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【読書日記】2/16 「こんな詩はいかがでしょう」とマスターがいう。「ポエトリー・ドッグス/斎藤倫」

ポエトリー・ドッグス
  斎藤倫 著 講談社

「バーテンダーは、犬だった。」
そして、ナッツでもお通しでもなく、マスターの「おまかせ」で詩がでてくるバー。

「なにか、ぼくに 合いそうな詩を」
そういうと、マスターがす、と詩集を差し出してくれる。
この設定がなんとも魅惑的。想像しただけでくらくらと酩酊しそうなくらい。

マスターが犬、というのがまた、良い。
いくら感じの良いマスターでも人間同士だと(特に世間の狭い地方都市だと)脱げない鎧もありますよね、その点、犬だし。
しゃべるけど、お酒もだすけど、博識だけど、詩にも造形が深いけど、犬だし。

マスターが犬である理由はさておき。
ある男がバーに通い、マスターが差し出す詩を読み、自分のこと、社会のこと、地球のこと、愛と友情のこと、生と死のことを考える、物語。

私は、「第四夜」が好きです。
落ち葉の下にいるものたちのにおい。文字を持たないネイティブアメリカンの口承詩。糸とビーズで紡がれる、言葉。カンパリやベルモットに漬けられるたくさんの香草。
・・・「詩」ってなんだろう。

詩は難しい。
わけがわからない、不条理とも思うけれど、もし、本当にただのでたらめだったら、きっとさっさと忘れ去られる。
この世の深淵を覗かせるなにものか、が含まれているから、人の心を波立たせ、詩になる。

現代は、「わからないこと」に不寛容。
「わかりやすさ」が正義。自分がわからないのは、情報を提供する方が「わかっていただく(一目で、一瞬で)」ための工夫をしていないから。

そんな世の中にあって 詩のわからなさは、天下御免。
詩を読んだときに、自分の心に起きたさざ波は、なんなのか。
考えて、考えて、考えて、自分なりの答えをだす。もしくは、答えが出ないまま、未来の自分への宿題とする。
人を悩ませ、考えさせることに一切ためらわず、詩はそこにある。

「わかりやすさ」を求めすぎる脳みそを警戒した方が良い。
他人が「わからせたいもの」を提示されて、それを鵜呑みにしているうちに、自分の頭で考えられない傀儡になり果ててしまうかもしれないから。

柔らかいものばかり食べていると、固いものが食べられなくなり、結果として心身を損なう一因になるのと同じこと。
しっかりと頭を使うことは、とても大事。
詩を読んで、わからないことをしっかりと受け止めて、考えよう。

そして、「わかりやすい」詩にもご用心。
「本当に美味しい白いご飯」が難しく、奥が深いのと同じこと。

さあ、今日の私には、どんな詩が合うかしら。