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花虹源氏覚書~第二帖帚木(三ノ二)

帚木その三 二、頭中将の話~


宿直の夜は長いものにございます。

「愚か者の話をしようか」
次に語りだしたのは、頭中将でございました。

ひそかに見初めた女人がいたのですよ。
ほんのひと時、かりそめの契りのつもりでしたが思いがけず逢瀬を重ねるうちに、前世からの縁があったのか、子が生まれました。

万事控えめでおとなしく、訪れが久しく絶えても嫌な顔をしたことなど一度もありませんでした。

夜離れが続いた後にふらりとあらわれても「めったに来ない男」向けのつれない仕打ちをすることもなく、朝夕を共にする夫に対するようにこまやかに心を込めて世話をする姿がいじらしく、末永く面倒をみてやろうと、行く先を誓うことなども口にしておりました。

女は親もすでになくして心細い身の上でしたから、私も夫として頼られるのは悪い気がしなかったものです。
しかし、この女は文句ひとつ言わないものだから、あまり気にかけずとも良いと思い手紙なども送らずにいたところ、幼子を抱えて心細い思いもしていたのでしょう。

撫子(なでしこ)の花を添えて文を送ってきました

山がつの垣ほ荒るとも折々にあはれはかけよ撫子の露

私は知らなかったのですが、このころ、右大臣家の妻が何やら酷いことを言ってよこしていたようなのです。
さぞかしつらく恐ろしい思いをしただろう、かわいそうなことをしてしまいました。

と頭中将は涙ぐみました。

――― かわいそうなのは、嫡妻なのに軽んじられている右大臣家の四の君も同じよ。
    お歌は「身分の低い山人のような私の家の垣根は荒れ果ててしまいましたが、このいとしく愛らしい撫子の花には愛情という露を注いでください」かしら。
    子供の立場は守りたいものね、でも、こんな薄情な男を頼らないといけないなんて…。
    それで、その後、どうなったの?               

歌が女の面影を呼び起こし、早速訪ねて行きました。
女は私の途絶えがちの訪れを責めるわけでなく、また、妻からの嫌がらせを訴えるでもなくおっとりと迎えてくれました。

ただ、その顔はいつも以上に憂いの色が濃いのです。
荒れはてた家に結ぶ露、競うように鳴きかわす虫、憂愁に沈む美女。
まるで昔物語のようでしたよ。                                                   

咲きまじる色はいづれと分かねどもなほ常夏にしくものぞなき

子供のことはさておき、まずは女の憂い顔を晴らしてやろうと思いまして「床に塵がつもる暇がないくらいに通ってくるよ」とささやきました

うち払ふ袖も露けき常夏にあらし吹きそふ秋も来にけり

女は、はかなく頼りなげな風情でこんな風に返してきました。
歌こそ拗ねたような詠みぶりですが、特に恨んでいる様子もありません
涙がほろりとこぼれても、むしろそれを恥じらってなんでもないようにとりつくろうのです。

そんな様子だったので、まあ、大丈夫だろうと放置していたところ、跡形もなく搔き消えてしまいました

――― 頭中将の歌は「撫子(なでしこ)」の別名「常夏(とこなつ)」を詠み込んでいるのね。
    「色とりどりに咲く花々はどれがどれとも区別がつかないけれど、「床(とこ)」つまり寝床を敷いて待っている「常夏(とこなつ)」である貴女に勝るものはありません。」
    権勢家の右大臣家から睨まれて「せめて娘のことだけは気にかけてほしい」という願いに対して「君ほど素敵なひとはいないよ」と返されても失望してしまうわ。
   溺れそうになって伸ばした手に宝玉の腕輪をはめてやって悦にいっているようなものだもの、ほしいものはそれではないのに全然分かってない・・・。
   だから、「床の塵を払うための袖も露で湿ってしまいました。常夏の季節が過ぎて嵐の吹きすさぶ秋が来てしまったのですね」と返したのね。
   「貴方に飽き(秋)られてしまって露のような涙にぬれています」と捨てられた女のしおらしいふりをしながら、「貴方の「常夏」である私はもういません、夏の燃える恋は秋になって露と消えてしまいました」と愛想尽かししたのだわ。
   それで、頭中将は、常夏のひとに見限られて少しは堪えたのかしら?

頭中将は、常夏の女人についてしみじみと述懐いたしておりました。                                                                                                                                                                                                                                                       

常夏の女は、今頃、頼りない身の上でよるべなくさすらい、細々と暮らしているのではないでしょうか
もっと私に執着し、強く愛情を示してくれていれば、常に気にかけて、ほどほどの通い妻にして、長く面倒をみる道もあったはずなのに、姿を消すなどと早まったことをしたものです。
今でも私への恋情に胸を焦がす夜もあるのではないかと思うと哀れです。
私の方では、常夏の女のことは、ほとんど忘れてしまいましたが、「撫子」はかわいらしい娘でしたから探し出したいのですが、全く行方がわからないままなのです。

―——やきもちをやけば煩わしいと疎まれ、控えめにしていれば愛情が足りないと言われ、高貴な公達のお相手は大変ね。
   ところで、常夏のひとと撫子は、身を隠した後、心穏やかに暮らせたのかしら?

常夏と撫子、ふたりの女人がたどった運命については、いずれ語るときがまいります。
今は、宿直の夜の話を続けましょう。

(続く)