧倒されます。子供の頃に祖父母に連れてきてもらって以来、大好きな場所です。東京にいた学生時代は何度も足を運びました。
科博だけでなく、博物館全般が好きになった原点のような場所です。

科博のお菓子の缶から画像を借ります。ちびっこはこれを口を開けて眺める


そんな魅力的な「国立自然史博物館」ですから、そこで繰り広げられる物語が面白くないはずがない。期待の高まる冒頭です。

さて、この「国立自然史博物館」に入職した「生き物オンチ」池之端環の研究テーマは「DNAバーコーディング」。
遺伝子情報を使った生物種の分類等のためのプログラミング開発であって、博物館の職員としては珍しく生物ではなくパソコンに向かう日々です。

環が旧館「赤煉瓦」で出会ったのは「標本収蔵室の怪人(ファントム)」。
未整理のままの標本や資料が大量に放置されている「赤煉瓦」に棲みつき、「博物学者」を自称する箕作類でした。

片付け魔で、「赤煉瓦」の未整理かつ不完全な標本、環に言わせると雑多なガラクタがきちんと整理されていない状況が我慢ならない環と「どんなものも絶対に捨ててはならない」を博物館の第一原則として譲らない箕作は、何かと角突き合わせますが、博物館で起こる奇妙な事件を解決に導くことになります。

物語には、収蔵物やその学名に関する蘊蓄やどこか常識の梯子から足を踏み外しかけている研究者など、博物館ならではの要素がふんだんに盛り込まれていて、博物館の独特の匂いやわくわくする気持ちを思いださせてくれます。

呪いのルビーと鉱物少年
「石っこ賢さん」と呼ばれた宮沢賢治の「十力の金剛石」に登場する十五の鉱物。
その鉱物と同じ種類の鉱物標本の盗難事件と「呪いのルビー」の正体とは?

ベラドンナの沈黙
 ナス科植物が専門の美しい女性科学者「ベラドンナ」。元研究者仲間で元婚約者である男が花嫁のための薔薇のブーケを依頼してきたという。その男とベラドンナが破局した理由とベラドンナの考えた復讐とは?

送りオオカミと剥製師
 ある日、展示室の剥製たちがすべてお尻を向けていた「ストライキ」の謎。
 動物園の塀越しにオオカミの遠吠えを聞かせる犬の散歩中の老人・伝説の剥製師がやろうとしていることと絶滅したニホンオオカミの関係は?

マラケシュから来た化石売り
企画展である「三葉虫展」、ケースに「ニセモノ」と落書きされた事件が発生。「デボン紀のモロッコ産」の化石には偽物が多い、というけれど、まさか国立自然史博物館で?
折しも、箕作の古い友人がマラケシュからやってきた。三葉虫の模造化石を専門に扱っているという彼の怪しげな行動の裏に隠された秘密とは?

死神に愛された甲虫
 在野の昆虫学者として有名だった人物が軽井沢に遺した昆虫館で聞こえてくる「死の予兆」とは?
「虫害にあわない標本」の美しさを思い浮かべてしばし楽しみました。

異人類たちの子守唄
「赤煉瓦」から急に姿を消したファントム。
環のもとに非常に電波の悪い携帯から「洞窟に閉じ込められた」というSOSが辛うじて届いた。
食料と水が尽きるであろうタイムリミットまでに箕作がどこに行ったかを数少ない手がかりから突き止めることができるのか。
 ホモ・サピエンスとネアンデルタールなど今の私たちの祖先に関する謎についても壮大に語られます。
物語の最後は、遠い遠い過去の幻想と環と箕作の未来が重なるかのような印象的な場面で幕を閉じます。

森羅万象の謎と人の心の綾が絡み合い、この世は不思議に満ちあふれているから魅力的なのだと思わせてくれる連作短編集でした。

そして、ベラドンナ、こと宮前葉子が語ることばが素敵。

どんな種(スピーシーズ)にも、その種にしか語れない物語がある。それをないがしろにするのは不遜な態度よ。新しい種が見つかったら、それが他のすべての種とは異なる道をたどって生き延びてきたのだということを、ちゃんと認めてやらなきゃならない

宮前葉子の台詞

この地球に、私たちとともにある数えきれない種の生き物たち。
どんな種にもそれぞれの命のかけがえのない物語がある。
だからこそ、愛おしくて尊い、そう思うのです。